K君から昨日メールをいただいた。「入社の頃を思い出す記事もあり、感慨深いものがありました」「小生は昭和35年~37年まで快明寮(男子独身寮)に入寮しました。半年ほど矢島の実家から汽車通勤したこともあります」とある。私のブログが役に立ったようである。ということで、入社の頃を引続き振り返ってみた。
私は総務課庶務係に配属された。総務課は工場の窓口である。受付、守衛、電話交換、テレタイプ、清掃、車両管理、秘書等を担当する社員のグループである。女性が圧倒的に多い職場だった。私は車両管理、会議室の管理、掃除のおばさんの手配等から仕事をはじめ、工場見学の案内と守備範囲を広めていった。近隣の小・中学生が頻繁に工場見学に訪れたのである。 当時の朝礼の写真が残っていた。(写真・上)朝礼で係長が服装点検をしている場面である。当時はまり感じなかったが、美人ぞろいである。大卒の新入社員が工場実習にきた時、「秋田は美人が多い」というのもうなずける。 工場の裏は日本海だった。休日は、釣り船を持っている社員が誘ってくれた。(写真・下。右から2番目が小生)
お疲れさまです!昔も今もハンサムですね!
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