2022年11月11日金曜日

ゴルフ産業界へ。環境サポートの提案


 9日、久しぶりのゴルフだった。コースは牛久から25キロの霞台カントリー。
メンバーであるYさんに誘っていただいた。成田にお住まいのSさんも一緒だった。
スタート、346m、パー4,第1打はチョロ、ただし、第2打以降は素晴らしい当たりでダブルボギー(6)に収まった。2番ホール、90m池越え打ち下ろし、パー3,ここで3人の明暗が分かれた。Sさんはピン側50センチにつけて,バーディ(2)。Yさんはグリーンを外したが、見事な寄せでパー。さすが、メンバーである。小生は珍しくグリーンにワンオンしたが3パットでボギー(4)

昼食後、の13番ホールで痛い目に会った。ここは358mのパー4。左に池がありグリーンは砲台グリーン(写真)。手前にバンカーがある。池を避けて、3打で砲台グリーンの下まで運んだ。大き目のクラブでフルスィング。ボールは高々と上った。飛びすぎだと直感した。グリーンに駆け上がったがボールがない。グリーン奥のバンカーに落ちてしまったのだ。そこからが阿修羅、バンカーの綱渡りでギブアップ。最後の18ホールも酷かった。なんと、ボールの頭を叩いてのチョロが5回も続いた。疲労でスィングが乱れたのである。会心のプレーは15番463mのパー5だった。クラブのフェース面をやや内向きにして降ったところ、ビューンと飛んだ。勿論、200m近く飛ばすYさん(70才代)にはかなわないが、近くまで飛んだ。続く2打、3打も会心の当たりりで4打でグリーンに載った。
 終ってみればトータルスコア117打。いつも120以上叩く小生としては上出来だった。途中、手が震えてティになかなかボールを載せることができないとう場面もあったが、まだやれるという自信がついた。

80才にして広い大地で友人とボールを追いかけられる自分はなんと幸せなのだろう。

今、世界は環境破壊による、干ばつや水害、森林火災で悲惨な日々を送られている方々が沢山いる。食べるのがやっとで、スポーツどころでない。
ゴルフは美しい自然環境を前提にしたスポーツである。ゴルフ産業界はもっと環境サポートに力を入れても良いのではないか?そのためであればゴルファーも協力すると思う。
環境破壊がゴルフ産業に陰を落とす日がくるかもしれない。


2022年11月1日火曜日

著名企業のOBは語るー記録メディア工業会OB会


 現役の頃、日本記録メディア工業会の業務委員長を仰せつかっていた。そのご縁で、10月26日(水)TDK柳橋倶楽部でOB会を開催した。
工業会の常務理事だった日立マクセルのKさんが米寿(88才)を迎えられたのである。それを祝たいと思った。しかし、直前になってKさんがドクターストップ。中止しようかとも思ったが、6人の方から参加の返事をいただいている。実施することにした。
参加者の方の話が面白かった。
日本ビクターOBの技術者Sさん。「VHSビデオの大成功によって皮肉にも会社全体のタガが緩みはじめ、さらにデジタル化の波に乗り遅れて商品力が弱体化。涙ながらに早期退職(定年6年前)する決心をした」それは誰よりもビクターを愛したが故の決断だったという。
A社OB、Tさんの話。「今だからいいますが、実は工業会に提出する出荷数量を実際より一時低く出していました。トップグループメーカーを油断させるためです」
TDKのOさん。「えっ、そうだったんですか?急にA社さんのシェアが上ったので、どうなっているんだ!と上司に叱られましたよ」
日本コロムビアのSさん。「当社はシェア下位メーカーでしたが、常務理事のKさんは差別なしに暖かく接してくれましたし、いい業界でした」。
フジフィルムのTさんは定年後、自転車でシルクロードを旅した話を披露。Tさんは現在同社の屋台骨を支えるデータカートリッジテープを開発した技術屋さんである。この工業会、今回は欠席されたが、ソニーさん、松下電器さんもメンバーである。
工業会OBの平均年齢も70才後半になったが、昔の話になると熱を帯びる。現在も本を出版するなど皆さん意気軒高である。
 異業種との交流が活力になるといわれるが、工業会OB会はその実例である。高齢者の話題の中心である健康の話はでる余地がない。

2022年10月28日金曜日

TDK本社、それから「高校OB”傘寿会”」


 10月21日(金)、東京で2件のイベントがあった。
13:30~TDK本社でオーディオ誌の取材対応
17:30~TDK柳橋クラブで高校OB傘寿会(80才)
牛久発11:44発に乗車すれば間に合うのであるが、用心をして11:25の電車に乗る。これが良かった。常磐線は事故があり、遅れたのである。東京駅に着いたのは13:10だった。TDK本社は日本橋高島屋三井ビルでイングの26階である。(写真・上)このビル実に格調が高い。TDKは現在売上2兆円の国際企業。このようなビルに入居できるようになったのである(TDKは本社自社ビルを所有しない主義)。感慨一入である。取材は16:30無事終了。
高校OB傘寿会の開催場所であるTDK柳橋クラブに向かう。同クラブは浅草橋にある。
傘寿ともなると、参加者は4分の1になる。25%はすでに死亡。25%は無音。25%は欠席。残りの25%が出席。参加者はブラスバンド部の佐藤君、弁論部の簾内ご夫妻。(奥様、優子さんは文芸部)郷土史研究部の則子さん、卓球部の田口君、小生(文芸部)。お祝いに後輩、尺八60年の成田さん、スキー部の斉藤さんがかけつけてくれた。ありがとう。(写真は文芸部ウメ子さんの逞しい筆跡)
友人にも学友、社友、趣友、といろいろあるが、学友はいいものである。男どもは二次会ということで浅草橋の居酒屋へ。羽振りのいい田口君がご馳走してくれた。ありがとう。
傘寿会の次は米寿(88才)だが、開催できるだろうか……。



2022年10月15日土曜日

畠山家を守る八幡神社


 9月下旬だった。秋田にいる姉(85才)から電話があった。
「父さんが無事、戦争から帰ってこられたのは八幡様のお陰だよ。隣の家が火事になった時も、八幡様が家の屋根に上って、火の粉を払い、延焼を食い止めたんだよ」
9月16日行われた父の23回忌についてブログに書いたものを姉にコピーして郵送した。それに対しての返事だった。
姉は19才で嫁いで畠山家を離れたが、日頃、父母から畠山家の守り神

である八幡様の加護について聞かされていたという。
畠山家の八幡様は1219年(承久元年)建立された。重忠の子、重保の妻信子は奥州に落延びる。信子は自身が崇拝していた鎌倉にある鶴ヶ岡八幡神社を落延びた秋田に建立したのである。秋田に着いて14年目である。
八幡神社建立の日、信子は懐にかくまって育ててきた重保の子供に重光(畠山家三代目)と命名。重光は武士を捨て「右ェ門」と名乗り開墾に従事する。四代目から「又右ェ門」と称し、現在に至っている。


「又右ェ門」は鮎瀬貝堤(古四天王)、矢積(妻屋)等、移住。1594年、現在の鮎瀬部落に転居する。現在の八幡神社(写真・上)は1920年(大正9)、酒田大山宮大工家清の作といわれている。
 神社の中には、畠山重忠の木彫りの像(写真・中左下)があるが、弟の話によると、これは昔からあったものではなく、義弟、高橋正宣氏が重忠の出身地である深谷市を訪れた時に入手し、父・一男(31代)に寄贈したものだという。
(写真・下、左から姉、父、母、高橋、妹)
*写真上・中は沖津桃代さんが撮影されたものです。




2022年10月10日月曜日

宗教、信じても頼ってはダメ


 9月22日の読売新聞に『改めて問われる宗教とは』という記事が掲載された。
曹洞宗禅僧の南直截(みなみ・じきさい)、東京女子大学長の神学者、森本あんりの2氏に取材した記事である。
「信じることは”賭け”だ。カネをかけると、神さま仏さまから相応のものが返ってくると思うのは”取引”だ。捨て金になるかも知れないが、気持ちのために祈る。超越者と人間の等価交換ではない。”取引”が行き着く先は”このままだと地獄に落ちる””先祖がたたってる”と、高額なものを売りつける偽の宗教になる。人間の生と死なんてわからないのに、そこに理由を与えて根底の不安を拡大させてくる」
「宗教は物事を解決するものだと捉えない方がいい。信じるのはいいが頼ってはだめ。苦しくとも、生きられるようにするのが宗教の役割。”問題は解決しないけど大丈夫だ”と。宗教は杖になっても、おんぶはしてくれないものだ」
「社会から厳しい目を向けられている宗教者は、自分の足元と原典を見直すのが先だ。信仰の基となるものを確かめ、見直すべきだ」「宗教を信じるときに大切なのは、神や仏が真理を与えると思わないこと。切なく苦しい私に、どのように生きるのか、どうするのかを我々に問いかけていると思った方がいい」
 

10月1日、常陸国出雲大社(写真・左)で新社務所の上棟祭(写真・右)が行われた。同大社は設立して30周年になる。これを記念して新社務所を建設する。総事業費数億円。資材の高騰等で事業費は倍になったという。高橋宮司は出羽国米沢藩9代藩主、上杉鷹山の「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の覚悟を込めてエィ!と裂ぱくの気合を込めてボルト締めを行った。
 

工事は無借金でやり抜くという。大国主の大神に奉仕はするが、大神に頼るなどのという考えは微塵もない。ましてや信者に費用を分担させるなどありえない。
 高橋宮司の「大神を信じているが頼らない。奉仕こそは無上の喜び」という心情を実感させる一時だった。
 新社務所は来春竣工するという。

2022年10月7日金曜日

鮎の炉端焼き堪能!老人会研修旅行


 5日(水)刈谷ベテランズクラブ(老人会)「鮎研修バス旅行」開催。関東の嵐山といわれる栃木県烏山にある観光やな「ひのきや」で、天然鮎を食べながら一杯やろうというもの。
コロナの関係で、ここ2年間、中止になった。
久し振りのお出かけ、飲み会である。バスの隣の席は勢木(せき)さん。82才。鳥取のご出身だという。「島根と鳥取はどちらが北でしたっけ」「どんな観光地がありましたっけ」と矢継ぎ早にうかがう。お聞きしながら「鳥取砂丘」等を思い出す。小生は秋田県、同じ日本海沿いの県ということで話が弾んだ。
8時、牛久を出発したバスは11時には目的地に着く。「ひのきや」は那珂川の清流に面している。座敷には囲炉裏が並んでおり、既に真っ赤な炭火を串刺しになった鮎が囲んでいる。鮎のから揚げ、鮎の刺身と次々と料理が運ばれる。会長の挨拶が終わるやいなや「乾杯!」とビールをかざす。(写真・上)
参加者は総勢34名。内女性15名。「美味しい、また来なくっちゃ」と初参加の女性の声。12時30分、お開きになったが、足元がおぼつかない同僚も数名。
名目は研修旅行である。

帰り、バスは大田原市にある雲巌寺に寄る。このお寺「啄木(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立(なつこだち)」という芭蕉の句で有名。日本の禅宗四大道場と呼ばれるだけあってさすがの風格である。吉永小百合主演のCM「大人の休日倶楽部」の舞台にもなった名所である。(写真・下)
帰りのバスは、勢木さんとの話の続きになった。「鳥取は日本で一番人口が少ない。57万名」「勢木という苗字の人は全国で110名しかいない」。そうだったのかと再認識。
バスは日もトップリ暮た7時、牛久に着いた。


2022年10月4日火曜日

オリ、奇跡の2連勝!中嶋監督は母校の後輩です。

 

3日の新聞「パ・リーグは2日、レギュラーシーズン最終戦が行われ、オリックスが2連覇を決めた。マジック1としていた首位ソフトバンクがロッテに敗れ、1ゲーム差で追う2位オリックスが楽天に勝利。勝率が並び、直接対決で勝ち越すオリックスが頂点に立った。オリックスは5月に首位と最大11.5ゲーム差をつけられたが、山本ら安定した先発投手陣を中心にした戦いで白星を重ね、最後に逆転した」「こんなことが起こるのかと、本当に信じられない」と歓喜の輪に加わった中嶋監督は選手達と抱き合った。
 中嶋監督は小生と同じ秋田県立鷹巣農林高校出身。同校は2011年、近隣の3校と統合され、消滅。北鷹高校が新しく誕生した。ただ、中嶋監督の活躍のお陰で、「昔の名前」が新聞でも報道され、実家の兄や知人からもおめでとうといわれた。
 中嶋 聡(なかじまさとし)は1969年、北秋田郡鷹巣町(現・北秋田市)生まれ。昭和62年、鷹巣農林・林業科卒業。(小生は同科35年卒業)当時(1986)、同校は甲子園県予選で準々決勝まで進んでいる。中嶋はNBPドラフト会議3位指名で阪急ブレーブスに入団。プロ野球の世界に入る。
 私が中嶋監督の名前を知ったのは2021年、オリックスの監督に就任した時だった。
鷹農の卒業生がプロ野球の監督になるなど信じられなかった。しかも就任1年目にして優勝監督となる。「運が良かったのだろう、2年目はそうはいかないだろう」と思っていた。それが奇跡の2連勝である。
 勝利のコツは「つなぐ野球だという」。”木を植え、育てる”という「鷹農精神」ここにあり。