2022年10月15日土曜日

畠山家を守る八幡神社


 9月下旬だった。秋田にいる姉(85才)から電話があった。
「父さんが無事、戦争から帰ってこられたのは八幡様のお陰だよ。隣の家が火事になった時も、八幡様が家の屋根に上って、火の粉を払い、延焼を食い止めたんだよ」
9月16日行われた父の23回忌についてブログに書いたものを姉にコピーして郵送した。それに対しての返事だった。
姉は19才で嫁いで畠山家を離れたが、日頃、父母から畠山家の守り神

である八幡様の加護について聞かされていたという。
畠山家の八幡様は1219年(承久元年)建立された。重忠の子、重保の妻信子は奥州に落延びる。信子は自身が崇拝していた鎌倉にある鶴ヶ岡八幡神社を落延びた秋田に建立したのである。秋田に着いて14年目である。
八幡神社建立の日、信子は懐にかくまって育ててきた重保の子供に重光(畠山家三代目)と命名。重光は武士を捨て「右ェ門」と名乗り開墾に従事する。四代目から「又右ェ門」と称し、現在に至っている。


「又右ェ門」は鮎瀬貝堤(古四天王)、矢積(妻屋)等、移住。1594年、現在の鮎瀬部落に転居する。現在の八幡神社(写真・上)は1920年(大正9)、酒田大山宮大工家清の作といわれている。
 神社の中には、畠山重忠の木彫りの像(写真・中左下)があるが、弟の話によると、これは昔からあったものではなく、義弟、高橋正宣氏が重忠の出身地である深谷市を訪れた時に入手し、父・一男(31代)に寄贈したものだという。
(写真・下、左から姉、父、母、高橋、妹)
*写真上・中は沖津桃代さんが撮影されたものです。




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