2022年10月10日月曜日

宗教、信じても頼ってはダメ


 9月22日の読売新聞に『改めて問われる宗教とは』という記事が掲載された。
曹洞宗禅僧の南直截(みなみ・じきさい)、東京女子大学長の神学者、森本あんりの2氏に取材した記事である。
「信じることは”賭け”だ。カネをかけると、神さま仏さまから相応のものが返ってくると思うのは”取引”だ。捨て金になるかも知れないが、気持ちのために祈る。超越者と人間の等価交換ではない。”取引”が行き着く先は”このままだと地獄に落ちる””先祖がたたってる”と、高額なものを売りつける偽の宗教になる。人間の生と死なんてわからないのに、そこに理由を与えて根底の不安を拡大させてくる」
「宗教は物事を解決するものだと捉えない方がいい。信じるのはいいが頼ってはだめ。苦しくとも、生きられるようにするのが宗教の役割。”問題は解決しないけど大丈夫だ”と。宗教は杖になっても、おんぶはしてくれないものだ」
「社会から厳しい目を向けられている宗教者は、自分の足元と原典を見直すのが先だ。信仰の基となるものを確かめ、見直すべきだ」「宗教を信じるときに大切なのは、神や仏が真理を与えると思わないこと。切なく苦しい私に、どのように生きるのか、どうするのかを我々に問いかけていると思った方がいい」
 

10月1日、常陸国出雲大社(写真・左)で新社務所の上棟祭(写真・右)が行われた。同大社は設立して30周年になる。これを記念して新社務所を建設する。総事業費数億円。資材の高騰等で事業費は倍になったという。高橋宮司は出羽国米沢藩9代藩主、上杉鷹山の「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の覚悟を込めてエィ!と裂ぱくの気合を込めてボルト締めを行った。
 

工事は無借金でやり抜くという。大国主の大神に奉仕はするが、大神に頼るなどのという考えは微塵もない。ましてや信者に費用を分担させるなどありえない。
 高橋宮司の「大神を信じているが頼らない。奉仕こそは無上の喜び」という心情を実感させる一時だった。
 新社務所は来春竣工するという。

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