2016年3月5日土曜日

74歳、ボケ老人の実態

(間もなく74歳。ボケ老人です)

小生、1942年(昭和17)3月生まれ。19日の誕生日がくると74歳である。
最近、特にひどいのは人の名前を忘れる事である。孫の名前も瞬時にでてこない時がある。孫の年齢とか、学校名になったら絶望的だ。
因みに隣近所のお名前も思い出せるのは1/3くらい。向かいのお宅の名前はでてくるが、その隣はわからない。

最近、自分でも信じられないような出来事が2つあった。

①切手を貼らずに葉書をポストに投函し、気がついたので、局員の方にポストを開けていただいた。
②ガソリンスタンドに入ったのはいいが、注入口のフタを開けるコックの位置がわからない。幸い、隣で注入 されていた方がいたので聞いた。座席の右下にありました。(こんな状態で車の運転大丈夫かなあ・・・)

こんな状態なので、外出した時は車のカギとか、玄関のカギを忘れてないか、頻繁にポケットの中を探る。その事によって、かえってカギを無くすのではないか不安になる。電車の切符なども同様、どこに入れたか不安になる。電車の中で四六時中、ポケットの中をまさぐる。

頻尿も凄い。一晩に5~6回起きる時もある。程よくお酒をいただくとグッスリ眠れる。

町中で「あら、畠山さん!」「やあ、どうもどうも」。声をかけてきたのはシルバーセンターで一緒に掃除のバイトをやっている、おばあさんである。女性の方の記憶力の良さには驚く。
という事で最近はなにかにつけて家内頼みである。
今後ともよろしくね。

2016年2月29日月曜日

自分史「いしぶみ」10年記念号


 小生が編集に携わっている、刈谷いしぶみの会(茨城県牛久市)の10周年記念号が刷り上がった。(写真・上)B5版、184頁。地方の自分史誌としては立派なものだと自負している。
 以下、小生の「編集後記」である。

 『9月になって、会員の方々の原稿が入稿し始めると、打ち込み、編集と、約6ヶ月、パソコンとの格闘がはじまる。音楽など聴く時間は全くない。こんな余生でいいのだろうかと自問自答する。しかし、でき上った「いしぶみ」を見ると、達成感はある。それぞれの作品の素晴らしさである。特に「10号」の作品群は素晴らしい。
 今回は刈谷ベテランズの酒井会長に表紙の写真を提供していただいた。また、牛久FM放送に鈴木代表、下遠野さん、小生が出演。
 最近は刈谷以外の方々の作品が素晴らしい。輪は取手、土浦、水戸と大きく広がる。』

 「いしぶみ」のバックナンバーは国立国会図書館にも提供している。自分の編集したものが、国の図書館に保管されている。夢のようである。(下の写真は平成26年度・新年会に参加したメンバー)




2016年2月23日火曜日

パソコン大混乱(遠隔操作で対処)

(シルバーセンターの掃除は「牛久シャトー」。梅の花が咲きはじめた)

 2月20日(土)は8時~11:00シルバーセンターの掃除。11:30常磐高速牛久インター近くで、笠間・出雲大社に行く弟と面会。13:00から隣町・龍ヶ崎ゲヴァントハウスのコンサートに参加(小生同会の理事)の予定だった。ところが、ビックリポン!19日からパソコンがトラブル。パソコンを開いても画面は真っ白。ネット通信ができないのだ。ネット通信ができないという事は電話が不通になったより困る。意を決っして、20日の予定を変更する事にした。シルバーのバイトの変更はできない。弟との約束の変更も難しい。14:00からのコンサートを犠牲にする事にした。
 弟との打合せを12:30に終わらせ、パソコンを持って秋葉原に向かう。小生のパソコンは「ユニットコム」製。秋葉原に同社のサービス会社があるのだ。同社のサービスマン、「これは、ネット通信契約先のJ-COMでないと対応できません」。止むなく退散。龍ヶ崎ゲヴァントハウスのコンサートに向かう。到着したのは16:30。コンサートは終了し、終了後の茶話会も中盤。終了の17:00まで参加してお茶を濁した。

 21日(日)9:00、J-COMのサービスセンターに電話。まず、聞かれたのはインターネットの環境設定(契約内容)・・・「お客様のパスワードを教えて下さい」と来た。「パスワード、忘れました」。なにしろ、J-COMに加入したのは2001年。もう15年にもなる。 「わかりました。それでは遠隔操作をしてよろしいでしょか?」「どうぞ、お任せします」「3日以前の送信記録は全て消えてしまいますのでご了承下さい」「止むを得ません」。遠隔操作が始まると、私のパソコンが勝手に動作しだした。30分ほどで、2日前からの受信状況が映しだされた。万歳!19日、Yさんから、21日の飲み会の場所の連絡が入っていた。良かった、良かった!これでYさんに迷惑をかける事もない。(午後は牛久図書館で映画「父の詫び状」観る。良かった!ところで自分はどんな父なのだろう・・・)
 しかし、50名近い友人・知人のアドレス帳が全部削除されたのには参ったなあ!今日も手帳や過去の通信記録(プリントして残っているもの)を見ながら、アドレス帳作成中であります。

2016年2月17日水曜日

昨年逝った西村君の墓前に送る

 
(写真、左上。左から近藤先生の奥様、堀口美緒子さん、チヨさん、後ろは喬夫さん。写真、右は西村正則君。写真・下は私・畠山。洗濯中である。)

 先週、昨年から続いた自分誌「いしぶみ」の編集が終って、やっと自分自身の生活を取り戻した。
 まずは、昨年いただいた手紙や今年いただいた年賀状をジックリみてみた。200通余りの年賀状とお葉書をいただいたが、その中にご主人を無くされた奥様のお葉書が2枚あった。高校時代の同級生、黒澤和夫君と西村正則君の奥様である。黒澤君は前橋にお住まいで葬儀にも参加できた。しかし、西村君の場合は、奥様のお葉書ではじめて彼が亡くなった事を知った。
 西村君とは学科は違ったが(小生は林業科、西村君は普通科)下宿先が同じだった。鷹巣町(現在、北秋田市)東旭町の堀口チヨさん宅にお世話になった。学校(鷹巣農林高等学校)まで500mくらいのところだった。
 堀口チヨさんはご本人もご主人も教師をされていたが、ご主人が亡くなられた。息子の喬夫さん(秋田大学)、お嬢さんの美緒子さんも家を出られ、お一人では不用心という事もあり、下宿生を置く事にした。下宿代は3食付きで6,000円か6,500円だったと記憶している。今から58年も前の話である。
 西村君と僕は堀口家の6畳一間で2年ほど生活した。西村君は長身でハンサム。紳士だった。高校卒業後も年賀状のやりとりが続いた。住所は札幌市で「丸善にしむら舞正苑」とあった。名前から察するに呉服屋さんに思える。私の目には和服姿の西村君の端正な姿が目に浮かぶのである。(お子様がいらっしゃれば是非写真を拝見したい。)
 彼(西村君)が元気な時にお目にかかりたかった。そして50年余の人生を語り、下宿生活の思い出なども語りたかった。今できるのは、このブログを奥様にお送りし、墓前に供えていただく事だけである。
 ところで、二人が高校時代起居を共にした堀口家のおばさんチヨさん、ご長男の喬夫さんは亡くなられた。喬夫さんは秋田大学卒業後、教師になられ、校長先生まで上り詰めたと聞いている。

2016年2月10日水曜日

日台協同開発のスピーカを試聴


 TDK時代、一緒に仕事をしていた藤井健さんから電話をいただいた。
「先輩、開発中のスピーカーの試聴をしてくれませんか?」という電話だった。
藤井さんとは昭和50頃からTDKカセットテープの商品企画を一緒に行った。原音再生を基本とし、他社商品との聴感比較を行い発売する商品を決定した。結果、TDKは世界のカセットNO,1となった。

今、私は73歳、音楽・オーディオから遠ざかっている。
藤井さんは64歳。台湾の「BenQ」ブランド商品の音響産品顧問の仕事をされているという。
その商品を見て驚いた。辞書である「広辞苑」より小さい。正面の高さ175ミリ、幅78ミリ、奥行135ミリである。(正面の両翼を広げると275ミリとなる)*写真は両翼を左右に広げた状態。

こんなスタイルで本当に良い音がでるの?
私はクラシック派なので、クラシック音楽を再生してみる。左右の広がりはないが、音場定位はシッカリしている。また音は繊細である。小型スピーカーの場合、「大きい音で鳴らすのを主眼とするスピーカー」が多いのに、このスピーカは原音をリアルに再生しようとしている。これは藤井顧問のポリシーだと思った。TDKカセットのサウンドを決める時もわれわれはリアル再生を基本にした。その精神を踏襲しているのである。

カセットテープの場合、録音できる周波数帯域が狭いので、帯域が狭くともバランスの良い音とか、高域に強い音とか、テープに特徴を持たせたが、デジタルサウンドの場合、理論的には録音特性はパーフェクトなはずである。ところが、実際には筐体内部のノイズや機器を接続するコードなどで、信号ロスが発生し、アナログ以下の音になってしまう場合もあるという。
 この点、藤井さんはアナログカセットの開発からのノウハウの蓄積があるので心強い。
今後の「BenQ」ブランドのオーディオ機器に期待したい。


2016年1月31日日曜日

歴史に残る激動の新年!


 平成28年(2016)の1月も今日31日である。

 昨年、12月28日は懸案だった「慰安婦」問題について日韓合意。平成28年1月は平穏な年初めになると思っていた。月後半には天皇・皇后両陛下が54年ぶりにフィリピンを親善訪問をするという明るい話題もあった。

 ところが、6日、北朝鮮が4回目の核実験。正月早々、金正恩は何を考えているのか!
経済面をみると、予想外の株の急落。年初19,000代だった株は17,000代を割り込む状態。中国経済の不安と、これにからんでの重油安が原因といわれているが、世界の経済通はこんな事、当初から織り込み済みだったのではないかと、一市民である私は思ってしまう。
これに対抗する手段として、日銀の黒田総裁が28日、「マイナス金利」の金融緩和策を発表。経済に素人の私はまたまた驚いてしまう。経済浮揚の為のバズーカ砲というが、これで本当に経済が立ち直るのだろうか。一市民の私は傍観するしかない。
 そして政界。甘利経済再生相が28日、現金授受問題で辞任。
この程度の現金授受は他の議員(野党も含めて)もやっていると推測するが、バレてしまうと、辞任という事にもなる。ここは、まだ、日本の政界、世論が健全だという事だろう。
 それにしても、アベノミクスはこれからどうなるだろう。世界のニュースを見ると、経済が好調なところは日米くらいしかない。日本には頑張って、世界をリードして欲しい。

 最後に琴奨菊が10年ぶりに優勝したのは嬉しい。
 なんとも驚きの日々の連続の1月だった。こんな激動の新年は私の生きている間は2度とあるまい。

2016年1月23日土曜日

光栄!レコードアカデミー賞、授与式参加

左から銀賞・歌劇「アイーダ」(ワーナー・ミュージック)、金賞・シューベルトエディション(キングインターナショナル)、銅賞・ルトワフスキ:ピアノ協奏曲(ユニバーサル・ミュージック)

 1月22日(金)、音楽の友ホール(東京・神楽坂)で行われた第53回レコードアカデミー賞、授与式に参加した。これは前年発売されたクラシックレコードの優秀盤を表彰する式典である。歌謡・ポップス部門で行われる「日本レコード大賞」のクラシックレコード版である。

 レコードアカデミー賞は審査に当たった音楽評論家と受賞レコード会社の方しか参加きない。そのクローズな表彰式に73歳の年金生活者である小生が参加できるとは、誠に光栄である。

 式は19名の音楽評論家と9社の受賞レコード会社、1名の受賞アーチスト(ピアニスト・伊藤恵)が参加して行われた。
 音楽の友社、堀内社長の挨拶が興味深かった。今年、音楽の友社は創立75周年を迎えるという。当時、音楽関係の雑誌は3誌あったが、戦時中で紙不足になり、お上の命令で一誌に統合され「音楽の友」が誕生したのだという。その後、受賞アーチストの伊藤恵さん、選定委員長の諸石幸生さんの挨拶があったが、「美しい音楽は人の心を豊かにする。今後も音楽の基本を正しく伝えていきたい」というのが、皆さんの挨拶に共通していた。

 表彰式終了後、懇親会が開かれた。現役の頃お世話になった石田善之先生、神崎一雄先生、アカデミー大賞を受賞されたキングインターナショナルの大川健さん、竹中社長とも言葉を交す機会をいただいた。
 私は秋田生まれ。兄とともに50年以上、音楽の友社の「レコード芸術」の愛読者である。毎年、どのレコードがアカデミー賞をもらうかドキドキして「レコ芸」を開いた。授賞式に招いて下さった音楽の友社の役員にお礼をいいたい。