2016年2月17日水曜日

昨年逝った西村君の墓前に送る

 
(写真、左上。左から近藤先生の奥様、堀口美緒子さん、チヨさん、後ろは喬夫さん。写真、右は西村正則君。写真・下は私・畠山。洗濯中である。)

 先週、昨年から続いた自分誌「いしぶみ」の編集が終って、やっと自分自身の生活を取り戻した。
 まずは、昨年いただいた手紙や今年いただいた年賀状をジックリみてみた。200通余りの年賀状とお葉書をいただいたが、その中にご主人を無くされた奥様のお葉書が2枚あった。高校時代の同級生、黒澤和夫君と西村正則君の奥様である。黒澤君は前橋にお住まいで葬儀にも参加できた。しかし、西村君の場合は、奥様のお葉書ではじめて彼が亡くなった事を知った。
 西村君とは学科は違ったが(小生は林業科、西村君は普通科)下宿先が同じだった。鷹巣町(現在、北秋田市)東旭町の堀口チヨさん宅にお世話になった。学校(鷹巣農林高等学校)まで500mくらいのところだった。
 堀口チヨさんはご本人もご主人も教師をされていたが、ご主人が亡くなられた。息子の喬夫さん(秋田大学)、お嬢さんの美緒子さんも家を出られ、お一人では不用心という事もあり、下宿生を置く事にした。下宿代は3食付きで6,000円か6,500円だったと記憶している。今から58年も前の話である。
 西村君と僕は堀口家の6畳一間で2年ほど生活した。西村君は長身でハンサム。紳士だった。高校卒業後も年賀状のやりとりが続いた。住所は札幌市で「丸善にしむら舞正苑」とあった。名前から察するに呉服屋さんに思える。私の目には和服姿の西村君の端正な姿が目に浮かぶのである。(お子様がいらっしゃれば是非写真を拝見したい。)
 彼(西村君)が元気な時にお目にかかりたかった。そして50年余の人生を語り、下宿生活の思い出なども語りたかった。今できるのは、このブログを奥様にお送りし、墓前に供えていただく事だけである。
 ところで、二人が高校時代起居を共にした堀口家のおばさんチヨさん、ご長男の喬夫さんは亡くなられた。喬夫さんは秋田大学卒業後、教師になられ、校長先生まで上り詰めたと聞いている。

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