2017年7月27日木曜日

大腸がん(内視鏡)検診

先日、6月に受診した定期健康診断の結果通知書が送られてきた。
「がん検診等」の項目に●精密検査を要する:大腸がん検診。とあり、受診用の書類が入っている。健康には自信のある自分だが「ついに来たか」である。

7月25日が精密検査の日だった。
お尻から内視鏡を入れ、ポリープ等があれば切除するという。
22日から、検査に備えての食事が始まる。アルコールも禁止。「ノンアルコールビールもダメですか?」と聞いたらダメだという。惨めな気分になる。前日の24日など、支給されたお粥をすする。夜はスープだけ。検査当日25日の朝はコップ1~2杯の水だけ。普通食を食べている家内は「悪いわね」と気を使う。
9時30分、愛和病院へ。腸管洗浄剤(モビプレップ)を1時間かけて1リットル飲まされる。便は水状になる。ポリープを切除した場合、1~2週間はアルコール禁止、ジョギング、ゴルフ等の運動も禁止だという。改めて健康の大切さを実感するとともに、検査結果が良好であることを願う。
1時30分、検査室へ。内視鏡が挿入されてもほとんど違和感はない。「はい、終わりました。畠山さん、問題ありません。痔の傾向がありましたね。健康診断でひっかかったのはそのせいでしょう。2~3時間休養をとっていただけば普通の食事をしてもかまいません」バンザーイ!である。
 帰宅して、すぐ、27日の飲み会の幹事に電話をする。「飲み会、キャンセルのメール入れたけど、検査の結果問題ないので参加するよ!」

 もし、ポリープの切除をしていたら、今日も悶々としていたと思う。今回は問題なかったが、自分も75才。これから健康問題で悶々とする機会が増えることは確実である。
 そこで思った。手足が不自由でも口で絵を書いた星野富弘さんを見習おう!(写真・上)健康上のハンディがでてきても夢と感謝の気持ちを持っていれば、なんとかなる!
 

2017年7月23日日曜日

口で絵と文章を書く・・・「富弘美術館」

21日はベテランズクラブ(牛久市刈谷町・老人会)の日帰り研修旅行だった。テーマは「富弘美術館・わたらせ渓谷鉄道」。 参加者39名。
 8時、刈谷町出発。8:20つくば牛久インターから圏央道へ。東北道を経由して10:00関東自動車道、太田桐生インター流出。11:00群馬県みどり市にある「富弘美術館」に到着。
 星野富弘さん、1946年生まれ。(小生より4歳年下)1970年、群馬大学卒業。中学校の教諭になるが、クラブ活動の指導中、頸髄を損傷、手足の自由を失う。1972年、群馬大学病院入院中、口に筆を加えて文字や絵を書きはじめる。
 富弘美術館には星野さんの作品が6つの展示室に展示されている。どの作品にも草花が描かれ、素朴な言葉が添えられている。それは、不治の怪我にもかかわらず、「口で文字と絵を書けることができる」という、星野さんの喜びと感謝の気持ちの表現である。五体満足で平々凡々と暮らす私達に「生きる」意味を問いかける。
 絵葉書を今年100歳になる母に贈る事にした。(写真・上)

 母の手は 菊の花に 似ている
 固く握りしめ それでいて やわらかな
 母の手は 菊の花に 似ている

 
12:30 列車レストランで昼食。わたらせ渓谷鉄道で帰路に。(写真・左)18時、無事、刈谷到着。
 富弘美術館と、秘境・わたらせ渓谷の旅。感動!これも圏央道開通のお陰。茨城と群馬は近くなった。幹事の皆様、お世話になりました。

2017年7月17日月曜日

鳴り響いたストラディバリウス!千住真理子の技

昨日(16日)も茹だるような暑さだった。
その只中、家内とコンサートにでかけた。
「千住真理子ヴァイオリンリサイタル」竜ケ崎市文化会館大ホール。(家から車で30分)午後2時開演。
予定プログラムに入る前、照明を抑えた舞台で、千住は集中豪雨に見舞われた北九州の被害者の方々を思い、バッハを演奏。
 舞台が明るくなり、演奏開始。黒人霊歌「アメイジング・グレイス」、モーツアルト、「アイネ・クライネ」第1楽章と続く。ここで確信する。千住の弾くヴァイオリンの音は今まで聴いた事がない音である。ヴァイオリンの音というより、ヴィオラの音に近いと感じた。その音が奏でるブラームスのソナタ第1番「雨の音」はドラマチックで、シンフォニーのようである。終了後、やや間があって、2階席から「ブラヴォー」という声が飛ぶ。
 休憩時間、真夏の外気と比較すると、大ホールはキンキンに冷えている。
 第2部冒頭、千住が語る「皆様、会場を冷やして申しわけありません。実は、使用しているヴァイオリンは300年前に造られたストラディバリウスです。この楽器は湿気をきらいます。また、ヴァイオリン仲間では暴れ馬と呼ばれ、弾き熟すのが大変なのです。私も弾き熟すのに7年かかりました。今では私の体の一部です」。ネットで調べると、千住の持っているストラディバリウスは「デュランティ」と呼ばれる名器。最初の所有者はローマ法王”クレメント14世”だったとある。
 第2部では千住が「デュランティ」の魅力をあますところなく引き出す為の選曲である。クライスラー、ドビュシー、ポンセ、滝廉太郎と並ぶ。そして極め付けはサラサーテの「ツゴイネルワイゼン」。今まで聴いた事がない骨太で哀愁に満ちたツゴネルである。そのテクニックと力強さ、女性が弾いているとは思えない。
 これぞ、荒馬「デュランティ」を乗りこなした千住の技である。2階の客席から再び「ブラボー」の声が飛び、満員の会場に熱い拍手が鳴り響いた。
(ピアノ伴奏:山洞 智)



2017年7月11日火曜日

75才、東京・秋田夜行バス、トンボ帰り

6月、「中学同窓会&喜寿の祝い」があり、秋田に里帰りした。今月は会社OBで組織するパソコンクラブが東京地区と秋田地区の交流会を秋田でやるという。2ヶ月続けての秋田行となるが、費用はなんとか月々の小遣いで収めたい。ということで、6月に続いて、今回も夜行バスにした。(新幹線の半額)6月は秋田到着の夜、実家に泊めてもらったが、今回は交流会が終わった日の夜行バスで帰るという強行軍。75才の体力が持つかどうか・・・?。
 7月7日(金)23時10分、夜行バスは池袋西口を出発する。最近は21時には寝てしまうので、23時10分の池袋なんて別世界である。(写真・下)
西口の夜景を見て、現役の頃、銀座で梯子をして飲んだ頃を思い出す。夜行バスが出発する広場には外国人も交えた若い男女が、地べたに座って酒を飲みながら談笑。(そういえば、自分もカラヤンの切符を買うために日比谷公園で徹夜をした。)夜行バスを待つ間、色々な思い出が交錯する。
 夜行バスは3列。カーテンで仕切られ、前後左右の人は気にならない。ところが、当日は凄いイビキの音が車内に響き閉口した。8日(土)7時、バスは予定通り酒田駅に到着。羽越線で「にかほ」に北上し、10時からのパソコンクラブ交流会に参加。交流会は15時に終了。帰り「象潟駅」に下車、同期入社の今野隆君と会う。象潟は松尾芭蕉の「奥の細道」で有名。鳥海山があまりにも美しいので今野君にシャッターを押してもらう。(写真・上)
 20時40分、酒田発。帰りのバスは4列。トイレが付いてない。休憩の度に隣の席の方に立っていただく。寝付けないまま、9日(日)5時45分、新宿到着。夜行バスの疲れは10日まで残った。トンボ帰りは往復3列が限界と悟った。ちなみに、酒田、東京の料金、3列は¥7,870、4列は¥6,000だった。

2017年7月5日水曜日

カラヤン(下)普門館収録、関係者秘話

(1977年、普門館でベルリンフィルを指揮するカラヤン)

 1977年、普門館で行われたFM東京「TDKオリジナルコンサート」カラヤン・ベルリンフィルによるベートーヴェン交響曲全曲収録には数限りないエピソードがある。同全曲CDの解説書からそのいくつかを紹介する。
  
  東条碩夫(音楽評論 元FM東京プロデューサー)
 〇第5番「運命」の普門館での演奏は、彼等が残した如何なるレコーディングにおける演奏にも増して凄まじい力感に溢れているといえよう 〇録音エンジニアはエフエム東京の橋本正文が、他の7曲は若林駿介氏がつとめた 〇「第9」の本番直前、それまで快調だった収録用のアンプがトラブル。心の中でアンプを呪った。
  中山 実(大阪国際フェステバル協会元職員)
 〇1977年のベルリン・フィルの招聘は大阪フェステバル協会とNHKの競争となりました 〇ベルリンフィルは正団員約110人に約40人のエキストラを加えた総勢150名を超えるメンバーが来日しております。TV収録のある日は正団員が出なくてはならないという決まりがありました。「運命」「田園」はTV収録があったため正団員のみ出演している大変貴重な記録です。
  太田昌純(元中央宣興株式会社ディレクター)
 〇「なんで今さらカラヤンのベートーヴェンなの?」という声があった。しかし、69才のカラヤン、今回の東京公演のリハーサルは凄まじいものだった。それはまるですべての曲がまっさらな新曲で、今生まれたばかりの瑞々しいコンテクスト(文脈)を、オーケストラから呼び覚まそうとするかのようだった。
 
 *太田さんは静岡大学出身。前歴は音楽教師。クラシック音楽に人並外れた愛着を持っていた。スポンサーのCMにも注文をつけた。本編の音楽と調和のとれた”宣伝臭さのないCMを”と。番組の録音に若林さんの起用を要請したのも、小生と太田さんの意向だった。間にたって野原博さん(元中央宣興株式会社・営業局長)はいつも苦労されていた。野原さん、太田さんと3人で「カラヤン」の話をしたい。しかし、太田さんはもう旅立ってしまった。
 

2017年7月4日火曜日

カラヤン(中)1977年、普門館ライヴのCD化

1966年、日比谷公園で徹夜をしてカラヤンのチケットを買った私、その時、社内報の編集担当だった。その後、記録メディアの宣伝、カセットテープ、ビデオテープの商品企画、広報を歴任し、2000年、子会社であるTDKコアへ出向。定年まで残すところ、後2年。子会社でノンビリしたらという会社の親心だったと思う。
 これが、幸運だった。私は「TDKオリジナルコンサート」のCD化を提案した。
「TDKオリジナルコンサート」とは、1971年、私の上司だった芝崎彪さんが提案したクラシック音楽番組。国内外の名演奏家のコンサートを収録し、民法FM放送(FM東京等)で放送する、というものだった。芝崎さんは「世界のカセットTDK」を標榜した沖山昭八さんの部下、さすがスケールが大きい。
 TDKコアは教材、音楽等のソフトメーカー。レコードメーカーから移籍した社員もいた。「クラシック音楽のCD化?200~300枚も売れればいいんじゃない」という声もあった。しかし、チェロ奏者フルニエのCDを発売したところ初回オーダー2千、ベーム・ウィーンフィルは1万枚を超えた。これにはコアの社員のみならず、音楽業界もビックリ。2002年、松本社長から感謝状をいただくとともに、プレスクラブで定年祝いパーティまで開いていただいた。(6月ブログ)
 「TDKオリジナルコンサート」の目玉は1977年、東京普門館(5千名収容)で開催されたカラヤン・ベルリンフィルハーモニーだった。このCDが2010年、FM東京創立40周年事業としてCD化された。光栄にも定年後8年たった私にも解説書への寄稿依頼があった。(写真・上)その原稿をみると、カラヤン・ベルリンフィルの番組収録が実現したのは私が主催者である大阪フェステバル協会の中山実さん(当時)に働きかけたのがきっかけとある。夢は見続けるものである。

2017年7月2日日曜日

カラヤン(上)1966年、ビートルズとカラヤン来日

(筆者はテレビ画面に映るカラヤンを撮影した)

朝ドラ「ひよっこ」、みね子の叔父さん、宗男が茨城の山奥から上京する。目的はビートルズが来日。彼等と一緒に東京の空気を吸いたいというもの。時は1966年、昭和41年。小生24才。この年、クラシック音楽ファンの私にとっては指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが手兵ベルリンフィルハーモニー管弦楽団を引き連れての来日の方が大事件だった。
(以下、小生の自分史「ドリームⅩ」から・・・。)
 東京へ転勤して嬉しかったのはコンサートに行けることだった。カラヤンの来日はビートルズと並ぶくらいの大事件だった。カラヤンは帝王と呼ばれていた。美人モデルと結婚する一方、飛行機も操縦し、音楽以外の分野でも話題になった。会社の中でもカラヤンの演奏会に行きたいという女性が何人かいた。どうやって入場券を買うかである。入場券の発売は3月1日である。私は彼女達に神田にある社員クラブに泊まって初電が走る前にプレイガイドに並ぶことを提案した。
情報によると、入場券を買うファンが3日前から並びはじめ、既に千人以上、日比谷公園に並んでいるという。女性陣は社員クラブをキャンセルし、毛布を持ってかけつけた。クラブのおばさんが言った。「風邪をひかないように・・・。若い人っていいわね。そんな情熱があって。」翌日10時から切符が発売されたが、われわれが切符を買えたのは午後2時30分だった。
 購入した切符は4月13日の公演。曲目はベートーヴェンの交響曲第4番と第7番。
今、そのエアチェックCDを聴いている。当時カラヤン56才。気迫に満ちた演奏である。後年、私自身がカラヤンのベートーヴェン交響曲全集のCD化(1977年・普門館ライヴ)にかかわるとは夢にも思っていなかった。