14日、高校時代の友人、近藤實君からメールが入った。恩師、高橋彰三郎先生の訃報の知らせだった。秋田魁新報・訃報欄に「13日、肺炎のため自宅で死去。葬儀は16日午後」という記事が掲載されたという。
私は昭和32年、秋田県立鷹巣農林高校に入学した。当時、先生は22~3才、大学を出たばかりの新進気鋭、紅顔の美青年だった。先生は組は違うが同じ学年のクラスを担任。われわれが古希を迎えた平成22年には、私が企画した古希記念文集”飛翔70年「昭和35.36年卒業同窓生が歩んだ昭和平成の記録」”にお祝いのメッセージ”をいただいた。
16日、葬儀に参列した近藤君からメールをもらった。
貴君が発行した”飛翔70年”に掲載された先生のメッセージ「教え子の古希に寄せて」”がコピーされ参列者全員に配布された。ご遺族の計らいか、先生のご遺志かは知る由もないが(推測するに先生の意図と思われる)・・・。
このメールを読んで、胸が熱くなった。先生のお役に立てて良かったと思うとともに記録に残すことの大切さを実感した。
ちなみにメッセージの書きだしはこうである。”「鷹巣農林高校」、何とも甘やかな響きだ。心を穏やかに包む町の空気、そこで「教師人生」のスタートを切り、「青春」という名の、充実溢れる3年と9ヶ月を過ごした・・・”
先生は鷹巣農林の後、能代高校、本荘高校、秋田高校等、秋田県の有名高校を歴任され、秋田中央高校、秋田北高校の校長にまで昇りつめる。定年後は県立博物館館長を務めめられた・・・。ご冥福をお祈りいたします。
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