2017年3月30日木曜日

ラジオ少年と粋な高尾さん

 
<高尾さん(左)と沖山さん。下は高尾さんの日記”沖山君は全く有望な人である”と記されている>
 
 3月12日のブログで紹介したラジオ少年、沖山さんはTDK生え抜きではない。父親が早逝した沖山さんは電気店、新聞店でバイトをして学業を続けた。
 昭和26年、沖山さんは電波新聞社に就職した。社は電波ビルの3階、1-2階がTDKだった。編集、広告取りの後、あこがれの記者になった。TDK常務,高尾三郎氏の取材も行なった。高尾さんは「新聞記者もいいけれど、生産会社の世界に入ってみてはどうか」と沖山さんを誘う。ある日、高尾さんは電波新聞の平山社長を訪ねる。「平山君、沖山君をTDKで預かるから」「高尾さんからのお願いでは致し方ないですね。わかりました」。昭和34年、沖山さんはTDKに転職。転職当時、沖山さんは電波新聞社の時より給料が安かった。ボーナスの時、高尾さんはボーナスの他に「沖山夫人殿」と書いた熨斗袋を手渡した。
 秋田の工場にいた私は沖山さんのご意向もあり本社に転勤する。最初の仕事はTDKタイムズの編集だった。有名人と高尾さんが対談する「録音本番中」という企画があった。木暮美千代さん、朝丘雪路さんの取材に同行した。朝丘さんの時の取材場所は名古屋。東京オリンピックにあわせて開通したばかりの新幹線に乗った。高尾さんは一編集者に過ぎない私も一等車に乗せて下さった。夢のようなTDK時代のはじまりだった。
 高尾さんは慶応出身、TDKにこられる前は鐘紡サービスステーション所長。歌舞伎座の文士劇にも出演される文化人でもあった。「君達にもいろいろ経験させたいけどなあ。そうもいかんか」高尾さんがつぶやく。社員にも人生における「粋」の大切さを伝えたいというのが高尾さんの願望だと感じた。
 高尾さん、「粋」を「趣味」に置きかえれば、高尾さんのようにお金持ちでなくとも「粋」な人生を送ることができそうです。


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