TDK新社長、石黒成直さん(左)と私
ただいま、ご紹介いただきました畠山です。
TDKの歴代社長の中から3人の方について、お話しいたします。
一人目は初代社長、斎藤憲三さんです。斎藤さんは地元秋田では「ホラ憲」と呼ばれていました。「ホラ吹き憲三」という事です。しかし、斎藤さんは有言実行の方でした。昭和10年、鐘紡の津田信吾社長を訪ね、こう言います。「津田社長、これからは工業の時代です。私は日本人が発明した磁性材料フェライトを工業化したい。ついては会社の設立資金として10万円貸して下さい。ただし、事業が失敗した時は返却しなくて良いという条件で・・・」当時の10万円は現在の貨幣価値でいうと3億円くらいです。津田社長は目の前で10万円の小切手を斎藤さんに渡しました。斎藤さんの情熱が天下の津田社長の心を打ったのです。TDK誕生秘話です。
二人目はここにいらっしゃる6代目社長、澤部肇さんです。澤部さんの時代は激動の時代でした。TDKの売上の半分を占めていたカセット、VHSビデオといった記録メディア事業が衰退し、ゼロになりました。また、リーマンショックで、600億円の赤字が発生しました。この逆境を乗り越えるため、断腸の思いで、リストラを敢行。秋田魁新聞にはこう書かれました。「TDKの大規模人員削減計画”海外1万人、国内1千人”」。このリストラでTDKは見事に立ち直りました。澤部さんはTDKの永遠の発展を祈って秋田に「歴史館」を作りました。来月「歴史館」は「TDK歴史みらい館」として蘇ります。
三人目は8代目、石黒新社長です。石黒さんは1982年の入社ですが、入社の動機は音楽が趣味だったからだそうです。私は当時、カセットテープの商品企画を担当しており、ADカセットのヒットで社長表彰されました。ご縁を感じます。石黒さんは学生時代、札幌交響楽団とベートーヴェンの第9「合唱付」を歌っており、第9は暗唱されているとの事。第9の合唱はバリトンの「おお、友よ、この旋律ではない、もっと心に響く調べを・・・」の呼びかけではじまります。石黒さんは社員に「おお友よ・・・」と呼びかけたところです。9万名の社員とともに”歓喜の歌”を声高らかに歌って下さい。石黒さん、これからのTDK、よろしくお願いします。
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