3日、いつも素晴らしい音楽体験をさせてくれる隣町のNPO法人・龍ヶ崎ゲヴァントハウスにでかけた。この会はクラシック音楽の放送ライブを音源として使用し、素晴らしい音で再生。選曲と解説も一級である。
この日は前半、7月に亡くなられた、ピアニスト・中村紘子さん(写真)の演奏が披露された。コンサート、終了後、中村紘子は一流かどうかで、解説に当ったFさんのご意見をうかがった。Fさんは一流だというご意見だったが、小生は見方が違っていた。「東洋人としては一流だが、世界的に見た場合、やはり本場ヨーロッパの演奏家より劣る。ただ、ショパンコンクールで4位に入賞し、その後、日本のクラシック業界発展に貢献した業績は認める」というものだった。2人の見方は食い違ったまま飲み会に流れた。
私の経験からすると、クラシック音楽の本場はヨーロッパであり、演奏もヨーロッパ人に日本人はかなわないと思う。それは天下の小澤征爾にしても同じである。楽譜も読めない、楽器も演奏しない小生が、そんな事をいい、ブログにまで書く。(聴者である小生の特権である)
Fさんと中村紘子談義をして、自分も「老害」の分野に入ってきたと感じた。最近はどの会合にでても一番年上の方である。小生が自説を語りはじめると、皆さん遠慮する。これは注意しないといけない。「ボケ」と「頑固」。まさに「老害」である。
中村紘子さんの演奏をほとんど聴いていない小生だが、1969年作曲された矢代秋雄のピアノ協奏曲は中村さんが初演し、私も聴いた。日本人でもこんな素晴らしい曲が書けるんだと、認識を新たするとともに、演奏にも満足した。作品も演奏者も日本人、血の通った音楽になる。小生の本場主義はこの頃(小生27才)から既に固まっていたようだ。
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