(葬儀場玄関の看板と温容な遺影)
16日(日)「黒柳徹子のハートフルコンサート」の翌17日(月)、友人・黒澤君のお通夜だった。
17日、午後前橋市に向う。
黒澤君は高校時代の同級生。学校卒業後、前橋に婿養子になったと聞いている。(ただ苗字は黒澤のままだった。)東京近郊で開かれる新年会やゴルフコンペにはほとんど参加していた。
黒澤君は眉毛が濃く、大きな目玉。いつも笑顔を絶やさなかった。しかもいつも控え目。一言でいえばわれわれ同級生のアイドルだった。
彼と最期に会ったのは今年の5月。茨城ザ・ロイヤルカントリーで行われた同級生のコンペだった。ただ、この日は彼はプレーはせず、夜の宴会に加わっただけだった。前橋からゴルフ場までは150キロ。体調が悪い中を宴会に参加するだけに、運転してきたかと思うと胸が詰まる。
奥様の話しによると、ゴルフ場から帰った後、急激に体調を崩し、数度手術をしたが、治らず13日に帰らぬ人になってしまったという。
お通夜は午後6時から。私が葬儀場に着いたのは5時30分。葬儀場の玄関に「故黒澤和夫儀、葬儀祭告別式式場」という大きな立て看板があるのを見てビックリ。このような立て看板がでるのは町の名士だけである。式場を飾った花輪は50近い。同級生の前では控え目だった黒澤君、地元前橋では子供達に空手を教えるなど名士だったのである。彼は愛する奥様、お子様、お孫さんに囲まれて幸せだったに違いない。その温容な遺影がその全てを物語っていた。それにしても74才は早い。もう10年は頑張って欲しかった。
(会場には50近い花輪が手向けられていた)
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