2015年6月12日金曜日

祖先(畠山家)、故郷(鮎瀬)に対する思い


 兄が20年前にまとめた「鮎瀬畠山家累代事歴」によると、初代は畠山重忠、兄洋三は32代目。今年は重忠が生まれてから810年目となる。
 
 山北(神奈川県)にいる弟幸三から、「機会があったら畠山記念館にいくべきだ」と言われていた。9日、畠山記念館(港区白金台)を訪れた。(写真、左)最寄駅は高輪台(都営・浅草線)。地名を聞くだけで東京の住宅一等地である。「畠山記念館」展示の品は茶道具。国宝や重要文化財が展示されているが、茶道具には全く興味がない。驚いたのは記念館を取り巻く、庭である。都心とは思えない、深遠さである。昼なお暗い。そして、さらに驚いたのは隣接する白亜の建物。一見外国大使館のようだが、後で調べてみたら、「テラス白金」。その昔、「般若苑」という料亭で能舞台も付属していた。三島由紀夫、小説「宴のあと」の舞台にもなったという。
 「畠山記念館」を作ったのは能登国主畠山家の後裔、畠山一清。一清(1881-1971)は東京帝国大学卒業後、荏原製作所を創設した事業家。隣接する「般若苑」を居宅にしていた。一清は近代畠山家の著名人である。

 畠山家の初代、重忠もその長男重保も敵の刃に倒れるが、重保の妻、信子が秋田県羽川海岸に漂着。重忠が助けた秋田の勇将由利氏を頼ったいう。信子がフトコロにかくまっていた重光が、現在の畠山家がある鮎瀬で農業をはじめた。

 弟幸三は山北の鈴木家の養子になるが、故郷は忘れがたく、平成20年、新築した家に「鮎瀬亭」(写真・右)と命名する。

 今月27日、秋田で31代目一男(私の父)の17回忌が行われる。母チヨミは98才。矍鑠としている。畠山家の歴史は続く・・・。
 

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