2012年8月25日土曜日

文章は、その方の全存在の表現


 8月16日、牛久市の板前料理「ふしみ」で、「刈谷いしぶみの会」の暑気払いが行われた。
この会は私が住む刈谷団地の鈴木敏正さんが主宰する自分史の会である。
 私の向いの席は新しく入会された中村たかさんである。炎暑の中、神立からいらして下さった。
帰り、平成6年発行の「ふみつき」を手渡された。中村さんが足立区にお住まいの頃の同人誌である。「驚くわよ」と中村さんは言われた。
 「ふみつき」をみて、中村さんが内閣府に勤められていたこと、芥川賞作家の重兼芳子さんに師事されていたことを知った。確かに驚いた。
 私はあわてて牛久図書館に行き、重兼芳子さんの「さよならを言うまえに」を読んだ。この中に次ぎのような記述があった。
 「このあいだ『初めて文章を書く』(主婦の友社)という本を書きましたが、その中で、文章はハウツーでは教えられないということを何回も書きました。それはなぜかというと、文章というのは、その方の持っている全存在の表現だからなんですね。」

 同じく 「いしぶみの会」のメンバーである下遠野さんから見せていただいた本に渡辺昇一さんが、こんな事を書かれていた。
 「今の民主政治をよく見てください。民主政治と言いながらも、今生きている人たちだけですべて物事を決めてしまいます。-略ーそこには先祖が築いてきた伝統や遺産というものが考慮されておりません。あるいはこれから生まれてくる子どもたちのことが忘れさられております。百年前の祖先のこと、二百年後の子供たちのこと、そこに目を向けることこそが、本当の意味での民主主義だと思うのです。」

 お二人の言葉の重さ、深さを忘れない為にブログに書留ました。

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