2019年5月26日日曜日

令和、飲み会、ゴルフコンペ(85才まで頑張ろう)

5月19日(日)8時~10時、シルバー清掃バイト。終了後、高速に乗って笠間へ向かう。11時から開催されている常陸国出雲大社、春季大祭に滑り込む。急坂を登り大社へ。令和の幟”のぼり”がはためく。(写真)境内に響き渡る大太鼓の音と笛の音。やがて黒装束に身を固めた宮司が登場し祝詞を読む。歌舞伎役者のようである。令和元年の除災と招福を願う。
5月20日(月)銀座8丁目で日本記録メディア工業会・OB会の集い。TDK、日立マクセル、日本ビクター、大日本インキ、事務局OBが集う。(写真)「あの頃は良かった」「電磁変換特性は同じでも、磁性紛の違いで音が違う。最後は聴感だった」「私の祖父は学習院大学の院長をやっていた」等々・・・。OB会終了後、江戸橋にあるレコード会社へ。
5月22日(水)霞台カントリーで、TDK・OBゴルコンペ。天気良好。ドライバーショット130~150ヤードしか飛ばない。順位も最下位。ハンディ差でブービー賞いただく。イン、アウトとも50代に収まる。飛ばなくとも、アプローチとパットがよければ、まあ、格好がつく。
5月23日(木)セゴビアゴルフクラブ イン チヨダで、鷹農OBゴルフコンペ。クラブハウスの立派なのに驚く。(写真)秋田から遠征した阿部君(写真)と回る。前半アウトコース、池あり、バンカーありの難コース。ドライバーだとヘッドスピードが出ないので、スプーンでドライバーショットを打つ。「石岡ルートイン」で懇親会。阿部君に「いつまでゴルフやるつもり?」「85まで頑張ろう」



2019年5月11日土曜日

バスで大阪トンボ帰り。米寿の外山先生を聴く

 10日、久しぶりというか多分30年ぶりに大阪へ行った。
目的は10日、米寿(88才)を迎えた指揮者&作曲家、外山雄三先生の「第9」を聴くためである。
1960年、NHK交響楽団は世界一周の演奏旅行をした。その時指揮者として同行したのが岩城宏之(1932~2006)と外山先生である。オーケストラの世界一周演奏旅行としては1959年のカラヤン、ウィーンフィルに次ぐものだったという。
なぜ、小生が外山さんを先生と呼ぶか?それは中学生時代からの憧れの指揮者であると同時に外山先生の言動が他の指揮者と次元が違うからである。外山先生はご自分の作品や指揮法について黙したままである。その根底にあるのは「音楽は音で表現するものであり、自分の音楽に興味があるのであれば聴けばよい」と突き放す。活動の場も東京中心ではなく
大阪にある大阪交響楽団を主に指揮している。
 年金生活の身である。新幹線に乗るなど勿体ない。東京発7:10のバスに乗る。快晴。足柄サービスエリアで富士山がクッキリ。夕刻16時40分大阪着。コンサートは19:00からである。大阪城見学。天守閣がクッキリ。
 コンサートは「ザ・シンフォニーホール」で行われた。このホール、恐らく日本一、世界一ではないだろうか。残響を優先し、座席数は1,704席。このホールに響いた外山先生の「第9」は誠にスケールが大きく厳しいものだった。先生は一時間半、立ったままで指揮を執った。下半身は微動だにしないが、上半身はダイナミックに動き、楽員と合唱団を奮い立たせた。外山先生の演奏を大阪だけではなく、東京は勿論、日本、世界の音楽ファンに聴いて欲しい・・・。
 22:45、東京行きの夜行バスはJR難波を出発した。
 

2019年4月30日火曜日

デル・モナコ、バイロイト、小澤征爾

4月20日、龍ヶ崎ゲヴァントハウスで行われた東条碩夫先生の講演は昭和、平成を締めくくる素晴らしいものだった。札幌、名古屋、福島からもファンがかけつけた。
 東条先生は講演の後半で「東条碩夫が体験した昭和と平成のオペラ&コンサート、ハイライト10(国内)」を披露して下さった。
 〇イタリア・オペラ 1961年 デル・モナコ&テバルディ「アンドレア・シェニエ」
 〇ベルリン・ドイツオペラ 1963年 ベーム「フィデリオ」
 〇バイロイト音楽祭 1967年 「トリスタンとイゾルデ」
 〇ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団 1970年5月
 〇バースタイン指揮ニューヨーク・フィル 1970年9月 マーラー「9番」
 〇小澤征爾指揮日本フィル 1972年6月16日 マーラー「復活」
 〇クライバー指揮バイエルン州立管弦楽団 1986年5月 
 〇ロイヤル・オペラ 1987年10~11月 コリン・ディヴィス指揮「ピーター・グライムズ」
 〇サイトウ・キネン・フェステバル 1992年9月 小澤征爾指揮「エディプス王」
 〇キーロフ・オペラ 1993年11月 ゲルギエフ「炎の天使」
 このリストは私の体験とも重なる。
 〇イタリアオペラは私の中学から高校生時代、モノクロテレビで兄と視て興奮した。東条先生はモナコの声はオケを飛び越えて天井桟敷まで直線で飛んできたとコメントされたが、電波に乗って故郷秋田にも飛んできた。
 〇バイロイト音楽祭の時は25才。大学生の弟を連れて大阪へ。
 〇バーンスタインについては1990年、家内と大学生の娘、高校生の息子を連れて聴いた。曲目は「ウェストサイド物語」とベートーヴェンの「7番」だった。ウェスト・サイドを大植英次に指揮させたとして問題になった。
 ところで、「東条碩夫のコンサート日記」で語られた、最も貴重なエポックメーキングな事柄は1961年の”小澤征爾・N響事件”ではなかろうか?小澤はN響と対立。誰も楽員がいないステージに一人佇む小澤の写真が新聞で報道された。この時、東条先生は学生アルバイトとしてN響の音楽資料室に勤務していたという。

2019年4月29日月曜日

1966年カラヤン!日本クラシック音楽史の貴重な記録


日本のクラシック音楽CD市場には、毎月100タイトル前後の新譜が発売される。
その中で売れ筋は常にカラヤン(1908~1989)が指揮したもので、カラヤン指揮のCDは売上の20%~40%を占めるという。カラヤンは50年以上にわたって、日本のクラシック音楽産業を支え続けているのである。
 カラヤンブームが表面化したのは1966年のカラヤン&ベルリンフィルの来日公演だった。この時、私、24才。チケットを購入するために日比谷公園で徹夜した。同コンビは主要都市で公演を行い、日本のクラシック音楽ファンを熱狂させた。
 
 今年の3月、キングインターナショナルより、「1966年の音源がNHKに残っており、CD化するので資料提供して欲しい」という依頼があった。私の所属している龍ヶ崎ゲヴァントハウス(クラシック音楽同好会)には”カラヤニスト”と名乗る会員など沢山のカラヤンファンがいる。札幌の会員も資料を提供に協力。キングインターの部長さんが牛久まで来られるとう一幕もあった。
 4月27日、第1弾、東京で行われた「ベートーヴェン交響曲全集」他が発売された。53年前の記憶が蘇った。というか、当時を上回る感動を覚えた。ベートーベンの交響曲というと「英雄」「運命」「田園」「合唱」が有名だが愛称のないものも遜色ない。ベートーヴェンの天才ぶりを改めて実感した。
 同時発売されたブラームス・交響曲第1番に添付されている解説書に、ある評論家が「あれはブラームスではない、カラヤンは作品を素材にして、自分の演出力を鼓舞している」旨のことを書いているが、果たしてそうだろうか?全編に漲るカラヤンの気迫にウソはないと思うのだが・・・。
 カラヤン以前、以後も数多くの名指揮者が登場した。その時、必ずといってよいほど、比較されるのがカラヤンである。カラヤン指揮のCDが売れ続けるのはそこに起因しているのではないだろうか?

 今回、CD化にかけるキングさんの情熱にも感動。現役時代のように充実した日々を送ることができた。

2019年4月21日日曜日

名門土浦一高に学ぶ(下)ネットによる母校”鷹農”の復活

私の母校、鷹巣農林は2011年(平成23)統合された。
 母校を偲ぼうと思っても、土浦一高のように旧本館(国指定、重要文化財)が残っているわけでもない。実に淋しい。
幸いなことに2009年(平成21)、創立記念100年誌「翠緑萬古」が発刊された。記念誌をめくってみる。鷹農は1909年(明治42)、北秋田郡立農業高校として誕生した。
 新校舎の落成式の祝典を(写真・上)盛り上げたのは斎藤代議士と石川翁農聖の祝辞演説だったと、地元秋田魁新聞は伝えている。
 斎藤代議士とは斎藤宇一郎。「乾田馬耕」等を推進し、農業の生産性の向上に大きな貢献をした。石川翁とは石川理紀之助。秋田県の農業の神様、秋田の二宮尊徳と呼ばれた。「寝ていて人を起こすなかれ」が信条。斎藤宇一郎の息子、斎藤憲三はTDKを創立した。鷹農を卒業してTDKにお世話になった私は不思議な感動に襲われる。
 
これからはネット社会である。百年史もネットにアップすることで全世界すべての方々に見ていただける。後輩には教育、情報領域に詳しい方々が沢山いる。百年史を足掛かりに”鷹農”を復活させて欲しい。

校旗(左)

2019年4月14日日曜日

東条碩夫が体験した昭和、平成のクラシック音楽界エポックメーキング

音楽評論家、東条碩夫先生に龍ヶ崎ゲヴァントハウスの講演を打診したのは昨年の7月だった。東条先生が講演を引き受けて下さるかどうかは小生もメンバーも半信半疑だった。何しろ、先生は年間230回以上コンサートを聞かれている日本屈指のコンサートゴアである。聴かれたコンサートの感想を即日、ブログ「東条碩夫のコンサート日記」にアップされる。さらに新聞、音楽誌にも投稿されている。
 幸にも先生からお引き受けする。との回答をいただいた。″NPO法人として、隔週CDコンサートを開きクラシック音楽の普及活動を続けている音楽グループ″ということで、ご興味が沸いたようだ。
 問題は先生にお話しいただくテーマである。
 小生から元号がかわる時期でもあり「昭和、平成のクラシック音楽コンサートベストテン」という案を提示させていただいた。″うーん、なるほどね″という反応だった。元号が変わるのに合わせて昭和、平成を振り返るのはいいが、コンサートベストテンでは公式見解のようになってしまう・・・。最終的に先生から提示されたテーマは「東条碩夫が体験した昭和、平成のクラシック音楽界エポックメーキング」。当日、講演会で再生される演奏曲目(予定)は次のようになった。
 先生は評論家になる前、エフエム東京の名音楽プロデューサーとして、数々の名演奏をプロデュースされた。その感動的な場面を中心にエピソードを交えて語る。
 講演会はいよいよ今週20日(土)14:00から開かれる。(http://gewandhaus.sakura.ne.jp/wp/)
●1970 巨匠ジョージ・セル、最初で最後の来日。完璧無比の音づくりリハーサル
●1972 分裂直前の旧・日本フィルと小澤征爾の渾身のマーラー「復活」より
●1973 朝比奈隆がブルックナー演奏で自信を深めた第5番より
●1974 フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルのユーモアに溢れたアンコール
●1974 公開番組応募数11万5千。ノイマン指揮チェコフィルの「わが祖国」より
●1975 文化庁芸術祭大賞受賞。武満徹作曲「カトレーン」より
●1977 カラヤン指揮「運命」の中でも最大の力演といわれた普門館ライヴより

2019年4月8日月曜日

名門土浦一高に学ぶ(上)

私の住む牛久の隣町、土浦市に土浦一高がある。
ネット情報で同校を調べてみると、その存在価値に驚く。
同校は1897年(明治30)旧制茨城尋常中学(現茨城県立水戸第一高等学校土浦分校)として設立。戦前から前橋中学、高崎中学、宇都宮中学、水戸中学とともに北関東旧制五大中学として全国にその名を轟かせた。1948年(昭和23)土浦第一高等学校発足。東大の戦後累計合格者数は2018年時点で1006人、北関東3県で初めて東大累計合格者数1000名を超えた学校である。1997年(43名合格)と2001年の2度、全国の公立高校の東京大学合格者数でトップになっている。
 土浦一高の象徴が1904年(明治37)に建てられた旧本館である。(写真)この建物は1976年(昭和51)旧制太田中学校の講堂とともに、全国の旧制中学の建造物として初めて国の重要文化財に指定された。
 同校を語る時、忘れてならないのが「進修同窓会」の存在である。この会は1937年(昭和12)発足。以後、土浦一高を支え続けている。杉田幸雄学校長は平成30年の会報でこう述べている「明治、大正、昭和、平成、そして次の時代へと時は流れても、この旧本館が本校卒業生の心のシンボルとして、土浦一高の繁栄とともに残り続けて欲しい、心より願うものです」
 翻って、私の母校、秋田県立鷹巣農林高等学校はどうであろう。
 鷹農は1909年(明治42)の設立。大分の日田林工高、長野の木曽山林高とともに、日本の三大農林高校ともいわれた。日田林工と木曽山林は依然存在しているが、わが母校は2011年(平成23)に統合され、鷹巣農林は消滅した。母校の校旗は、アルバムは、機関紙等はどうなったのであろうか?
 ネットで土浦一高を検索し、わが母校の歴史もネットで検索できるようにならないか?そのようなワークができるような同窓生がでてこないものか?と思いを巡らす。現実としては毎年の同窓会が長く続くよう祈る・・・。