2020年7月15日水曜日
自分の人生と重なる行方洋一先生の歩んだ道
行方洋一さん、元東芝音楽工業のレコーディングエンジニア。坂本九、弘田三枝子、欧陽菲菲、奥村チヨ、ザ・ドリフターズ等の録音を手がける一方、SⅬ(蒸気機関車)の録音でも名録音を残す。海外の録音スタジオを視察した時、JBLのスピーカーの音に惚れ込み、日本における輸入販売の切っ掛けを作る。オーディオ評論家としても活躍。伝説のエンジニアである。
行方洋一著「音職人・行方洋一の仕事」はニッポンの録音史である。
この本を読むと自分の人生と重なるところがいくつかあった。
①まず年齢。行方先生1943年生まれ。自分は1942年生まれ。先生のお名前を知ったのは30才の頃。行方さんは業界では既に有名人だったので、著書を読むまで年上だと思っていた。
②先生が東芝に入社したころはアナログ時代。録音媒体はオープンテープ。自分はTDKで放送局やレコード会社にオープンテープの販売をしていた。著書に”アジマス”という言葉がでてくる。テープ録音に欠かせない技術用語である。
③自分は33才の時、磁気テープの商品企画担当になる。当時、FM放送からテープに録音するエアチェックブーム。FM番組誌が4種類も発売され「テープサウンド」というテープ録音についての専門誌まで登場。自分は各誌に執筆するオーディオ評論家の先生との付き合いが深くなる。先生がフリーになった時、「テープサウンド」編集部を事務所がわりにしていたのだという。CD時代を迎え、同誌は「ステレオサウンド」誌に統合される。
④先生が土浦在住ということは承知していて、随分遠いところに住んでいるなと思っていたが、自分は今土浦の近くの牛久に住んでいる。
著書を読んで、音楽・オーディオファンは「アナログの音がいいとかデジタルの音がいいとか」言い合っているがレコード(CD)制作には録音エンジニアがかかわっていて、音づくりをしていることを忘れてはいけない。と改めて感じた。
ドイツには「トーンマイスター(音職人)」という国家資格があるが、音についての国家資格制度のない日本でレコディングエンジニアの地位を築いた行方先生の功績は大きい。
2020年7月12日日曜日
HARD OFFで中古品の銘機に出会う
最近は体の方にガタがきているが、オーディオ機器が相次いて故障。昨年末はCDプレーヤとアンプがイカレタ。(12月15日、ブログ)買い換えたアンプについてはパワー感、特に低域が不足しているが、音に透明感があり、ほぼ満足し
ていた。しかし、先週、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を聴いて愕然。ワーグナーの深淵な音楽がでてこない。ビルギット・二ルソンという名ソプラノ歌手の声が軽く聴こえる。これはイカン!楽器の音は音質が多少変化しても我慢できるが人間の声が違って聴こえるのは致命的である。
もしや、掘り出し物はないかと市内のHARD OFFに行ったら、ありました。DENON PMA-2000Ⅱである。(写真・上)昨年故障したアンプの後継機種である。1998年オーディオ大賞で「グランプリjr」を受章した銘機だ。定価10万円だが、オーディオ評
論家・長岡鉄男は20万円級の上質な音と評した。店頭中古価格は¥49,500。
セッティングして音を出したら、スピーカーが生まれ変わったように蘇った。低音が鳴ると、床まで響く。凄い!気分をよくしてたまにはスピーカーの埃でもとってやろうかと、サランネットを外したところ、愕然。なんとウーハーのエッジに穴が空いているではないか!(写真・中)音が良くとも、穴空きのウーハーを見てしまうとさすがに精神衛生上、良くない・・・。そこで思いだした。HARD OFFの店頭にスピーカーがあったな!もしかして、そのもしかしてが的中した。現在使用中のONKYO Ⅾ-77FRXの後継機種、Ⅾ-77MRⅩが店頭に並んでいた。(写真・下、2000年制、定価11万)。店頭中古価格¥44,000。即購入した。
聴いてみると、FRXのように床鳴りするような重低音は出ない。低音は締まっている。FRXの床に響く重低音はウーハーの穴がバックロードホーンのような作用したのではないかと推測する。
最近のスピーカーの新製品は背の高いトールボーイかコンパクトなものが多い。しかもバカみたいに高い。3ウェイ方式の方が高音から低音までメリハリがあり繋がりのある音がでるはずである。その点からMRXは中古品でなと手に入らない銘機である。
2020年7月7日火曜日
三浦環のオペラアリアを聴く
7月6日、友人である西宮さんからのメール。
「コロナ騒動まだまだ終息しそうもありません。小生巣籠状態です。先日は友人から譲り受けたSPレコード200枚ほど、水洗いしました。(写真)
友人の父上(祖父?)のものだったようで、全て戦前(昭和15年頃)のものでした。
その中になんとNHK朝ドラで話題の三浦環の”カヴァレリア・ルスティカーナ”のSPがありました。(写真)音は雑音だらけですが聴い
てみて下さい」
NHK朝ドラ「エール」は福島出身の作曲家、古山祐一”古関裕而(1909~1989)”を主人公にしたドラマである。主人公の恋人(後・結婚)音は少女時代、教会で双浦環”三浦環(1884~1946)”のソプラノを聴き感動。歌手になることを決意する。
三浦環は日本人で初めて国際的に評価されたオペラ歌手。1936年には凱旋帰国し、歌舞伎座でイタリア語で「蝶々夫人」を公演。この後、歌曲やオペラアリアのレコーディングを行った。二宮さんが水洗いしたSPレコードはこの時レコーディングしたものである。
送信されてきた三浦環の「カヴァレリア・ルスチカーナ」、確かに雑音は多いが、かすかに聴こえる名唱に感慨を新たにした。(写真下▷をクリックするとSPが再生されます)なお、ユーチューブを検索すると、三浦環の歌った「ある晴れた日」をクリアな音で聴くことができる。また、古関裕而の奥さん、内山金子の歌唱も聴くことができる。
2020年6月29日月曜日
鷹農は永遠!⑥郡立時代(明治)のエピソード
(小生の母校、秋田県立鷹巣農林高校は2010年、統合により廃校。卒業生の一人として母校を語り継ぐ)
鷹巣農林は明治43年、郡立農林学校として設立された。(写真)当時の学校職員や生徒の思い出が同窓会誌「農と林」創刊号(昭和4年発行)に掲載されている。
「私が郡立農林学校に奉職したのは、明治43年11月。校長は前田復二郎先生、教頭は農学士の中村胖先生。当時の学校職員と地元村民との親睦は非常に濃厚なもので、村民の冠婚葬祭は勿論、その他四季折々何かにつけて招待されたものです。後で沢口小学校長になられた千葉哲郎先生は婚礼の式に招待された時、あまりに歓待されて帰してくれないので、縁側から素足で逃げ出したことや、春先、妹尾館という部落で鯉料理をご馳走になった時は夜遅くなってもなかなか帰してくれない、出口に番人がついているという警戒ぶり。窓から逃げだしたら、窓の下は苗代になっており、泥まみれになって帰った先生もいた。」
「大曲で開催された県農会主催種苗交換会に日帰りで行きました。午前2時に起きて七日市村を出発。霜を踏んで2里(8キロ)、鷹巣駅到着。そこから汽車で大曲へ。見学を終えて大曲発の終列車で鷹巣へ。また、2里の道を歩いて村まで帰りました」
「当時の郡長さんは偉いものでした。町村長など比較にならない。その郡長が初代農林学校長でした。私の父は村長だったし、貴君には息子がいる筈、是非農林へ。といわれれば断れない。私たちは子供でした。なぜ、農林に入ったかわからなかった」
農聖といわれた石川理紀之助翁が農林を訪れ書を残した。
「田をつくる家のおしえは鋤鍬を みづからとるの外なかりけり」
(9月1日予定されていた東京伊勢堂会はコロナ自粛に配慮し、中止となりました)
「私が郡立農林学校に奉職したのは、明治43年11月。校長は前田復二郎先生、教頭は農学士の中村胖先生。当時の学校職員と地元村民との親睦は非常に濃厚なもので、村民の冠婚葬祭は勿論、その他四季折々何かにつけて招待されたものです。後で沢口小学校長になられた千葉哲郎先生は婚礼の式に招待された時、あまりに歓待されて帰してくれないので、縁側から素足で逃げ出したことや、春先、妹尾館という部落で鯉料理をご馳走になった時は夜遅くなってもなかなか帰してくれない、出口に番人がついているという警戒ぶり。窓から逃げだしたら、窓の下は苗代になっており、泥まみれになって帰った先生もいた。」
「大曲で開催された県農会主催種苗交換会に日帰りで行きました。午前2時に起きて七日市村を出発。霜を踏んで2里(8キロ)、鷹巣駅到着。そこから汽車で大曲へ。見学を終えて大曲発の終列車で鷹巣へ。また、2里の道を歩いて村まで帰りました」
「当時の郡長さんは偉いものでした。町村長など比較にならない。その郡長が初代農林学校長でした。私の父は村長だったし、貴君には息子がいる筈、是非農林へ。といわれれば断れない。私たちは子供でした。なぜ、農林に入ったかわからなかった」
農聖といわれた石川理紀之助翁が農林を訪れ書を残した。
「田をつくる家のおしえは鋤鍬を みづからとるの外なかりけり」
(9月1日予定されていた東京伊勢堂会はコロナ自粛に配慮し、中止となりました)
2020年6月21日日曜日
コロナと「父の日」
6月20日は「父の日」。
いつもは「父の日」は忘れていることもあり、子供達からお祝いをいただいて、そうか「父の日」だったと認識することが多かった。ただ、今年は「父の日」を大分前から意識していた。それは「コロナ」騒動があるからである。
子供たちの勤務している会社もコロナで大変だろう、業績はどうだろう、夏のボーナスはどうなるのだろう、と心配である。こんな時「父の日」なんて罪な記念日だ、子供達の重荷になるだけ・・・。息子、娘夫婦も、それぞれ三人の子供を抱えている。
20日から21日にかけて息子、娘夫婦からお祝のお酒が届いた。ホッと一息である。元気でやっているようだ。一段落したら、孫達の顔を見せに来て欲しい。それが最大のプレゼントである。
ところでオヤジ、今年はいろいろなことがあった。生まれてはじめて腹を切った。(脱腸)眼医者にも行った、痛風にもかかった。今月は上の奥歯を4本抜いた。今まで土浦の歯医者に行っていたのだが、コロナの影響もあり、地元(牛久駅前)の歯医者に行ったところ、「お客さん、根が腐ってますよ」ということで、イキナリ抜歯。現在、ウサギのように前歯で食事をしている。
愛車の三菱「エアトレック」もちょっと調子が悪い。近所の車屋さんに見てもらったらエンジンシャフトから油が漏れているという。車屋さんが気を使ってくれて再生の部品を仕入れて交換してくれた。新品だと10万くらいかかるところ、5万6千で済んだ。
シャフト交換後の車の滑りの良いこと。新車のよう・・・。小型車への乗り換えをすすめて下さる方もいるが、「エアトレック」を手放す気はない。9月車検。
息子からは2~3年前から「オヤジ、そろそろ免許返上したら・・・」と忠告されているが、「エアトレック」が元気な間は頑張りたい。「エアトレック」2001年購入。まだ12万3千キロしか走っていない。
2020年6月16日火曜日
コロナに翻弄されるベテランズ(老人)クラブ活動
暇なわけではありませんが、尊敬する先輩に依頼され、4月よりベテランズ(老人)クラブの副会長に就任。
わが刈谷ベテランズクラブは1983年(昭和58)の設立。刈谷地区在住で60才になると入会資格がある。
現在会員数90名。毎週木曜日に定例会を開いている。60名以上が参加する。ラジオ体操、リハビリ体操をやり、会長の話を聞き、テーブルを囲んで四方山話。カラオケを歌ったり、麻雀をやったり。毎月第3木曜日には誕生会をやり、ハピーバースディ・トゥ・ユーを歌う。
が、就任早々、コロナ騒動。会場の自治会館は5月末まで閉鎖。6月から使用可能となったが、ソーシャルディスタンス(3密)を遵守するという条件がついた。
ソーシャルディスタンスを遵守するとなると、60名以上収容可能の会場に30名弱の人数しか入れない。(写真)対応策として会合を2部制にして、開催するしかない。ラジオ体操、カラオケ等は中止。役員である小生は会長、女性副部長と協力して会員の為にと試行錯誤。イヤー大変な日々です。
私が牛久市・刈谷に引越したのは1980年(昭和55年)、38才の時である。あれから丁度40年、娘と息子は刈谷の小学校、中学校で学び、今は壮年の社会人。感慨深い。お世話になった刈谷の方々のために働く年回りなのだろう。
老人クラブと並行して、隣町の音楽同好会・竜ケ崎ゲヴァントハウス理事として秋口に東京から著名な音楽評論家、オーディオ評論家を講師として招聘する。講演会には生まれ故郷、秋田からも熱心なオーディオファンがかけつけることになった。コロナ苦境に喘ぐ、オーケストラのCD化もサポート。なかなか忙しい。
息抜きにグランドゴルフをやっていたら、こちらの役員もやってくれという。今年は自治会の班長でもある。これらを処理するためには生産性を上げるしかない。テレワークを活用することも大事だ。
アッという間に今年も半ばになってしまった。
2020年6月6日土曜日
コロナwithゴルフを楽しむ
5月24日、会社の後輩Aさんからメール。珍しい。コロナの影響で仲間が見つからず、小生にお鉢が回ってきたらしい。理由はどうあれ嬉しい。
ゴルフは今年初めてである。久しぶりにゴルフバックの点検。ボールを確認したり、ティを確認。ところでゴルフシューズは・・・?靴棚を空けて有ったあった。持ち上げてみる
といやに重い。確認するとゴルフシューズではなく登山靴だった。ボケたものである。
場所は家から約30キロの桜ゴルフ倶楽部。初めてのゴルフ場である。110、できれば100を切りたいと意気揚々とでかけた。前半のハーフは54、まずまずである。後半は前半の反省をして110を目指そう。しかし、そうはいかなかった。短いパットがことごとく外れ、59の大叩き。トータル113。でもゴルフは楽しい。驚いたのはプレー料金。5千円でお釣りがきた。Aさん、下手な先輩だけどまた誘ってね。
6月2日、またまたゴルフ。こちらは昨年末から予定していたもの。高校時代の同窓コンペである。昨年末2組予定していたのだが、コロナ騒ぎと、ご高齢からくるアクシデント(脚立から落ちた等)で、後輩のT君と二人だけのプレーになった。場所は家の近所(10キロ)の「ザ・カントリークラブ竜ケ崎」。このゴルフ場の立派なのには驚く。クラブハウスは宮殿のようである。(写真)ゴルフ場も距離がタップリあり美しい。この日のハイライトは160ヤードショート。池を避けてのドライバーショット、2打目7番アイアンでピン側に寄せてパー。309ヤードパー4、3打目をピン側に寄せてパー。しかし、その他のホールは散々。120以上のスコアとなった。T君は絶好調。ドライバーショットがことごとく200ヤード以上ぶっ飛んだ。料金は10,950。「先輩、このゴルフ場2万円の価値があるよ」と上機嫌のT君。
桜と竜ケ崎を比較すると入会金は25万対130万、年会費が3万対10万でした。
ゴルフは今年初めてである。久しぶりにゴルフバックの点検。ボールを確認したり、ティを確認。ところでゴルフシューズは・・・?靴棚を空けて有ったあった。持ち上げてみる
といやに重い。確認するとゴルフシューズではなく登山靴だった。ボケたものである。
場所は家から約30キロの桜ゴルフ倶楽部。初めてのゴルフ場である。110、できれば100を切りたいと意気揚々とでかけた。前半のハーフは54、まずまずである。後半は前半の反省をして110を目指そう。しかし、そうはいかなかった。短いパットがことごとく外れ、59の大叩き。トータル113。でもゴルフは楽しい。驚いたのはプレー料金。5千円でお釣りがきた。Aさん、下手な先輩だけどまた誘ってね。
6月2日、またまたゴルフ。こちらは昨年末から予定していたもの。高校時代の同窓コンペである。昨年末2組予定していたのだが、コロナ騒ぎと、ご高齢からくるアクシデント(脚立から落ちた等)で、後輩のT君と二人だけのプレーになった。場所は家の近所(10キロ)の「ザ・カントリークラブ竜ケ崎」。このゴルフ場の立派なのには驚く。クラブハウスは宮殿のようである。(写真)ゴルフ場も距離がタップリあり美しい。この日のハイライトは160ヤードショート。池を避けてのドライバーショット、2打目7番アイアンでピン側に寄せてパー。309ヤードパー4、3打目をピン側に寄せてパー。しかし、その他のホールは散々。120以上のスコアとなった。T君は絶好調。ドライバーショットがことごとく200ヤード以上ぶっ飛んだ。料金は10,950。「先輩、このゴルフ場2万円の価値があるよ」と上機嫌のT君。
桜と竜ケ崎を比較すると入会金は25万対130万、年会費が3万対10万でした。
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