松山と一緒にラウンドしたのは、今年のマスターズでも一緒だったアメリカのシャウフェレ。シャウフェレはマスターズで負けた悔しさをオリンピックで晴らそうと考えていた。彼の祖父母は台湾人で渋谷に住んでいた。金メダルを獲れば祖父母にも喜んでもらえる。松山はオリンピック直前に新型コロナウィルスにかかり、体調は万全ではなかった。が、自国開催のオリンピック金メダルに静かな闘志を燃やしていた。
テレビ観戦の小生はここで松山の金メダルを確信した。が、続く15番ホールから松山のパットが変調。通常であれば入るはずのパットがことごとくホールを通過する。シャウフェルとの差は17番ホールで3打差となり金メダルは絶望となる。さらに最終18番ホール、松山は入れば単独3位(銅メダル)のバーディパットを外し、7人で銅メダルを争うプレーオフへ。ここではパーパットが入らず脱落。メダルを逃す。
アマでもプロでもパットが入らない時の迷いは同じだと感じた。いかに冷静になれるかであるがこれが難しい。シャウフェルは金メダルパットの直前、グリーン上でしゃがみ込んだ「心臓の鼓動が早くなってどうしようもなかった。だから目を閉じて、頭を下げて目の前のパットに集中した。このパットを決めればいい。難しいことではないんだ」松山は「ショットは調子を戻せていたが、パットで自分の弱いところがでてしまった。気力だけでプレーしていて最後は力尽きた」と語った。
5時間にわたる死闘は、山あり谷ありの人生を見るようだった。松山さん、シャウフェルさん、感動ありがとう。
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
返信削除