2021年3月31日水曜日

令和カセット物語④MA-Rの変遷

台湾の方から「 TDK歴史みらい館」に寄せられた2つ目の質問は次の通り。
「TDKが1990年に発売した最高峰の”MA-XG Fermo”は”MA-XG”とどこが違うのですか?またどちらの方がポジションが高いのでしょうか?どちらかが、海外バージョンなのでしょうか?」
→”MA-XG”は1985年、”MA-R”の後継品として発売された。”MA-XG Fermo"は1990年、”MA-XG”の後継品として発売された。”MA-XG” ”MA-XG Fermo”とも”MA-R”の後継品であり、ランク(ポジション)の違いはない。また、日本、海外とも同一デザインである。
 なお、”MA-R”は1979年発売された。Ⅽ-60¥2,000という価格にもかかわらず、月10万巻(平均3万巻/日本)売れた。
 MA-Rシリーズの変遷については「カセットテープ・コンプリートブック」(ステレオ時代特別編集)誌がうまくまとめているので、同誌を台湾の方に紹介した。

 TDKは2005年、カセットテープ等、記録メディア事業から撤退した。しかし、TDKとカセットテープのご縁は切れることがない。元気な間はカセットテープについて語り継いでいきたい。
 NHK「プロジェクトⅩ」の画面にTDKカセットの開発、販売に携わった関係者の写真が登場する。諸先輩と一緒に小生の顔も(右上)。光栄である。


   







2021年3月30日火曜日

令和カセット物語③NHK「プロジェクトⅩ」


 3月22日、秋田にある「TDK歴史みらい館」からメールが入った。
問合せは2件。台湾の方からだという。一つは「TDKが1968年、世界初の音楽テープを発売したというのは本当でしょうか・・・etc」
問合せ者は客観的な見地を求めているというので、2005,2,15放送されたNHK「プロジェクトⅩ」を再生してみた。
中島みゆきの歌う「地上の星」がテーマ曲のドキュメンタリー番組である。
貴重な映像が次々とでてきた。

①フィリップスが試作品として作ったカセット(写真・上)→1962年、TDKの技術者・伊藤福蔵氏がヨーロッパ帰りの友人から戴いたお土産だった。試作品200台の1台だという。この試作品をもとにTDKはカセットテープの開発を行った。
②アメリカにおけるSD発表の模様(写真・中)→1968年、TDKはアメリカのコンシューマ・エレクトロニクスショーでSDを発表

し、発売した。
③アポロ11号打ち上げ(写真・下)→1969年、SDカセットはアポロ11号に搭載され、奇跡の通信記録を録音した。

この番組には上記の他、次のエピソードや映像が登場する。●盲目の盲人歌手、スティービー・ワンダーがSDのCMに出演に際し「あなたたちが私を選ぶ前に私はあなたたちのテープを選んだ」

●TEACがSDに刺激され開発した世界初のカセットデッキ●オーディオ評論家・斉藤宏嗣氏●TDK・大歳事業部長等、カセットの責任者たち。大歳(後の会長)はこう語る。「部品メーカーでも自ら市場を切り開こうとしなければ生き残れない」

(この番組をNHKに提案したのは、TDK・広報、岩澤克恵さんである。)

2021年3月27日土曜日

令和カセット物語②特許庁重要発明「AVILYN」


2月28日、梅木先輩からメールが送信されてきた。
TDKが開発し、1978年大河内技術記念賞を受賞し、さらに1985年、特許庁百周年記念事業で重要発明53件に入った、Co被着型高性能磁性紛(商品名AVILYN)に関するものだった。
アビリン(AVILYN)はハイポジション用カセット「SA」(1975年発売)に使用された磁性材である。
カセットテープにはノーマル、ハイ、メタルという3つのポジションがあるが、この3つのポジションでTDKはシンボルともいえる商品を開発している。
最も有名なのが、1968年発売したノーマルポジション用スーパーダイナミック「SD」。「SD」は世界初の音楽用カセットと知られている。アポロ11号にも搭載された。

次に有名なのが、1979年発売されたメタルポジション用カセット「MA-R」。
このカセットはハーフにダイキャストを使用している。今でもカセットテープのシンボル商品に位置付けられている。
「SD」と「MA-R」があまりにも有名だけに「SA」はやや陰が薄いが、磁性材料メーカーであるTDKの本領を発揮したのが「SA」である。「SA」はアビリン磁性材独特の音がする。アナログサウンドだけがもちうる神秘の音である。
 ハイポジションはアメリカのデュポン社が開発したテープを基準にして作られたが、後発だったSAが音質的に優れていたため、このポジションでもTDKはトップになった。アビリン磁性材はカセットの他、VHSビデオにも使用され、TDKの記録メディア事業を支えた。


2021年3月25日木曜日

令和カセット物語①開発者死去

 

3月13日、カセットテープを開発したオランダの技術者、ルー・オッテンス氏が94才で死去したと報じられた。同氏は1926年生まれ。60年代、オランダ・フリップスの開発部長としてカセットの開発に携わった。ポケットに収まるサイズの薄い木片を使い、開発するカセットの形に思いを巡らせたという。(64年、フィリップス、カセット提案)
カセットの特許は無償公開され、その商品化に尽力したのが日本のメーカーである。(66年、日本各メーカー、カセット発売)79年ソニーは携帯カセットプレーヤー「ウォーマン」を開発。野外で音楽を聴くいう新しい音楽の鑑賞スタイルを提示した。
カセットテープの累計販売巻数は1千億巻と報じている。日本磁気テープ工業会調べによると、カセットテープ全盛期(1992年)の世界の販売巻数は19億5千万巻(日本4憶、アメリカ4,15億、欧州4,76億、その他6,66億)となっているので、1千億というのは多い気がする。工業会で把握できないものが数多くあったということだろう。なお、小生が現役の頃のTDKのカセットの売上金額は年7百億円だった。全世界でシェアトップ(ブランド品のブランクテープ)となり、利益率は高かった。ビジネスはトップにならなければと感じた。
特に小生は75年~87年までカセットの商品企画を担当していた。その間、13回、海外出張をした。83年にはドバイ、サウジアラビア、バーレーンまで旅をした。カセット担当の「アラビアのロレンス」である。目的は新商品の説明と、市場調査である。といえば、小生はエリート社員のようであるが、学歴は農林高校卒である。語学は全くできない。一流大学出身の海外駐在員の方々がアテンドしてくれた。
 私の取柄といえば、録音の仕組み、テープとレコーダの相性、聴感評価について、オーディオ・音楽評論家と会話ができた。ということだろう。カセットがなかったら、私の今はなかった。棺に入る時はカセットテープも一緒に入れるつもりである。

2021年3月16日火曜日

女子大生の闘病記(3)大手出版社に決定


 監修のお手伝いをしている「女子大生の闘病記」の初稿が完成した。
7日(日)、著者(女子大生)とお母さんにお目にかかり、校正作業をすることになった。指定された場所は秋葉原にあるルノワールの会議室。時間は13:30である。
 どうせ、東京にでかけるのだから、早目にでかけてコロナ下の都内を歩いてみようと思った。東京に着いて、「そうだ!」と思った。「どうせだったら、出版社へ行ってみよう」。
直木賞作家の本も出版している大手出版社の門を叩いた。「闘病記」の前書きと目次を見ていただいたところ「当社でやらせてくれませんか!」という反応。
 校正作業が終わった後、著者とお母さんに作業の前に出版社の門を叩いたことを告げると、2人は驚くとともに、反応が前向きだった事を告げると2人の顔が輝いた。了解をいただいて、出版社に全編送信した。
 9日(火)、お母さんと出版社を訪問。担当者から作品の講評をうかがう。
 「大学の卒業式を控えた年、手術を受けるも回復が見られず、難病と診断された女子大生の壮絶な体験と回復までの道のりを描き切った闘病記だ。治療法が確立されていないのにもかかわらず提案される数々のリハビリや手術に対する不安と、回復するかもしれないという一抹の希望の狭間で揺れ動く女子大生の心情描写はあまりにも痛々しく、目を背けたくなるようなリアリティがある。患者にとって唯一の頼れる存在である病院側から受けた説明に対する不信感や怒りは、同じ経験をしたことのない読者であっても強く共感するほどに感情を揺さぶられることだろう」
 さすが、一流出版社である。講評の表現が素晴らしい!
 出版費用は町の印刷屋と比較すると数倍になるが、お母さんの娘さんに対する愛情は高額を乗り越え、出版契約の決意をする。来年2月発売予定。書店にも並ぶ。


 高い買い物をさせてしまったのではないかという思いもあるが、出版社の方も誠意のある方だった。きっと、著者の人生の記念碑になるとともに、社会のお役に立つと思う。
 
 今月、79才の誕生日を迎える小生にとっても、想定外のメモリアルなできごとである。
11日(木)、地元老人会から誕生祝い(3月)の赤飯をいただいた。
 
 



2021年3月6日土曜日

女子大生の闘病記(2)感動の56,000字



今、縁あって難病に苦しんだお嬢さんの手記の監修を行っている。

お嬢さんから提供された日記やメモをまとめたら、56,000字(400字×140枚)になった。

なんとか本になりそうな分量である。内容は難病と戦った手記で感動的である。

分量が少ないのではないかと不安だったが、図書館にいって単行本の分量を見てみると、なんとか体裁は整いそうである。
参考までに同じような分量の単行本を借りてきた。
「寂聴先生ありがとう」 瀬尾まなほ著 朝日新聞出版
「家族戦争」西舘好子 幻冬舎
「師・井伏鱒二の思い出」 三浦哲郎 新潮社
体裁を参考にするつもりで借りてきたのだが、偶然にもこの3冊、随筆、戯曲(調)、文学の代表作といってよい。
「寂聴先生ありがとう」はベストセラー作家、瀬戸内寂聴の秘書だった瀬尾さんが書いたエッセー。
「家族戦争」は制作集団”こまつ座”を主宰した作家、井上ひさしの奥さんだった西舘さんの書いたもの。この本、お芝居を観てるような迫力。井上ひさしの異常人格が浮き彫りになる。西舘さん、殺されずに、よくも生き延びましたね。
「師・井伏鱒二の思い出」。これは「家族戦争」とは対象的にドラマチックなものはなにもない。井伏鱒二を中心にした作家達の交流が坦々と語られている。がその文章力が凄い。さりげない文章で奥深い人間の機微を表現する。これぞ文学作品、芸術である。

ところで、お預かりしている、お嬢さんの闘病記はどうだろう。
ご心配なく。ベットで綴ったお嬢さんの詩が胸を打つ。青春時代をメスと劇薬と電気ショックで痛めつけられた乙女の心情が痛々しい・・・。

2021年3月2日火曜日

ベテランズ(老人)クラブ役員卒業

 昨年、居住している牛久市刈谷町のベテランズクラブ副会長に就任した。
尊敬する同クラブ顧問の要請によるものだった。1年間限定ということで引き受けた。
私も80才近い。(今年79才)やるからには悔いを残さないようにとの思いもあった。
生憎コロナ禍に会い、会場である自治会館は12月~2月まで閉館。恒例のバス研修旅行、盆踊り等も中止になった。
そのような悪条件の中で、市役所職員による「出前講座」、地域文化人による「特別講座」を企画し、会員の要求に応える努力をした。
2月~3月は役員人事、総会の資料づくりに追われた。
役員の打合せは、自治会館が使用できない時は、個人宅、車中、喫茶店等で行った。
なんとも慌ただしい1年だった。
ベテランズクラブの役員は無報酬。まさにボランティアである。今年、卒業する小生はいいとして、継続して役員を引き受けられる方々には敬意を表したい。
刈谷ベテランズクラブ。会員85名。4月、新年度総会が開催される。
 
 因みに私が担当した令和2年度・事業報告の特記事項は「新型コロナ逆境の中、会員の”満足”を追求し、試行錯誤し、戦った1年でした。」である。