三男、幸三の孫に囲まれた母(2017、5、秋田の実家で)
私の母、チヨミは1917年(大正6)生まれ。今年100歳になる。母は代々郵便局長を務める資産家の家に生まれた。19歳で父、一男と結婚。1999年(平成11)父、86歳で亡くなる。現在、兄夫婦と秋田(由利本荘市)の実家に住んでいる。
母は3人の男子と2人の女子に恵まれる。この中で一番母に心配かけたのが私である。
私の学校の成績は中と上の間を行ったり来たり、母は思いあまって担任の先生に手紙を書く。運動会といえば「ビリにだけはなるな!」と、激励。私生活では、小学生の頃まで寝小便を垂れていた。業を煮やした母は何度か蔵に私を閉じ込めた。
高校を卒業すると、隣町、平沢町(今のにかほ市)にあるデンカ(東京電気化学工業→TDK)に就職する。以下、1979年(昭和54)母からもらった手紙、「貴方が家からデンカの平沢工場へ通っておった時の事。私は4時に起きてご飯を作り、夜の明けやらぬ中を送り出しました。鮎瀬の橋の架け替えの時は舟で渡ったの。帰り夜遅くなった時、舟頭がいないので、自分で漕いで渡ろうとして、川に落ち、自転車もカバンもズブ濡れという事もありました」。
私が妻、タキ子と巡り会えたのも母のお陰です。母の同級生が仲立ちをして下さったのです。以下、母の手紙の続き「洋三(兄)がよく話ております。”俊三(私)の子供達は坂部(妻の出身地)に似て、育ちが違う”と。直子さんは大人しく、頭がよい。暁ちゃんも学校へ行ってハキハキと見違えるようになりました」。
母さん、ありがとう。秋の100歳、誕生パーティ楽しみにしております。
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