2016年9月27日火曜日

TDK、石黒新社長にお目にかかる(後編)

    
   TDK新社長、石黒成直さん(左)と私
 
 ただいま、ご紹介いただきました畠山です。
TDKの歴代社長の中から3人の方について、お話しいたします。
 一人目は初代社長、斎藤憲三さんです。斎藤さんは地元秋田では「ホラ憲」と呼ばれていました。「ホラ吹き憲三」という事です。しかし、斎藤さんは有言実行の方でした。昭和10年、鐘紡の津田信吾社長を訪ね、こう言います。「津田社長、これからは工業の時代です。私は日本人が発明した磁性材料フェライトを工業化したい。ついては会社の設立資金として10万円貸して下さい。ただし、事業が失敗した時は返却しなくて良いという条件で・・・」当時の10万円は現在の貨幣価値でいうと3億円くらいです。津田社長は目の前で10万円の小切手を斎藤さんに渡しました。斎藤さんの情熱が天下の津田社長の心を打ったのです。TDK誕生秘話です。
 二人目はここにいらっしゃる6代目社長、澤部肇さんです。澤部さんの時代は激動の時代でした。TDKの売上の半分を占めていたカセット、VHSビデオといった記録メディア事業が衰退し、ゼロになりました。また、リーマンショックで、600億円の赤字が発生しました。この逆境を乗り越えるため、断腸の思いで、リストラを敢行。秋田魁新聞にはこう書かれました。「TDKの大規模人員削減計画”海外1万人、国内1千人”」。このリストラでTDKは見事に立ち直りました。澤部さんはTDKの永遠の発展を祈って秋田に「歴史館」を作りました。来月「歴史館」は「TDK歴史みらい館」として蘇ります。
 三人目は8代目、石黒新社長です。石黒さんは1982年の入社ですが、入社の動機は音楽が趣味だったからだそうです。私は当時、カセットテープの商品企画を担当しており、ADカセットのヒットで社長表彰されました。ご縁を感じます。石黒さんは学生時代、札幌交響楽団とベートーヴェンの第9「合唱付」を歌っており、第9は暗唱されているとの事。第9の合唱はバリトンの「おお、友よ、この旋律ではない、もっと心に響く調べを・・・」の呼びかけではじまります。石黒さんは社員に「おお友よ・・・」と呼びかけたところです。9万名の社員とともに”歓喜の歌”を声高らかに歌って下さい。石黒さん、これからのTDK、よろしくお願いします。

畠山家32代目、上京

(左から兄・洋三、弟・幸三、右、妹・友子とご主人、高橋正宣)

23日、TDK石黒新社長を囲む会、大いに盛り上がった。時計を見たら21時30分、「やばい!」。21時58分上野着「こまち」で兄貴が上野駅に到着する。囲む会の集合写真撮影をスキップして上野駅に向かう。なんとか間に会う。上野発22時15分発の常磐線特急に乗り、兄貴を牛久のわが家へ案内する。
 畠山家32代目、兄洋三は次男、泰彦君の奥さんの1周忌の法事に参加する為、上京したのである。泰彦君は日立製作所の社員、常陸太田市の塙家のお嬢さんと結婚したが、奥さんが1年前亡くなられた。法事は常陸太田市瑞龍霊園で24日、12時から行われる。
 24日、9時30分、わが家を出発。幸い前夜の宴会の疲れはなく常磐高速を快走。高速を降りて、瑞龍霊園にいくのに戸惑ったが、11時30分、無事到着。泰彦君が笑顔で迎えてくれた。
 その笑顔を一安心。私以上に兄はホッとしたに違いない。
 13時、お墓の前で行われた法事が終わり、兄はお斎(とき)には参加せずに私の車に乗った。車がスタートするやいなや大雨である。法事の時に雨が降らず本当に良かった。
 牛久のわが家で小休止して、電車で東京駅へ向かう。東京駅北口の「あべや」(秋田純米酒処)に18時前に到着した。弟、幸三(山北在住)妹、友子夫妻(笠間在住)が集合。兄弟会が行われた。兄の希望だった。兄弟会、大いに盛り上がり、アッという間にに3時間が経過した。兄は南口から21時20分に出発する秋田行の深夜バスに乗車。バスは翌朝、由利本荘市に到着する。
 郷里、秋田で兄を待っているのは黄金色に実った秋田米である。
 私が子供の頃は家に”めらし”(住み込みの若い娘)が2人おり、農作業の手伝いをしていたが、今は当主である75才の兄が一人で2町5反の稲刈りをしている。機械化が進んでいるとはいえ、高齢者にはきつい。

2016年9月25日日曜日

TDK、石黒新社長にお目にかかる(前編)

(右から、私、石黒新社長、水野さん)

 私はTDKに勤めていた。2002年、60才で定年を迎えた。
退職時のTDKの売上は5,600億、社員は32,000名(海外も含む)。
今年の売上は11、520億、遂に一兆円を超えた。社員はなんと91,600名。10万名、目前である。
 TDKの社長が今年の6月交代した。新社長(8代目)は石黒成直さん、58才である。中間管理職で定年退職した私にとっては雲の上の人である。8月(だったかな)、驚いた事に、この雲の上の方が参加される飲み会に誘われた。さらに驚いた事に幹事の方からこう言われた。「畠山さん、新社長にお祝いの言葉をお願いします」。その時から眠れない日々が続いた。
 23日、遂にその日がやってきた。会場に着くと、TDK・OBの方を中心に20数名の方々が顔を揃えていた。席は指定席になっていた。私の席はなんと、石黒新社長の隣である。6時近く、拍手に迎えられて新社長登場。6代目社長、澤部肇さんも一緒だった。
 乾杯の音頭に続いて会食をしながらの懇談。驚いた事に石黒さんがサラダ盛りから、サラダを小分けして同じテーブルの参加者に配りはじめた。その手際は見事だった。私にはこのような気配りはできない。
 いよいよお祝いのスピーチが始まった。60代のOBの方々3~4名が続く。司会の幹事の方の説明によると、いずれも社長の座を目指した優秀なTDKマンだったという。さすがに皆さんうまい。
 そして、最後、私の番となった、司会者は私をこう紹介した。「無欲で謙虚な方です。ただ、TDKに対する愛社精神の強さはナンバーワンです」
 私は立ち上がった。ありがたい事に冷静な精神状態である。これならば、準備した3分間スピーチは語れそうである。

2016年9月19日月曜日

「芸の肥やし」、老後編

(おばさんとペアで掃除をしている、牛久シャトー・ミュージアム)

定年後、市の人材シルバーセンターの紹介で掃除のバイトを続けている。
月に7日、2~3時間である。その中で2日、おばさんと一緒に牛久シャトー・ミュージアムの掃除をする。
〇月〇日
私「今日は私が掃除機で、いいですか?」
Aさん「いいわよ。じゃ、私は拭き掃除ね」
私「昨日、家内といしじまにそばを食べに行きましたよ」
Aさん「夫婦そろって、いいわね。私のところは今年の4月に主人が亡くなってね、葬儀だなんだと出費が多くて、大変!今は墓をどうするかで悩んでいるの。皆さんと掃除をして、世間話をするのが隋一の楽しみなの」
〇月〇日
私「昨日、娘が孫娘を連れてきてね、家内に一緒に食事に行こうといわれたんだけど、遠慮しましたよ」
Bさん「女同志3人での食事。奥さんも楽しかったでしょうね。女同志でなといと関心のない話って、結構多いのよね。ところで、お孫さん、幾つ」

ベテランズクラブ(老人会)役員にも女性の方がいる。
〇月〇日、夜8時
突然、電話のベルが鳴る。
「畠山です」
「Cです。夜分済みません。鮎のバス旅行、参加者何人になりました。明朝、市役所に報告しなくてはいけないの」
今、仕事から帰ったところなのだろう。部屋中にガンガン響くような甲高い声、息遣いまで伝わってくる。Cさん、家族を抱え、仕事をしている、その一方で老人会の役員も引き受ける頑張り屋である。

小生がお世話になっているご婦人たちは70才前後と高齢、人生経験豊富。皆さん頑張っている。僕も負けてはいられない。

2016年9月12日月曜日

中山道20日間の輪行

(工野さんの本に掲載された”中山道の旅”のルート)

定年後、家にいる時はほとんどパソコンと睨めっこである。本を読むのは東京へでかける時の電車。
先日、6年前(2010年)に友人の工野さんからいただいた「中山道を小型の折たたみ自転車で行く」という本を読みだした。凄い!20日間を費やして歩くような速度で見聞した中山道の様子が700枚の写真と、12万字(原稿用紙300枚)の活字で詳細に表現されている。見聞した様子とともに、その土地の文化・歴史も深堀りされている。工野さん、工野正樹さんはただ者ではない。
 不思議な事に小生のブログ(2011、11、30)を見ると、「バルカン半島千キロ(自転車)」という記事が掲載されている。これは10年かけて奈良からローマへ(2万キロ)行こうというとてつもない冒険旅行の序章のようだ。この冒険旅行を始めたのは友人の髙山さん、髙山了さんである。髙山さんもただ者ではない。
 工野さん、髙山さんはどういう友人かと言うと、現役時代カセットテープの開発で凌ぎを削ったライバル関係である。工野さんは日立マクセルでUDカセットを企画、髙山さんは富士写真フィルムでAXIAカセットを企画、私はTDKでADカセットを企画した。
 カセットテープはオランダのフィリップスが開発した。当初カセットテープメーカーというとドイツのバスフとアメリカのスコッチが先行していた。ところが数年後、日本のメーカーが商品力で巻き返す。開発当初、会話録音用と思われていたカセットテープは日本メーカーの参入によって、商品力が向上。音楽用としての用途が広がり、日本製のカセットテープが世界を席捲する。その後3人はVHSビデオテープの企画でも凌ぎを削る。
 その立役者が日立マクセルの工野さん、富士写真フィルムの髙山さんである。2人の凄さは定年後の自転車旅行が物語っている。定年後もこのように前向きに生きる2人は凄い!TDKの畠山はどうだろう?畠山には自転車旅行をする体力も気力もない。あるとすれば、ブログ「人間浴」を綴るくらいである。

2016年9月6日火曜日

ピアニスト、中村紘子論(本場主義の小生)

3日、いつも素晴らしい音楽体験をさせてくれる隣町のNPO法人・龍ヶ崎ゲヴァントハウスにでかけた。この会はクラシック音楽の放送ライブを音源として使用し、素晴らしい音で再生。選曲と解説も一級である。
 この日は前半、7月に亡くなられた、ピアニスト・中村紘子さん(写真)の演奏が披露された。コンサート、終了後、中村紘子は一流かどうかで、解説に当ったFさんのご意見をうかがった。Fさんは一流だというご意見だったが、小生は見方が違っていた。「東洋人としては一流だが、世界的に見た場合、やはり本場ヨーロッパの演奏家より劣る。ただ、ショパンコンクールで4位に入賞し、その後、日本のクラシック業界発展に貢献した業績は認める」というものだった。2人の見方は食い違ったまま飲み会に流れた。
 私の経験からすると、クラシック音楽の本場はヨーロッパであり、演奏もヨーロッパ人に日本人はかなわないと思う。それは天下の小澤征爾にしても同じである。楽譜も読めない、楽器も演奏しない小生が、そんな事をいい、ブログにまで書く。(聴者である小生の特権である)
 Fさんと中村紘子談義をして、自分も「老害」の分野に入ってきたと感じた。最近はどの会合にでても一番年上の方である。小生が自説を語りはじめると、皆さん遠慮する。これは注意しないといけない。「ボケ」と「頑固」。まさに「老害」である。
 中村紘子さんの演奏をほとんど聴いていない小生だが、1969年作曲された矢代秋雄のピアノ協奏曲は中村さんが初演し、私も聴いた。日本人でもこんな素晴らしい曲が書けるんだと、認識を新たするとともに、演奏にも満足した。作品も演奏者も日本人、血の通った音楽になる。小生の本場主義はこの頃(小生27才)から既に固まっていたようだ。