なにかと思ったら、読売新聞・秋田版の取材があって、その記事が掲載されたという。新聞の企画は「子吉川の四季」というシリーズもので、秋田県の南部を流れる子吉川(鳥海山を水源とし、日本海の由利本荘市に流れる)近辺の風物・文化を訪ねるというものである。
私の実家は本荘市から約4キロ内陸に入った農村地帯。鮎瀬部落といい、近くを子吉川の支流である石沢川が流れる。畠山家は関東の武士、畠山重忠一族の流れを汲むと言われている地主。祖父は本荘市と合併になる前の石沢村の村長をしていた。兄、洋三は、私より一才年上、地主の長男として大事に育てられ、東京農業短大卒業の後、家を継いだ。今回の取材は余程嬉しかったとみえ、次男の私に電話をしてきたのである。早速、新聞をFAXしてもらった。
新聞には実家で太鼓を叩く、兄の写真が掲載されている。(上)以下、記事の一部である。
「境内の石段を下りて鮎瀬の集落へ向かう。石沢川のせせらぎが聞こえる一角に八幡神社があった。畠山さんが別当を務める畠山家先祖伝来の守り神だった。家系図を見せてくれた。開祖はあの畠山重忠とある。義経率いる鵯越(ひよどりごえ)の逆落としで、馬を背負って崖を下り、”坂東武士の鑑(かがみ)”とたたえられた知勇兼備の将だ。北条氏に討たれた後、一族の末流が落ち延びた先が鮎瀬だった。32代当主には心残りがある。郷土芸能・鮎瀬番楽の復活が果たせないでいることだ。”子供の頃に聞いた独特の節回しや拍子が忘れられない”。今も折に触れては太鼓を叩く。ばちさばきを見せてもらった。ドン、ドン、ドドン。腹に響く重低音が座敷から外へ飛び出し、石沢川の水面を駆け抜ける。ふるさとの来し方を見つめ、行く末を励ます、温かくも頼もしい太鼓の響きだった。」