2016年6月21日火曜日

母、白寿祭。父との愛は永遠。

(「白寿の祝い」に25名の子、孫、曾孫がかけつけた)
 
 母99才「白寿の祝い」
6月18日(土)、故郷・秋田「にかほ市温泉保養センター」(はまなす)に子供、孫、曾孫の代表25名が集合、盛大に行われた。家・家族のつながりが薄くなっている現在、これは珍しい。さすが、私が生まれた畠山又右エ門家である。(小さいが地主であり、祖父は石澤村々長をやっていた。)
 母の子供は5名。長男が農業を継ぎ、農協組合長。長女は近隣農家の嫁になる。次男の私はTDKに勤務。16年前定年。三男は小田原私立高校教頭を今年で退任。次女は笠間市出雲大社会長夫人として頑張っている。
 母、板垣チヨミは大正6年(1917)、石澤村の生まれ。実家は農家だが100ヘクタールの山持ち。父初吉は郵便局長を務めていた。手先が器用で尋常小学校の時の作品「尾形人形、筏流し」は全国大会に出品され、天皇陛下にもご覧いただいた。
 昭和11年(1936)、畠山一男と結婚。戦争、敗戦、農地解放と激動の中を生き抜いた。5名の子供に恵まれ、孫は30名を超えているが、名前を全て記憶している。今朝の食事のメニューも忘れる次男の私とは大違いである。母は宴会の後半、大正琴を披露した。姉の「仮面踊り」も素晴らしかった。
 今回の幹事役は3男、幸三。私に「閉会の辞」をやれという。「母は今でもほぼ毎日父の夢を見るそうです。夫婦は永遠であるという事を実感しました。」これが私の挨拶の趣旨だった。父は平成11年(1999)、86才で亡くなった。あれから17年、母は夢で父に会っているという。これは宴会開始前に母との雑談の中で聞いた話だが、私の胸を強く打った。私達夫婦をはじめ、ここに集まった方々が母のように、片方が先に死んでも、永遠に相思相愛であって欲しい。
 それが「白寿の母」の願いであるとも思った。



 
 

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