2016年5月25日水曜日

郷土の名大関「稀勢の里」


 私の第1の故郷は「秋田」(0才~20才)。第2の故郷は牛久(31才~74才・現在)。そんな訳で牛久出身の「稀勢の里」を応援してきた。
 稀勢の里の四股名の由来は2004年、「稀な勢いで駆け上がる」という意味を込めて鳴戸師匠が提案。本人も納得した。
 大関に昇進する(2012年1月場所)までの稀勢の里は四股名の通リ、破竹の勢いだった。ただ、これから残念な取り口が展開。前半でいつもポロリと敗れるのである。モンゴル出身の「鶴竜」が2012年5月場所で大関に昇進。少なくとも鶴竜より先に横綱に昇進すると思っていたが、鶴竜の方が2014年5月、横綱になってしまった。
 その後も前半でポロリと負ける稀勢の里、同じ郷里ということで後援会にも入ったが、いつも苦渋を飲まされた。ところが、今年の5月場所はどうだろう。仕草、取り口とも堂々としており、勝ち星を続ける。特に10日目の琴奨菊との一戦は真正面からぶっつかり合う死闘。テレビ桟敷にいても血が逆流するようだった。その点、大横綱、白鵬の強引な取り口はいただけない。(まるで格闘技である)
 稀勢の里の活躍で両国国技館は連日満員、テレビの視聴率も連日15%である。それを象徴したのが、5月23日(月)の新聞(写真・読売新聞)。全勝優勝の白鵬よりも、日馬富士に勝った稀勢の里の扱いの方が大きいのである。
 稀勢の里が横綱になれるかどうかは分からない。しかし、私は今場所のような堂々たる相撲を稀勢の里がとってくれれば、満足だし、郷土の誇りだと思う。
 25日の新聞(読売)で横綱審議会の守屋秀繁委員長(75才)はこう語っている。「相撲にはスポーツ、神事、興行の3要素」がある。神様に無礼がないよう『わきまえる精神』が大切だ。わきまえる精神があれば、かち上げや張り手は横綱らしくない・・・それが相撲道であり、歴代の横綱は道を外さなかった。

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