2016年5月17日火曜日
出雲大社、春の大祭(日本の伝統文化)
(黒い装束に身を包み、祝詞を上げる神官)
私は秋田の農家の生まれである。
幼少の頃、新年になると「どどさま」と呼ばれる神官がわが家を訪れ、神棚に向かって祝詞を上げ、お祓いをし、家族一同、神棚に頭を下げた記憶がある。
次男である私はサラリーマンとなり、定年を迎え、今は茨城県の牛久市に住んでいる。細々と年金生活を送っている。
縁とは不思議なもので、今春、出雲大社常陸教会から「春の大祭」の案内をいただいた。15日(日)11時から挙行するとある。勉強も兼ねてうかがう事にした。
常陸教会は笠間市にある。わが家から50キロほどである。笠間といえば「笠間稲荷」が有名。笠間稲荷は街の中心部にあるが、出雲大社は街の北西の端にある。急峻な階段を登ると立派な社殿が現れる。天を突くようである。社殿はすでに100名を超える参拝者で埋まっている。
11時、ドーンドーンという太鼓の音が社殿の中に響き渡る。黒い装束に身を包んだ宮司が登場。
宮司が奥にある神殿に一礼して祝詞がはじまる。抑揚に溢れ、リンとした宮司の声が社殿に響きわたる。祝詞は数百年の時を超え、大地の氏神「大国主の大神」に届くようである。このような祝詞を奏上するまでの宮司の修行は私のようなサラリーマンの想定を超える。式は一時間にもおよび、その中で、参列者一同、国歌「君が代」を斉唱。国家を歌うなど久しぶりである。
出雲大社の「春の大祭」に参加し、私が感じたのは、自分が日本人だという事である。国際化が進んでいる今だからこそ、日本人は日本の伝統文化に触れるべきだと思った。
笠間からの帰り、秋田で呼んでいた「どどさま」とはどういう意味だろうかと思った。「殿様」と書いて「どどさま」と呼んでいたのではないだろうか?「どどさま」は品のある顔だちで農民に慕われ、尊敬されていた。
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