2016年4月6日水曜日

恩人・沖山昭八さんの弔辞を読む

         (沖山昭八さんの祭壇)
 
 3月31日、私をサラリーマンの中堅に育てて下さった上司沖山昭八さんが83才で亡くなられた。
 奥様から私に「弔辞」を読むよう依頼がきた。沖山さんであれば、役員OB、あるいは現役役員でも相応しい方がいらっしゃるはずである。辞退しようと思った。ただ、「弔辞事典」を見ると、弔辞の依頼を断ってはいけない。とある。

 私がTDKに入社したのは昭和35年、職場は秋田工場、18才でだった。当時のTDKは売上げ28億円、従業員2780名。なんと沖山さんは昭和38年、私を東京本社に呼んで下さった。仕事は社内報の編集だった。昭和42年、沖山さんは磁気テープ事業部営業部長に栄転。「君も来ないか」沖山さんは磁気テープ事業部に呼んで下さった。私は後にテープの商品企画課長を拝命する。沖山さんの戦略でTDKは「世界一の磁気テープメーカー」に躍進する。この模様はNHKの「プロジェクトⅩ」にも登場する。昭和58年、沖山さんはTDKの名前を世界に広めるために世界陸上のゼッケンスポンサーになる。カールルイス、ブブカの胸に「TDK」のゼッケンが輝く。私も4年後、ローマ大会を担当。ルイスにもお目にかかった。
 TDKは創立80周年を迎えた。売上は1兆円を超し、従業員は8万名を超えた。記念事業の一つとして「TDKオーケストラコンサート・ベルリンフィル管弦楽団日本公演」を来月5日間にわたってサントリーホールで開催する。チケットが4万2千円の高額ながら全席売れきれだという。
 夢のような私の人生であり、TDKの軌跡である。このバックに沖山さんの力があったのである。

「畠山君、仕事終わったかい、いつもの店にいるよ」
銀座のカウンターバーに座る沖山さん、その笑顔は永遠です。

弔辞の締めくくりの2行である。




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