2015年8月30日日曜日

一市民の息づかいも保存される国立国会図書館

(国立国会図書館の蔵書になっていた、私の3冊の本)

自分も73才。
できれば、その存在価値を確認し、遺したいと思う年頃である。幸い、6人の孫に恵まれたし、お墓も作った。それ以上、何を望もうというのか?
 それは自分の生き様である。
 今はネット社会という便利な時代。「ブログ」という手段がある。現に今もこうやって綴っているのである。しかし、「ブログ」は誰が見てくれるのかわからない。また電子記録なので、いつ消去するかも分からない。
 「ブログ」を書き始めてやっと見えてきた。生き様は他人に披露する為のものではない。「自分自身の記憶を残すためのものであり、ボケ防止の為のものである」と。もしかして息子や孫が見てくれたら儲けものである。
 定年後、自分が書いた(編集した)本のもそうである。自分自身の自己満足の為に書いたものである。そう思った方がスッキリする。
 
 先週、東京に出かけたついでに国立国会図書館に行った。
 読売新聞で私の生まれた秋田の故郷を書いた「水の瀬きよき」という本があると知った。しかし、書店で見当たらないないので、図書館に行ったのである。残念ながら本はあるが、閲覧する準備ができてない、という。
 折角なので、検索欄に自分の名前「畠山俊三」を入力した。3冊の本のリストがでてきた。なんと栄誉なことだろう。自己満足の為に書いた本が国立国会図書館にあるとは・・・。
 テレビドラマや映画を観ていて、作者はどうしてこんな些細なことまで書けるのだろう?と思う。今月観て感動した映画「永遠の0」でもそうっいった事を感じた。
 そのヒントが国立国会図書館にあった。
 私のような一市民が書いたものまで保存されている国立国会図書館。ここで調べれば、歴史書では語られない一市民の息遣いも知る事ができるのである。
 

2015年8月18日火曜日

黒澤君は前橋の名士だった!お通夜で知る・・・。

(葬儀場玄関の看板と温容な遺影)
 
16日(日)「黒柳徹子のハートフルコンサート」の翌17日(月)、友人・黒澤君のお通夜だった。

 17日、午後前橋市に向う。
黒澤君は高校時代の同級生。学校卒業後、前橋に婿養子になったと聞いている。(ただ苗字は黒澤のままだった。)東京近郊で開かれる新年会やゴルフコンペにはほとんど参加していた。

 黒澤君は眉毛が濃く、大きな目玉。いつも笑顔を絶やさなかった。しかもいつも控え目。一言でいえばわれわれ同級生のアイドルだった。
 彼と最期に会ったのは今年の5月。茨城ザ・ロイヤルカントリーで行われた同級生のコンペだった。ただ、この日は彼はプレーはせず、夜の宴会に加わっただけだった。前橋からゴルフ場までは150キロ。体調が悪い中を宴会に参加するだけに、運転してきたかと思うと胸が詰まる。
 奥様の話しによると、ゴルフ場から帰った後、急激に体調を崩し、数度手術をしたが、治らず13日に帰らぬ人になってしまったという。

 お通夜は午後6時から。私が葬儀場に着いたのは5時30分。葬儀場の玄関に「故黒澤和夫儀、葬儀祭告別式式場」という大きな立て看板があるのを見てビックリ。このような立て看板がでるのは町の名士だけである。式場を飾った花輪は50近い。同級生の前では控え目だった黒澤君、地元前橋では子供達に空手を教えるなど名士だったのである。彼は愛する奥様、お子様、お孫さんに囲まれて幸せだったに違いない。その温容な遺影がその全てを物語っていた。それにしても74才は早い。もう10年は頑張って欲しかった。
           
(会場には50近い花輪が手向けられていた)

2015年8月16日日曜日

終戦記念日、黒柳徹子ハートフルコンサート

6月21日、父の日のプレゼントとして息子からもらったコンサートが昨日あった。
コンサートのタイトルは東京フィルの「ハートフルコンサート」。指揮は桂冠指揮者・尾高忠明、お話しが黒柳徹子。家内と出かけた。会場は東京・池袋の芸術劇場。
 このコンサート、終戦の日に思いを寄せるもので、今年で26年目を迎えるという。ユニセフ親善大使でもある黒柳徹子さんがゲスト出演。曲の合間にユニセフについて語り、尾高さんと、貴重なトークを語った。

 なにしろ、徹子さんの父上はヴァイオリニストでNHK交響楽団のコンサートマスターだった。尾高さんの父上は指揮者であり、NHK交響楽団の指揮もしていた。父上同志は同業者だったのだ。尾高さんの父上が「田園」の予定なのに「運命」だと思って指揮しそうなので、徹子さんの父上が小声で「田園」「田園」と囁いたのに「運命」のテーマが振り下ろされた、というエピソードも披露。

 徹子さんはユニセフ大使として海外の恵まれない子供達の実情を切々と語った。改めて、この場に集まって音楽を聴いている自分達を幸せだと思う。日本に生まれて良かった。

 生の音楽を聴いたのは一年ぶりだろうか・・・。生のオケで聴く名曲は素晴らしい。合唱も入った佐藤眞のカンタータ「土地の歌」より”大地讃頌”は特に身に沁みた。
 
 コンサートが終了したのは8時30分、人垣をかき分けて池袋駅へ。JR、私鉄が入乱れ、切符を買って、改札に進むのも一苦労。常磐線では珍しく家内がグリーン車に乗ろうという。ゆったりと座席に座り、孫達の話しをしながら家路についた。

2015年8月12日水曜日

ダダダダーン!「運命」。孫への継承・・・。

(ダダダダーンを聴いた、4才の孫)

11日(火)お盆休みということで、息子の子供3人が佐倉からやってきた。
小5、小3、4才の男の子である。
4才の男の子にベートーベン作曲、交響曲第5番「運命」の冒頭部分を聴かせた。
「ダダダダーン!」いきなり響いた大音響に孫は驚き、スピーカーの方に目をやった。
その瞳は輝いていた。
孫は「ダダダダーン」を聴いたのは初めてだと思う。聴いた事があるとしても30センチのウーハーを備えたスピーカの大音響で聴いたのは初めてだと思う。
その後の孫の行動が意外だった。「ダダダダーン」と大声で叫びながら飛び跳ねたのである。
今朝(12日)も、「ジィ、あれ聴かせて」ときた。
ひょっとすると、ジィのようにクラシックファンになるかもしれない。という予感がした。

それにしても、ベートーヴェンとは大したものだと、改めて感じた。
「運命」が初演されたのは1808年、初演された場所はドイツである。
200年以上経た現在、日本人の4才の子供がこの曲を聴いて、口ずさみ、踊るのである。
ダダダダーンは運命の扉を叩く主題であるが、第2楽章、第3楽章と続き、第4楽章は歓喜の調べとなって幕を閉じる。約40分。緻密に作られた音楽ドラマである。

4才の孫が現在の私と同じ年になった68年後、孫はダダダダ―ンを聴いた、この日を記憶しているだろうか・・・。


2015年8月5日水曜日

グランドゴルフで銅メダル。本番で奇跡の69


 2015、6、5のブログに「グランドゴルフで69。生涯あり得ない好スコア」という記事を書いた。
これは週1回~2回ほどやっている練習ラウンドででたスコアである。通常は80代。良くて70代の後半なので、驚いて、ブログに書いたのだった。

8月3日(月)、私が所属している「茨城・牛久グランドクラブ」の大会が開催された。私はこの大会初参加である。
会場に着くと、事務局のテーブルには賞品や参加賞がところ狭しと並んでいる。メダルも3個並んでいる。「畠山さん、3位まで入るとメダルもらえますよ」と先輩が笑顔で説明してくれた。
小学校の頃から運動が苦手な私はゴルフもグランドゴルフもいつも下位。もらえるとすればブビー賞。というわけで、先輩の説明は他人事である。

競技が始る。
ホールめがけて、真っ直ぐクラブを振る。ただそれだけに集中した。
グランドゴルフのコースは50m、30m、25m、15mと4種類の長さがあるがどれもパー3。つまり3打で入れるのが基本。私は好調で半分は2打で入る。そして30mに差しかかる。おもいっきるボールを打つ。「やった!おめでとう」同僚が叫ぶ。一打で入ったのである。前半さらに15mでもホールインワンがでる。「畠山さん優勝だな」と同僚。
後半でも15mでホールインワン。50mでも一打目のボールがホールポストに当たるという打球があった。練習ラウンドの時は50m飛ばすのがやっとなのに、今回は50m全てでゴールポスト近くまで飛んだ。
競技が終了してスコアを数えると69。6月5日のブログに書いた「生涯有り得ない好スコア」が本番で出たのである。

人生70年、スポーツ競技でメダルを頂いたのは初めてである。

2015年8月4日火曜日

NHKクラシック音楽番組の守護神

(後方左端、辻本さん。右方向へ市川さん、古屋さん、小生。前列、中川さん。講演会終了後の親睦会で)

1日(土)、龍ヶ崎市(我が牛久市の隣)のクラシック音楽愛好家で組織する”ゲヴァントハウス”の例会に、NHKのクラシック音楽プロデューサー、辻本廉さんをお迎えした。
 辻本さんとご縁ができたのは2005年である。
私はこの時、TOKYO FM 出版が企画した「伝説のクラシックライヴ」(収録現場からみた20世紀の名演奏家)のコーデネータをしていた。この本の中核となった「ステレオ放送80年の歩み」の執筆を辻本さんにお願いしたのだった。

 1日の講演のタイトルは「FM 長時間番組の放送技術の移り変わり~バイロイト音楽祭の放送を中心に~」である。
 FM 放送の前段で、AM 放送の話があり、1957年日比谷公会堂におけるカラヤン指揮ベルリンフィル来日公演の放送をエアチェックした音が再生された。曲目はベートーヴェンの交響曲「英雄」。AM第2放送で放送されたモノラル録音だが、この音が素晴らしかった。当時のAM放送は局数も少なく、局間の周波数が離れており、音声帯域も広かったという。
 講演の最後には”バイロイト音楽祭”楽劇「ワルキューレ~魔の炎の音楽」のアナログ録音とデジタル録音の比較が行われた。デジタル録音は2008年、バイエルン放送協会収録で指揮がティーレマン。アナログ録音は1955年デッカ録音で指揮がカイルベルト。聴いた会員の評価はどちらかといえば1955年のデッカ録音の方が良いという声が多かった。私にもそう聴こえた。音場空間の広がりという点では2008年録音が勝っていたが、1955年録音の方が歌手とオーケストラの音を力強く捉えており、音楽の本質をとらえていると感じた。
 この違いは録音プロデューサー、ミキサーの違いによるものだと思う。新しいものであれば、デジタル録音であれば、音がいいとは限らない。それに携わる技術者の力がものを言う。

 辻本さんは1944年広島生まれ。1969年、NHK入局。1973年から2001年の定年まで音響関係の仕事をされた。定年後も音楽プロデューサーとして活躍され、後進の指導にも当たっている。現在、FM番組を中心に「オペラ・ファンタスティカ」「ベストオブクラシック」「名演奏家ライブラリー」「N響ザ・レジェンド」「世界の快適音楽セレクション」などの番組を担当。NHKクラシック音楽番組の守護神である。