(今年、7月27日、上野・不忍の池で撮影)
最近、自分が写った写真を見て、エッと思うことがある。
頭は丸刈り、猫背、どこの爺さんだ?なんだオレじゃないか。そういえば70歳だもんな。
いつだったか、先輩が言った。「70を越えたら、体がいうことを効かなくなるよ。」本当だった。
①まず、耳が聞こえなくなった。テレビを観ていて、家内が笑う。テレビの画面でおかしいことをいっ ているのだが、自分は言葉が聞き取れない。ただ、ありがたいことに、音楽はわかる。ウィーンフ ィルとベルリンフィルの音の違いだって分かるんだから・・・。エヘン!本当かな?
②猫背は本当にみっともない。その内、腰も曲がりそうだ、というか曲がっているかもしれない。
週2~3回のシルバーセンターの掃除は矯正のチャンス。ゴミ袋を持って、背筋を伸ばし、運ぶ。 この掃除、死ぬまで続けたい。難儀な時もあるが、難儀だから体の矯正になる。と言い聞かせる
③食べ終わると、何を食べたか忘れてしまう。今困っているのはパスポートの紛失。町内の友人か ら海外旅行しようと誘われた。パスポートは○年前、○○へ行って以来(いつ、どこへ行ったか
忘れた)仕舞ったきり。引出、カバン、背広のポケット、どこを捜しても見当たらない。
大切な事は忘れない内にブログ「人間浴」に書いておこう。
2012年10月23日火曜日
和太鼓、抹茶、芸者・・・日本の雅
21日(日)、義弟が経営する出雲大社・常陸教会の20周年記念大祭が行われた。
笠間市・福原に建立されている教会に到着すると、既に「常陸乃国ふるさと太鼓会」の奉納太鼓がはじまっていた。島根にある本家・出雲大社に匹敵するという大注連縄(しめなわ)が新しく張り直され、勇壮な太鼓が鳴り響く。
式典は10時~始まり、神様に五穀豊穣が供えられる。式典の最中、切れ目なく、笛と太鼓の演奏が続く。
正午、拝殿で記念式典が開かれる。国歌斉唱の後、高橋教会長の挨拶。昨年の3・11の時は笠間市も震度6で大揺れ。しかし、本殿、拝殿とも持ちこたえたという。ここで会長も言葉に詰まる。つづいて笠間市長の祝辞。今や、常陸教会は笠間市になくてはならない観光スポットだという。
昼食後、樹木葬園にある東屋で抹茶をご馳走になる。
午後5時、笠間市内にある城山割烹旅館大広間で直会(なおらい)。宴会の半場で芸者衆が登場。和服が実に美しい。
和太鼓、抹茶、芸者衆・・・。日本の雅(みやび)を満喫した一日だった。
笠間市・福原に建立されている教会に到着すると、既に「常陸乃国ふるさと太鼓会」の奉納太鼓がはじまっていた。島根にある本家・出雲大社に匹敵するという大注連縄(しめなわ)が新しく張り直され、勇壮な太鼓が鳴り響く。
式典は10時~始まり、神様に五穀豊穣が供えられる。式典の最中、切れ目なく、笛と太鼓の演奏が続く。
正午、拝殿で記念式典が開かれる。国歌斉唱の後、高橋教会長の挨拶。昨年の3・11の時は笠間市も震度6で大揺れ。しかし、本殿、拝殿とも持ちこたえたという。ここで会長も言葉に詰まる。つづいて笠間市長の祝辞。今や、常陸教会は笠間市になくてはならない観光スポットだという。
昼食後、樹木葬園にある東屋で抹茶をご馳走になる。
午後5時、笠間市内にある城山割烹旅館大広間で直会(なおらい)。宴会の半場で芸者衆が登場。和服が実に美しい。
和太鼓、抹茶、芸者衆・・・。日本の雅(みやび)を満喫した一日だった。
2012年10月15日月曜日
知られざるアウンサンスーチンの父
アウンサンスーチンは1945年生まれ、私とほぼ同世代。1991年、46才でノーベル平和賞を受賞したのだから凄い。
ところで、スーチンの父親、アウンサンは日本軍と関係が深かったのだという。
ミャンマー(ビルマ)はイギリスの植民地だった。アウンサンはイギリスから独立する夢を見る愛国者。アウンサンの耳に「遠方の仏教国、日本がヨーロッパの列強ロシアを戦争で打ち負かした」という情報が入る。アウンサンは日本と協力すれば独立の道が開けるのではないかと思う。
しかし、東京に滞在して、日本軍に不信感を抱く。建前は同じアジアの仏教国として戦おうと言っているが、本音はミャンマーを「日本の天皇を頂点とするピラミッドの底辺を支える従順で勤勉なアジア民族の一つ」としか考えてないのではないかと・・・。つまり、支配国がイギリスから日本に変わるだけではないかと・・・。
1941年、 アウンサンは日本軍と一緒になって、イギリス軍をミャンマーから追い出すが、1945年には、連合軍と組んで、日本軍を駆逐する。1947年、アウンサンは政敵により暗殺される。スーチン2歳の時である。
これはイギリスの「インディペンデント」紙、特派員ピーター・ポパムが書いた『アウンサンスチー”愛と使命”』(明石書店)の冒頭部分の概要である。
600頁近い大作だが実に面白い。先日読んだ「戦後史の正体」同様、深い感銘を受けた。
ところで、スーチンの父親、アウンサンは日本軍と関係が深かったのだという。
ミャンマー(ビルマ)はイギリスの植民地だった。アウンサンはイギリスから独立する夢を見る愛国者。アウンサンの耳に「遠方の仏教国、日本がヨーロッパの列強ロシアを戦争で打ち負かした」という情報が入る。アウンサンは日本と協力すれば独立の道が開けるのではないかと思う。
しかし、東京に滞在して、日本軍に不信感を抱く。建前は同じアジアの仏教国として戦おうと言っているが、本音はミャンマーを「日本の天皇を頂点とするピラミッドの底辺を支える従順で勤勉なアジア民族の一つ」としか考えてないのではないかと・・・。つまり、支配国がイギリスから日本に変わるだけではないかと・・・。
1941年、 アウンサンは日本軍と一緒になって、イギリス軍をミャンマーから追い出すが、1945年には、連合軍と組んで、日本軍を駆逐する。1947年、アウンサンは政敵により暗殺される。スーチン2歳の時である。
これはイギリスの「インディペンデント」紙、特派員ピーター・ポパムが書いた『アウンサンスチー”愛と使命”』(明石書店)の冒頭部分の概要である。
600頁近い大作だが実に面白い。先日読んだ「戦後史の正体」同様、深い感銘を受けた。
2012年10月13日土曜日
年金手取り減とライフワークの対応
(今年7月、飛騨高山・上高地・穂高の旅、1泊2日のバス旅行は2万円。
JR、マイカーの旅はわが家では贅沢。)
定年になって10年。
年金の支給額は減らないが、介護保険料、住民税のアップで手取り額は年々減少。
今後、税金は上がる一方、さらに消費税も上がるので、老後の生活は厳しくなる。
これを反映してわがライフサイクルも変化してきている。(体力の衰えも影響している。)
①ゴルフの回数減少。
ゴルフの回数が減少した分、グランドゴルフで穴埋めしている。
②コンサート回数の減少。
特に高い外来演奏家のコンサートは行かない。国内演奏家だっていいものがある。
③JRを使用した旅行の減少。
2~3年前まではジバングを利用して旅行したが、最近は郷里の秋田行きは深夜バスを利用。
JRだと2万~3万のところ、7千~1万で行ける。
④海外旅行はテレビ、音楽、読書で代用。
⑤今後、考えられる対応策は、利用率が減少するのに、維持費が年20万もかかるマイカーを手放 すことである。
⑥ブログを書く、シルバーセンターのバイトはボケ防止、体力維持の為にも頑張って継続しよう。
それでも、われわれの世代は高度成長の余韻が残っているが、子供、孫の時代は絶望的で、為政者も国民も大胆な発想の転換をしないと大変なことになる。
JR、マイカーの旅はわが家では贅沢。)
定年になって10年。
年金の支給額は減らないが、介護保険料、住民税のアップで手取り額は年々減少。
今後、税金は上がる一方、さらに消費税も上がるので、老後の生活は厳しくなる。
これを反映してわがライフサイクルも変化してきている。(体力の衰えも影響している。)
①ゴルフの回数減少。
ゴルフの回数が減少した分、グランドゴルフで穴埋めしている。
②コンサート回数の減少。
特に高い外来演奏家のコンサートは行かない。国内演奏家だっていいものがある。
③JRを使用した旅行の減少。
2~3年前まではジバングを利用して旅行したが、最近は郷里の秋田行きは深夜バスを利用。
JRだと2万~3万のところ、7千~1万で行ける。
④海外旅行はテレビ、音楽、読書で代用。
⑤今後、考えられる対応策は、利用率が減少するのに、維持費が年20万もかかるマイカーを手放 すことである。
⑥ブログを書く、シルバーセンターのバイトはボケ防止、体力維持の為にも頑張って継続しよう。
それでも、われわれの世代は高度成長の余韻が残っているが、子供、孫の時代は絶望的で、為政者も国民も大胆な発想の転換をしないと大変なことになる。
2012年10月9日火曜日
雄大、ウィンザーパーク&ゴルフ
4日、水戸の近くにあるウィンザーパーク&ゴルフでプレーした。
朝方まで降っていた台風雨もスタート時には上がった。
(メンバーは6月に烏山カントリーでプレーした高校時代の友人達である。)
写真で見るとクラブハウスは立派だが、一泊3食付で¥15,500(部屋はシングル)という価格から推測してゴルフコースは期待できないのではないかと思っていた。
ところが、コースは実に雄大。グリーンも手入れが行き届き、手こずった。
久しぶりに、ゴルフの醍醐味に浸った。
帰宅して、ゴルフ場の設計者を調べたところ、佐藤謙太郎。1947年、秋田生まれとある。
国内外の著名ゴルフ場を設計している人物である。
彼の設計思想が素晴らしい。
「ゴルフコースは雄大で美しく、かつ戦略的あるべきである。」
「優れたコースは優美な音楽と同じである。音楽における作詞・作曲は設計であり、奏でるのはプレーヤーである。」
参加したプレーヤ7名は昼はコースで音楽を奏で、夜はカラオケで演歌を奏でたのであった。
プレーはやらないが、夜の宴会に参加のため、日立からかけつけた高泉君が5日の朝、朝食時にしみじみと語った 「ゴルフ場で早朝ランニングをしたのは今回がはじめて・・・。雄大でしたね。」
朝方まで降っていた台風雨もスタート時には上がった。
(メンバーは6月に烏山カントリーでプレーした高校時代の友人達である。)
写真で見るとクラブハウスは立派だが、一泊3食付で¥15,500(部屋はシングル)という価格から推測してゴルフコースは期待できないのではないかと思っていた。
ところが、コースは実に雄大。グリーンも手入れが行き届き、手こずった。
久しぶりに、ゴルフの醍醐味に浸った。
帰宅して、ゴルフ場の設計者を調べたところ、佐藤謙太郎。1947年、秋田生まれとある。
国内外の著名ゴルフ場を設計している人物である。
彼の設計思想が素晴らしい。
「ゴルフコースは雄大で美しく、かつ戦略的あるべきである。」
「優れたコースは優美な音楽と同じである。音楽における作詞・作曲は設計であり、奏でるのはプレーヤーである。」
参加したプレーヤ7名は昼はコースで音楽を奏で、夜はカラオケで演歌を奏でたのであった。
プレーはやらないが、夜の宴会に参加のため、日立からかけつけた高泉君が5日の朝、朝食時にしみじみと語った 「ゴルフ場で早朝ランニングをしたのは今回がはじめて・・・。雄大でしたね。」
2012年10月6日土曜日
ペットの骨壺
(教会長自ら焼いたペット用の骨壺)
5日、水戸の近くにある城里町のゴルフ場でプレーした後、笠間市にある出雲大社を訪れた。
この神社、実は私の義弟が教会長を務めており、今年で設立20周年を迎える。
経済不況が続く昨今、よくぞ20年も続いていると感心する。
最近は樹木葬の事業化を開始し、売れ行きは順調だという。
人間は死後自然に返る、ということを思うと、樹木葬は自然の摂理に会っていると思う人が多いのだろう。
ところで、樹木葬を契約したお客様にペットも一緒に埋葬して欲しいという要望が多いのだという。そこで、新にペット用の樹木葬用地を整地中である。
教会長の凄いところは自らユンボを運転して、樹木葬用地の整地、区画作業をやってしまうところだ。それだけではない。窯を作り、ペット用の骨壺も作ってしまう。その出来栄えは単なる骨壺の域を超え、芸術品に近い。
5日、水戸の近くにある城里町のゴルフ場でプレーした後、笠間市にある出雲大社を訪れた。
この神社、実は私の義弟が教会長を務めており、今年で設立20周年を迎える。
経済不況が続く昨今、よくぞ20年も続いていると感心する。
最近は樹木葬の事業化を開始し、売れ行きは順調だという。
人間は死後自然に返る、ということを思うと、樹木葬は自然の摂理に会っていると思う人が多いのだろう。
ところで、樹木葬を契約したお客様にペットも一緒に埋葬して欲しいという要望が多いのだという。そこで、新にペット用の樹木葬用地を整地中である。
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