2012年2月28日火曜日

酔中八策



 昨夜(27日)、久々に「松本英語塾」有志による飲み会があった。
例によって(以前もブログに書いた)海上保安庁、日立、鹿島建設、日本航空等のOBが集まった。顔ぶれからいって牛久市の良識人の集まりといっても過言ではない。
 飲み会は冒頭から核心に入った。船中八策ならぬ、酔中八策で盛り上がった。
●節電が求められる今、テレビ局は深夜放送を中止せよ
●自らの不始末で疑惑政治家を追及できない検察よ、中途半端に終わらせるな
●拉致問題解決の方策を見逃してきた外務省よ、事なかれ主義から脱皮せよ
●民主党よ、解散総選挙のテーマは、消費税ではなく、まず議員定数削減と公務員改革にせよ
●庶民派を掲げる少数野党よ、なぜ、議員定数の削減に反対する。庶民はそれを求めている
●官僚は優秀。であるならば、政治家や国民に言われるのではなく自ら改革案を出せ
●米国から押し付けられた現憲法は改正せよ
●借金大国日本。脱皮する為には、全ての国民が痛みを共有する覚悟が必要
 
 
 酔中八策の後は沖縄で盛り上がった。
 中国との交易で発展した琉球王国。交易によって、島国はとてつもない発展をした。
 現在は軍事基地で県民は苦しんでいる。内地の人間にとっても他人事ではない。沖縄県民と苦しみを共有し、解決に英知を絞らなければならない。
*写真ー沖縄県庁(上)、首里城から那覇市街を望む(下)

2012年2月25日土曜日

東条碩夫のコンサート日記


 音楽ファンである私がほとんど毎日、見ているのは「東条碩夫のコンサート日記」である。
 なにしろ、この日記を見ていると、東京を中心に日本で開催されているコンサートを居ながらにして鑑賞している気分になる。
 今月の日記を見るとこんな具合である。
 22日 NHK交響楽団、19日 大阪フィル、17日 二期会「ナブッコ」、16日 国立劇場「沈黙」、15日 読売日響、12日 東京フィル、10・11日 札幌響、3~5日
ラ・フォル・ジェルネ・・・。日本のみならず、海外のコンサートもリポートされている。
 東条先生は若々しいが、小生と年齢はあまり違わないはずである。連日コンサートに通われレポートされる体力と健筆は驚異的である。
 先生のレポートは音楽評論だけではなく、会場の雰囲気まで描写される。従ってコンサートの雰囲気が生ナマしく伝わってくる。
 私は先生の日記から多くの事を学んだ。日本のオーケストラの水準が著しく向上していること。隠れた名指揮者が沢山いること。たとえば東響を指揮したスダーン、札響・N響を指揮したエリシュカ等々。
 先生の評論には読者のみならず、多くの演奏家が励まされているはずである。楽界への貢献は計りしれない。今後の先生のますますのご活躍を期待したい。
 ところで、40年前、私は先生の愛車ボルボに乗せていただき、長野までドライブしたことがある。今となっては夢のような思い出である。
●写真は、先生(左側)とのツーショット。(2002年ごろ)

2012年2月19日日曜日

人生の掉尾を飾る夢に挑戦


 小生の友人が超有名、クラシックコンサートの音源を所有している。
 音楽文化的にも価値のあるものなので、何度かCD化することを薦めた。
 平行して知り合いのレコード会社にもCD化の可能性について打診した。
 昨年秋、両者の折り合いがつき、音源(オープンリールテープ)の確認をする事になった。
 その作業が2月15日、ついに実行された。
 レコード会社の方と友人宅におうかがい、テープをお預かりする。その本数、約40本である。都内にあるレコード会社のスタジオに13時にテープを搬入。早速試聴に入る。なにしろ、30数年前のテープである。
 テープは保存状態が悪いと、カビが生えたり、テープの磁性粉が落ちたり、転写という現象が起きたりする。友人は、30数年間というもの、このテープを再生したことがないという。
 われわれ一同固唾を飲んで、どんな音がでてくるか耳を澄ます。果たして、まるでホールでナマ演奏を聴いているような圧倒的な音がスタジオを満たした。試聴が終わったのは予定の17時をオーバーしていた。
 この音源をCD化するためには、まず、なんといっても演奏家(海外)の許可を得なくてはいけない。これからがレコード会社側の勝負となる。
 それにしても、間もなく古希の誕生日(3月19日)を迎える今、現役のレコード会社の方々と仕事(ボランティア)ができる自分はなんと幸せなのだろうと思う。
 ここ数年、本の出版など、「夢」の実現に向けて挑戦してきたが、今回の音源のCD化は小生の人生の掉尾を飾る夢になりそうだ。
(写真)5時間にわたってスタジオにこもり、幻のコンサート音源を聴く

2012年2月12日日曜日

沖縄旅行(後編)



 2日目の午後、古宇利島を観た後、那覇にもどって首里城を見学。23年前は工事中で守礼門を見ただけだったが、今回は城内をくまなくみる事ができた。建物、調度品、王や家臣の服装が韓国、中国と酷似しているのに驚いた。琉球王国は日本より大陸の影響を受けていることを実感した。その意味において、2000年のサミットが首里城で行われた意義は大きい。
 この日のホテルは国際通り、県庁の近くにあるハーバービュー・ホテル。皇族が泊まられるホテルとあって超一流の風格。さすがANA系列の旅行会社。ここで名誉挽回である。
 夕食は「四つ竹」で沖縄舞踊を見ながら、沖縄料理を味わう。古典舞踊「四つ竹」が素晴らしい。
 3日目、南部観光。太陽がやっと顔を出す。新原ビーチでグラスボートに乗り、舟底から魚群を観る。波をけたてて走るボートは水上スキーを連想させ、誠に爽快だった。その後「ひめゆりの塔」を参拝し、昼食。最終目的地「おきなわワールド」へ。800mの鍾乳洞「玉泉洞」等を見学したが、圧巻は沖縄の若者による「エイサー踊り」。感激したツアー客が1万円のご祝儀を踊り子に渡す場面も。
 3日間の沖縄旅行は予想を遥かに上回る感動深いものだったが、食べ物だけは口に合わなかった。空港へ行くバスへ乗り込む直前、近くのデパートで開催されていた函館展で、海鮮弁当とラーメンを家内とシェアーして食べ、やっと胃袋が落ち着いた。
 沖縄は第二次世界大戦で米軍と戦った。そして今でも基地の町である。本土の者としてその事に感謝しつつ那覇空港を後にした。19:05分飛行機は定刻通り離陸。満席だった。
●写真:爽快だったグラスボート(上)大きなスケールの首里城に驚く(下)

2012年2月11日土曜日

沖縄旅行(前)




 家内の希望で7日~9日まで沖縄旅行にでかけた。
私自身は2度目である。1度目は1989年、両親と一緒だった。23年ぶりである。
 羽田発、7時50分。国内便としては珍しく2階建のジャンボ。修学旅行客も含め、満席。
風雨の中、ジャンボは10分遅れで出発。上昇中の揺れに修学旅行席から「ワ―」と悲鳴が上がった。
 今回のツァーはANA系列会社「旅行計画株式会社」。2泊3日で一人¥29,800である。往復の割引航空代にも満たない料金で主要観光地が観られる。
 観光バスは那覇から高速道路に乗り北上。普天間基地、嘉手納基地付近を通過して恩納村にある「琉球村」へ。南国の植物を背景に、100~200年前の家屋が点在。いずれも赤瓦で屋根にシャチがのっている。年をとると、このような古いものに感銘を受ける。
 ついで、バスは東シナ海の突端にある万座毛に向う。東シナ海と聞いて、沖縄は本土から1千キロ離れた南国の地だということを実感する。立っていられないくらい風が強く、駆け足で断崖絶壁の上をかけぬける。途上、プロ野球のキャンプ地を通る。
 この日は名護市にある沖縄サンコーストホテルに泊まる。ホテルというよりはリゾートマンション。安いツアーの場合、こんなもんか・・・。
 2日目は「海洋博公園」へ。入口の花壇の美しさの向こうに伊江島が浮かぶ。(ここは23年前、最も印象に残った場所である。暑いので、半ズボンを買って父に履かせた。)今回、私と家内が満喫したのは水族館。世界最大級の水槽を泳ぐジンベイサメの雄姿に圧倒される。
(写真、上から「海洋博公園」「万座毛」「琉球村」)

2012年2月4日土曜日

ブルーレイ機器トラブル


 最近のパソコン、AV機器は高度化し、それにともなって、取扱説明書は厚くなってくる。「BDレコーダデジタルセットトップ」の取説はA4版で、275頁と分厚い。(写真)
 昨年、10月、拙宅は1階、2階ともブルーレイ対応の機器となった。(2階は5.1ch音声対応)
 
 年明け早々、この機器で3回トラブルが続いた。
①2階のブルーレイ・レコーダはテレビ内臓なのだが、ディスクの取り出しがうまくいかない。サービスマンが来宅して、レコーダを交換。
②1階のレコーダで録画したディスクを2階で再生したところ、音がサラウンド(5.1ch)にならない。サービスマンは分厚い取説を見ながら四苦八苦。どうやら音声録画部のセッティングミスらしいが、レコーダを新品と交換。
③交換したレコーダがこんどは、録画できない。
 修理に付き合って感じたことだが、最近の機器は高度になったため、機器の互換性などで問題がありそう、セッティングが複雑すぎてサービスマンもわからないことがある、IC化が進んでいるため、サービスマンが機器の修理をすることはなく、機器の交換になる。
 購入に関してのトラブルもあった。今回は機器の値引きの他に店の商品券付という特典もあったのだが、この特典の実施が大幅に遅れた。
 3月期の電気メーカーの決算をみると、どこも大幅な赤字であるが、今回のドタバタをみて、こんな商売をしていては儲かるはずがないと思った。