2010年6月27日日曜日

命がけの山形旅行


さくらんぼカントリークラブと山形旧県庁(国重要
文化財)





 
24日の早朝、高速を使って山形に行く予定にしていた。


それが、前日(23日)大雨となり、霞台カントリークラブのコンペが午前中で終わりとなった。


 ここで、予定を変更することにした。


 23日の昼過ぎに牛久を出発して、一般道を走り、深夜に山形に入りして一泊。24日のゴルフに参加するというものである。


 ネットでホテルの検索する。朝食付き3,800円のホテルを予約。


 午後3時、牛久発。国道4号線を北上。白石を過ぎたところで、山形縦貫道に沿った国道に入る。この街道、宮城と山形の県境を越えるには高速の笹谷トンネルを通るのが常識。ここでも高速を使用せず、一般道を通ることにした。


 驚いたことに途中から日光イロハ坂を狭くして急にし、さらに一回では曲がりきれないようなカーブが続く。いつまでも続くカーブの登り坂に次第に恐怖を覚える。時間は11時、深夜である。行きかう車は一台もいない。頂上付近に立つ高圧線を切り裂く風の音が不気味である。天空をみると、雲間から月が冴えている。やっと県境の標識を越すと、下り坂。眼下に山形市の灯りが見えたときはホットした。


 12時前にはなんとかホテルに着いた。このホテル汚いが、朝定食は家庭料理そのものであり、命びろいした長旅を慰めてくれた。


 24日のゴルフは前半はパットが絶好調で49。夜は山形の友人、村上君が経営する高級居酒屋でシャンペン、ビール、日本酒をいただく。


 25の早朝、ワールドカップ、日本・デンマーク戦をウツラウツラしながら観る。


 25日は午前中、東根市で「さくらんぼ狩」。昼、東根を出発。秋田からきた友人、阿部君を仙山線の作並温泉駅まで送って、川崎(宮城県)にでる、白石市の先で4号線に入る。23日と逆コースで一般道を走り、牛久に着く。午後8時過ぎだったので東根市から9時間かかったことになる。


 一般道を走って発見したことがある。一時流行だった「道の駅」がどこもかしこも寂れていた。


 強行旅行の疲れがでて26日から27日は死んだよう。


 ネットで「笹谷峠」を検索すると”宮城と山形を結ぶ日本最古の峠。標高906メートル”とあった。


 


 


2010年6月20日日曜日

「父の日」前後は超多忙


18日(金) 6:00全米オープンゴルフ 10:00 健康診断  午後、古希記念文集打込み、77カラヤン・ベルリンフィル来日公演CD化が決定。マスターCDR試聴

19日(土) 6:00全米オープンゴルフ 朝食後、オペラDVD視聴リポート 14:00竜ゲ崎音楽同好会

       20:30ワールドサッカー、日本対オランダ

20日(日) 9:00全米オープンゴルフ 13:00住井すゑ・講演会(講師・文学博士・北条常久)

21日(月) 8:00シルバーセンター掃除バイト 夕方、現役時代の上司のお通夜に参列(吉祥寺)

22日(火) 8:00シルバーセンター掃除バイト 夕方、つくば市の佐藤さんと会食

23日(水) 7:42霞台カントリー 20時就寝

24日(火) 2:00起床し、山形へ向かう。11:00山形さくらんぼカントリー


 ということで、このところ、町内会の会合(ベテランズクラブ、グランドゴルフ)には全く参加していない。会費を納めるだけの幽霊会員。
20日の「父の日」は2人の息子から日本酒と洋酒をいただいた。ありがとう。(写真)

2010年6月14日月曜日

河村尚子のピアノに圧倒される


 昨日(16日)、つくば・ノバホールで河村尚子のピアノリサイタルがあった。

会場へ着くとキングインターナショナルの大川さんとあった。

彼はこのコンサートを聴くためにわざわざ筑波まできたのである。

 しかし、河村の知名度は低い。千人収容のホールに聴衆は150名ほど。

 

 演奏は素晴らしかった。ベートーヴェンのピアノソナタ「狩」にはじまり、ブラームスの間奏曲。休憩を挟んでシューマンの「クライスレリアーナ」。

 大川さんとただただ「凄いね、本物だね」と感想を述べあった。

 

 彼女はまだ20代だと思う。5歳でドイツに渡ったという。

 こんな年でどうして世界一流ともいえる演奏ができるのだろう。

 ゴルフの石川遼といい、日本の若者は凄い。

2010年6月13日日曜日

日暮里、洗足、江戸川台(2)




 洗足池の名前の由来は、日蓮上人が身延山から池上の館に向かうとき、この池で足を洗ったことからきているという。日蓮上人は、河畔で休憩するが、その時に袈裟を松にかけたという。その「袈裟掛けの松」が御松庵(写真)の中にある。休憩の跡、日蓮は常陸国(茨城県)へ向かう。


 御松庵の向かいは勝海舟の別邸(洗足軒)の跡で、看板が立てられている。(写真)勝海舟と西郷隆盛は洗足軒で日本の将来について歓談したと記されている。


 洗足からトンボ帰りで常磐線に乗り、柏駅で下車。東武線で江戸川台に向かう。2時からSPコンサートが開催される。昨年だったと思うが小生、このコンサートの主催者である豊島さんに、松戸市の木村恭平さんから譲り受けたSPレコードを再譲渡。このSPレコードが聴けるのである。


 会場には近郊の音楽ファン30名ほどが集まっていた。


 三浦洸一、レックス・アレンに続いて、寄贈したSPレコードが再生された。


  ①藤原義江・女心の歌 ②藤原義江・乾杯の歌 ③中山悌一・椿姫から ④三宅春江・アベマリア


 藤原歌劇団を創設した藤原義江、二期会合唱団を創設した中山悌一の名唱はザーザーという針音ノイズと100年近い年月を超越して朗々と会場に響きわたった。


 

日暮里、洗足、江戸川台(1)




 11日、6時30分、日暮里の「江戸の風」でオーディオ関係有志の飲み会があった。珍らしく会長のF先生が遅刻された。銘酒でスッカリできあがり、電車の中で目をさますと、なんと、牛久駅を通過して「ひたちの牛久駅」。同駅11:35分の折返し、最終電車にのって12時頃帰宅。ところがアレアレである。持ち帰った封書の中をみたら、見慣れぬ手帳が?間違ってOさんの封書を持ち帰ってしまった。深夜だったがOさんに電話する。


 12日、朝7時過ぎ、Oさんから電話が入る。「封書の中に日曜(13日)昼のコンサートの切符が入っているので、今日中に届けて欲しい」とのこと。東京都心だったらバイク便というのがあって当日のうちに届くが、茨城の牛久ではどうにもならない。意を決して、自分で届けることにした。


 Oさんのご自宅は大田区洗足。ネットに住所を入力する。池上線・洗足駅から徒歩5分くらいである。牛久から約2時間、洗足に着く。Oさんのご自宅のある場所はいわゆる”お屋敷町”要塞(写真)のようなOさんのご自宅にタジろく。個人の住宅というより、大使館といった佇まいだった。お留守だったので封書をポストに入れる。


 洗足池は菖蒲が真っ盛り(写真)鬱蒼とした古木に囲まれていたが、日蓮上人、勝海舟、西郷隆盛、ゆかりの地でもあり、彼らのメモリアルが散在していた。


2010年6月7日月曜日

オーディオ評論家・神崎一雄の世界


 昨年のオーディオ関係者による忘年会の席上、評論家の神埼一雄先生に茨城で講演をしていただけないかと打診してみた。手弁当の出演要請にもかかわらず、快く引き受けて下さった。

 5日(土)、その講演の日である。12時50分、佐貫駅で先生と落ち合い、関東鉄道で竜ヶ崎に向かう。13時05分、会場につくと竜ヶ崎音楽愛好会・ゲヴァントハウスのスタッフ、石井さん、中川さん、古屋さんが出迎えてくれた。

 30分ほど、音だしの確認や、講演の手順について打ち合わせ。

 14時開演。会場は名古屋、福島、千葉、筑波などからかけつけたオーディオ・音楽ファン、50名で満員。

 先生の話の中心は音楽録音についてのエピソードが中心だった。①現代音楽の場合、作曲家も録音会場に同席している場合があり、その場で演奏者が、演奏しにくい場所があると「先生、ここは演奏しにくいですよ」というと、作曲家がその場で「これではどうかね」と修正する②ライヴ録音といっても、ライブで演奏上まずいところがあると、練習のときのものと差し替える。現在はデジタル時代なので、差し替えが簡単。ライブ録音といっても会場のノイズが全く聴こえないのもその成果・・・等々、興味深い話題が次からつぎえと続き、予定の2時間30分はアッという間に終わった。

 講演終了後、近くの焼き鳥屋で打ち上げ。スタッフの面々は筋金入りのオーディオ・音楽ファンだけにアルコールが入るとヒートアップ。しかし、どんな質問にも納得のいく答えを出す神崎先生。さすが評論家の重鎮である。(左から4人目が神崎一雄先生)

2010年6月4日金曜日

ナマ石川遼に魅了されたオヤジ達


  


那珂湊港(左)、宍戸ヒルズ1番ホール(中央)、勝田ゴルフ倶楽部17番ホール(右)





 2日~3日、独身寮時代に同じ釜の飯を食った、オヤジ達の年に一回の親睦会を開催した。




2日、午前8時、牛久駅に集合。メンバー合わせて4名なので、遊ぶのに丁度いい。小生の愛車エアトレックに収まり、勝田に向かう。




 9時30分予定通り、勝田ゴルフ倶楽部到着。平日なのに結構混んでいた。コースは素晴らしかったが、スコアは全員散々。八王子なので5時起きした、ゴルフは1年ぶり・・・それぞれスコアの悪い理由を語る。しかし、昼飯食って、一日遊んで7千円ポッキリのお値段に全員満足。




 泊まりは那珂湊市の「みなと観光ホテル」。創業100年という、和風旅館。なんだか田舎の実家に帰ったような気分。一泊2食付き、ビールと日本酒を飲んで、8千5百円。皆さん、ここでも料金の安さに満足。




 3日は8時過ぎに旅館を出発して笠間市に向かう。




 同市の宍戸ヒルズカントリークラブで開催されている日本ゴルフツアー選手権を観戦。1番ホールの観覧席に陣取る。片山晋呉、藤田寛之、尾崎将司、今野康晴、矢野東、鈴木亨、横尾要などのスター選手のドライバーショットを目前でみる。4人のオヤジ達も興奮。そして、11:09分、いよいよ石川遼の登場。「頑張って!」とおばさん達の声援が飛ぶ。実際に見る遼君は並み居る選手の中では小柄である。顔は小さく、細身で均整がとれている。人形のようである。しかし、素振りをすると、他の選手では聴こえなかった風をきる音が「ビュー」と観覧席まで聴こえる。遼君がドライバーを打つと白球は瞬時に青空に吸い込まれて見えなくなった。他の選手は球筋が見えるのだが、遼君の場合、打球が高く、しかもスピードが速い為、小生の肉眼で追うのは難しい。1番ホール、遼君はバーディをとったようだ。やはり凄い選手だ。




 遼君を観た後、牛久へ。牛久シャトーでバーベキューを食べながら、地ビールとワインを飲み、3時ころ解散。来年も元気で再会することを約し解散した。