2009年8月30日日曜日

地元中学への清掃奉仕

      (校庭に集められた雑草を詰めたゴミ袋の山の一部)
 昨日は地元中学校の清掃作業(草刈が中心)だった。

先生、生徒、父兄にわれわれ地域自治会の役員も加わって大掃除となった。


 こんな暑い日にとも思ったが、こんな機会でもないと、教師や子供達と触れ合う機会がない。その意味では価値があった。

 

 また、なによりもこの学校は私の息子と娘が学んだ学校である。子供達がお世話になった時期は勤めの関係で学校に顔を出すことはほとんどなかった。その罪滅ぼしにもなった。

 

 炎天下の2時間、フェンスにからみついたぶどうの蔓を取り除き、雑草を刈り取った。

 終わったあと、全員でいただいた冷たいお茶の味は格別だった。

2009年8月29日土曜日

オペラ「ウィリアム・テル」

       (見事、矢は子供の頭上のリンゴを射る)
      (自分の子供の頭上のリンゴを狙うテル)

 ロッシーニの作曲したオペラ「ウィリアム・テル」は序曲が有名。


後半の”嵐”に続く”行進曲”はクラシックファンならずとも知っている。


 ところが、このオペラが日本で上演されることはほとんど皆無である。日本で初演されたのは1983年。1829年パリで世界初演されてから実に154年後である。


 なぜ、序曲が有名なのに本編が上演されないのか?


 本編がよっぽどの駄作なのか?


 今回、DVDでオペラの全曲をみて、その謎が解けた。


 まず、上演時間が4時間と長い。休憩を入れると5時間以上になってしまうのだ。


 しかし、作品は実に素晴らしい。


 内容はスイスの独立とウィリアム・テル伝説によるもので、歴史叙事詩的である。音楽はヴェルディの作品のように、アリアも重唱も合唱もオーケストレーションも実に素晴らしい。4時間があっという間に過ぎてしまう。


 ロッシーニというと「セヴィリアの理髪師」のような早口で歌うアリアのある軽妙な作品が多いが、テルは重厚なグランドオペラであり、改めてロッシーニの天才ぶりに驚いた。


 ちなみに、ロッシーニはヴェルディの先輩であり、ヴェルディの傑作オペラの源泉は「ウィリアム・テル」にあるのではないかと思ったほどである。


 テルが自分の子供の頭に載ったリンゴを射る場面もみごとで、どういう仕掛けになっているのか、何回も繰り返してみたほどである。


 このDVD1988年、イタリアのミラノ・スカラ座で上演されたものを収録したもので、指揮は音楽監督のリッカルド・ムーティ。歌手陣、演出も素晴らしい。

2009年8月24日月曜日

場違いの招待状


 定年後、スーパー清掃のバイトで細々と生活している小生に場違いの招待状が舞い込んだ。

「眞鍋圭子さんの出版と叙勲を祝う会」というのである。

 眞鍋さんが指揮者カラヤンの没後20年を記念して「素顔のカラヤン」という本を出版されたのは知っていたが叙勲されたというのは初耳である。案内状をみると「オーストリア共和国功労賞」を叙勲されたとある。

 眞鍋さんは現在サントリーホールのチーフプロデューサーとして活躍されているが、若い頃は(・・・)カラヤンやベームが来日されたときに通訳として巨匠達の世話をされていた。

 小生が現役のころ、レコード会社に勤務されている乙黒さんのお宅にお邪魔し、眞鍋さんを交えて音楽談義に花を咲かせたのは懐かしい思い出である。そのころの思い出がなつかしく、招待状が小生にも届いたのだろう。

 それにしても、この”祝う会”の発起人が凄い。川口順子(参議院議員)、三枝成彰(作曲家)、下村満子(ジャーナリスト)、湯川れい子(音楽評論家)等である。

 9月のパーティが楽しみである。が、家内ではないが、なにを着ていったらいいのかと迷っている。服装には無頓着の小生、こんな晴れがましい席に着ていく洋服がない。

 久しぶりに現役時代の背広とネクタイを捜すことにしよう。



2009年8月19日水曜日

佐倉市にある国立博物館

   (ミュージアムショップのガラス越しに見える緑が美しい)
   (特別展示の社殿建築模型。内部構造までわかるように分割されている)
 息子の住宅を見に佐倉市に行ったついでに、同市にある「国立歴史民族博物館」に行ってみた。


予想を超えるものだった。


 博物館は城址公園跡にあり、都心にある博物館と違って、敷地も建物も広々としている。


 展示室も旧石器時代の第1展示室からはじまって、北海道開拓等の第5展示室まで、それぞれの展示室は見所満載である。古墳の模型、鎌倉時代の荘園、巨大都市・江戸などがミニチュアで精巧に再現されている。それぞれの時代の服飾品も展示されており、映画やドラマ制作の際の時代考証にも


役立っているのではないかと思った。


 日本人にはもちろんであるが、外国人にも是非見ていただきたい。


 成田へ降り立った外国人は東京以外は成田山新勝寺に立ち寄るぐらいだと思うが、隣町にある佐倉市の「国歴」にも立ち寄ってもらいたいものだ。そのことを国はもっとPRすべきである。


 

2009年8月18日火曜日

息子の住宅

    ユーカリが丘駅周辺の高層マンション
        右側が息子の家

 息子が住宅を購入した。


2世帯住宅にして一緒に住むというのも一案だったが、われわれと息子の世代では価値感も違うので、息子は息子で好きなところに住宅を作ることになった。


 彼が選んだのは京成ユーカリが丘だった。千葉県佐倉市である。


 14日、完成まもないという彼の新宅を見にいった。


 私の住む牛久からは55キロ。車で80分かかった。


 ユーカリが丘駅の高層マンションには驚いた。周辺の住宅も規模が大きく学校などの教育設備も充実しており、子育てには適しているようだ。


 住宅を購入するにあたっては、私も資金援助をしたが、ほとんどが住宅ローンである。


 最近は住宅業界も不況である。中には工事途中で住宅メーカーが倒産して、住宅はできず、残ったのは住宅ローンだけという話も聞く。


 彼の住宅はほぼ完成していたので、そのようなことはなさそうなので、ひとまず安心した。


 しかし、彼の勤務先は中堅の住宅関係の商社。この先心配のタネはつきない。


 息子は現在37歳。2歳と4歳の男の子がいる。

2009年8月16日日曜日

相次いで逝った若杉、黒田

  聴衆のアンコールに応える若杉弘(N響演奏会)
  「20世紀の名演奏」に出演した黒田恭一

 今年の5月、黒田恭一、7月、若杉弘が相次いで逝った。


 黒田恭一は1938年生まれの音楽評論家。早稲田大学の卒業だが、在学中から音楽評を雑誌に投稿。以降、音楽評論一筋。中野のご自宅にお邪魔したことがあった。地下が試聴室になっていた。30畳ほどの部屋の四方の壁際はすべて、CDとLPレコードで埋め尽くされていた。温厚で平易な語り口で、クラシック音楽の普及につとめた。NHKテレビで放送された「20世紀の名演奏」の解説は感動的だった。


 若杉弘は1935年生まれ。父君は日米開戦時の駐米公使だった。若杉は岩城宏之、小澤征爾とならぶ戦後の日本人指揮者の3羽烏として、世界の音楽界で活躍した。小澤がボストン交響楽団の音楽監督として活躍し、その後、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になったのに対し、若杉はオペラ指揮者として、ドレスデン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場指揮者の要職を歴任。ドイツ語圏におけるアジア人指揮者の地位確立に貢献した。2007年より、日本の新国立歌劇場の芸術監督を務めていた。


 若杉はベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」の日本初演を行なったが、東京文化会館の天上桟敷でこのコンサートを聴いた。40年以上前のことである。


 


2009年8月14日金曜日

高齢者の安否確認

 町内会の理事になって、一番の大役が廻ってきた。
担当地域の65歳以上の自宅の個別訪問である。
 表向きは市役所の高齢福祉課が行なっている「元気教室」への出席依頼であるが、実は高齢者の安否確認も含まれているのではないかと推測している。
 「元気教室」は高齢福祉課の職員が町の自治会館にでむいて、体力測定を行い、今後の生活についてのアドバイスを行なうものである。
 理事は市役所からの「元気教室参加への案内」の書状を持って個々のお宅を訪問し、参加を促すとともに、欠席の場合は問診表を書いて提出するよう依頼しなければならない。
 私の担当は45戸、63名である。
 ほとんどの方は「ご苦労様です。」ということで、話を聞いて下さるが、中には「かまわないで下さい。」という方もいる。特にアパート住まいの独居老人の方はかたくなである。
 各戸を廻りながら、なぜ、役員がここまでやらなくてはならないのかという、疑問が沸いてくる。
 そこには、役所が民生委員や地域の役員に協力してもらって、高齢者の安否確認をしたいという意図が見え隠れする。
 これから65歳以上の高齢者がますます増えてくる。(自分自身もそうである。)これと平行して核家族化が進んでいる。老人の孤独死がでないようにしなくてはいけない。
 それにしても現実は大変である。

2009年8月8日土曜日

音楽ファンを感動させた中山さんのLPコンサート

      (コンサートで使用されたLPレコードの1部)
       (コンサートで熱弁を奮う、講師の中山さん)

 8月1日、隣町である竜ヶ崎市の音楽愛好クループ「ゲンバント・ハウス」のために、友人の中山実さんを講師に呼んだ。


 講演(コンサート)の模様が今日(8日)地元タウン紙「エリート情報」に掲載された。




 中山さんはCDよりも、LPレコードの方が音が良いと信じており、LPレコードをレーザープレーヤー(エルプ)で再生する研究を進めている。ただ、レーザーは針と違って、僅かなゴミや埃でもノイズとして再生してしまうため、盤面の綺麗なLPレコードを捜す必要がある。


 このため、中山さんは年に数回、欧米をまり、保存状態の良いLPレコードを蒐集している。




 1日は中山さんが蒐集した自慢のLPレコードをレーザーで再生した音が披露された。予想以上の素晴らしい音に参加者の中には涙ぐむ人もおり、コンサートは大きな拍手とともに終了した。
 中山さんは小生の楽友。2007年にはドイツへ珍道中。

2009年8月6日木曜日

法定12ヶ月点検

     (法定点検を受けた愛車)
 今日(6日)、車の法定12ヶ月点検にいってきた。

実は先月、車屋から電話がかかってきた。

「8月は暇なんです。12ヶ月点検の予約入れてくれませんか」とう要望に応えたものだった。

 車を入庫して30分ほどでメカニックマンが顔を出した。

「エンジンがかかっても、直ぐエンジン止まってしまいます。バッテリーもベルトも交換しなくてはいけませんね。もう10万キロ近く走ってますからね。」

「わかりました。お任せしますから修理して下さい。」

それから、10分ほどして別のメカニックマンがやってきた。

「ちょっと、修理中の車見てくれませんか。」

ジャッキで上がった車を下から見上げながら、説明する。

「パワステホースとドライブシャフも交換した方がいいですよ。」

「わかりました。お任せします。」

休憩室にいると、最初のメカニックマンがまた、顔をだした。

「車みていただけませんか」

さっきみたけど変だなと思いながら着いていくと私の車を通りこして、隣の軽乗用車の方へ行く。

「違います。それ私の車ではありません。」

メカニックマンはビックリした顔をして振り返った。

私は2人のメカニックマンが点検しているのかと思ったが、大違いだった。

後で書類を見たら、私の車の走行距離は63000キロ。

私もいい加減だが、車屋はもっといい加減。

ただ、点検後、車は新車のように調子がよくなった。

費用は点検費用18,000の他に修理費用が70,000上乗せになった。

2009年8月3日月曜日

遼、藍、ゴルフに酔う

(朝日新聞は一面でも遼の活躍を伝えた。)
(この時点で藍は単独トップだった。)

 昨日、北海道で行われた男子プロの決勝ラウンドは凄かった。終盤は17歳の石川遼に追いついた34歳のB・ジョーンズが余裕をもった戦いを続けた。最終ホール、ドライバーショットは2人ともバンカー。最初に打った遼のバンカーショットは気迫に満ちていた。195ヤード飛ばし、ピンそば2,5mに付ける。ジョーンズも負けてはいない。ピンそば3mにつける。ジョーンズがパットを外す。遼のパットもカップの近くで右に流れ外れたと思ったが、ボールはカップの内側に転がった。


 テレビを見ていて、本当に痺れた。緊張で体調がおかしくなるようだった。それにしても、遼の精神力は凄い。4日間トップでまわった。所先輩プロを差し置いてである。全英オープンでタイガーと一緒にプレーしたり、予選落ちした経験が今回生きたのだと思う。


 今日の早朝、全英女子オープンを見た。宮里藍が14番ホールまで単独トップだった。身長155センチ。外人プレーヤーと比較するとまるで子供である。しかし、彼女のプレーは精確である。ドライバー、アプローチ、パットとも安心してみていられる。前週はフランスで行なわれた全米女子オープンで初優勝した。小柄ながら風格さえある。だが、後半、彼女のドライバーショットに狂いが生じ、バンカーに入る。ここから、乱れが生じ、ボギー、ダブルボギーを叩いてしまう。


 しかし、3位の成績は全英オープンにおける彼女の順位としては最高位。しかも常勝の韓国勢よりも上位だったのは凄い。