2020年9月12日土曜日

4泊5日東北旅行①新潟放送OB伊藤さんと再会

 自分78才。元気なうちに懐かしい方に会っておきたい。3月、新潟放送OB伊藤さんにお会いしたいと思い電話した。「歓迎します」とのことだった。伊藤さんに最初にお目にかかったのは1967年(昭和42)、大阪で開催されたバイロイト音楽祭というイベントだった。25才の時である。あれから53年・・・。数回東京でお会いしたが新潟でお会いしたことがない。
 コロナ下で交通費はバカみたいに安い。高速バスを利用すると東京から新潟まで¥2、000である。ホテルもアパホテルは温泉付きで¥3,440。年金生活者にはありがたい。5日の深夜バスに乗り、6日、新潟に到着した。10時過ぎ伊藤さんに電話を入れる。「今、新潟です」「そう、じゃあ晩飯でも食べようか」。幸い伊藤さんのスケジュールは空いていた。
 ホテルで伊藤さんと会う。炎暑だというのに背広姿。自分はTシャツ姿。伊藤さんは新潟市内を一望できる「新潟日報メディアシップ」展望フロア(写真)に案内して下さった。後、中華料理店へ。
 伊藤さんにプライベートなことまでおうかがいした。①82才になりました。②5人兄弟でした。亡くなりましたが上の兄はウィーン交響楽団でヴァイオリンを弾いておりました。③家ではビクターレコードのトレードマークと同じ手作りの朝顔型のスピーカーで聴いております。④SPレコードは柏崎市にあるドナルド・キーン博物館に寄贈しました。⑤毎月、地元でコンサートをやり解説をしております。でも、中々クラシック音楽を話合える仲間はいません。

 伊藤さんはタクシーに乗ると「運転手さん、近くて悪いね」と優しく声をかける。「畠山さん、荷物になって悪いけど持って行ってください」。美味しい中華料理をご馳走になった上に「越乃寒梅」までいただいてしまった。
 伊藤さんは新潟の文化人であり、心優しい紳士だということを痛感した。新潟には萬代橋や白山神社、県政記念館等、見所が沢山あったが、伊藤さんのお人柄が全てを象徴していると感じた。

2020年8月31日月曜日

コロナ収束願い、大曲の花火。柳葉敏郎(ギバちゃん)感動!言葉に詰まる


8月29日、NHK・BSプレミアムで、「日本最高峰の美。秋田”大曲の花火”」が放送さた。


 秋田県大仙市では毎年「全国花火競技大会」(大曲の花火)が開催される。昨年は約1万8千発が打ち上げられ、70万人を超える観客が押し寄せた。しかし、今年の競技大会はコロナの影響で中止。来年に延期になった。大曲商工会議所などでつくる大曲の花火実行委員会は予定されていた29日、短い時間でも良いから楽しんで欲しいと事前予告なしのサプライズ形式で花火を打ち上げた。その模様がテレビでナマ中継されたのである。


午後8時、色鮮やかなスターマインで幕開け。続いて全国の煙火会社28社がコロナの収束を願って制作した大輪が夜空を飾った。テレビ中継には大仙市出身の柳葉敏郎さんがゲストコメンテーターとして出演していたが、感動で落ちる涙を抑えきれない。(写真)「コメントできず申し訳ありません」と声を震わせ、視聴者に詫びた。


翌30日、大仙市に住む熊谷徹さんからメールが入った。花火の音を収録するために林立するマイクの写真が添付されていた。「シアターでサラウンド音声を再現できるようなマイクセッティングでした。10メーター四方にマイクを3列づつ置き、なおかつ、高さ方向の音の変化をとらえるため、1,5メーターと3メーターほどに、1本のマイクスタンドに2段かまえの取り付けでした。(写真)10メーター四方の真ん中にリスニングポイントを想定しているかと思います。」というコメントがついていた。


2020年8月23日日曜日

感動+郷愁! 「音」で聴く、歌、SL、ねぶた囃子


先月、レコーディングエンジニアの行方洋一先生にお目にかかったことをブログに書いた。
その時、手作りのCDをいただき、感動と郷愁に浸った。この体験を是非、地元刈谷ベテランズクラブ(老人会)の皆さんにも聴いていただきたいと思った。
 20日、その機会が訪れた。参加者は60才~90才代の老人、約40名。
 プログラムは以下の通り。
 ①遠くへ行きたい (ジュリー藤尾) ②見上げてごらん夜の星を (坂本 九) ③SL蒸気機関車 (北海道、美唄鉄道・常盤台駅付近で収録)④青森・ねぶた囃子 終わって、拍手が沸いた。

 
●若かった昭和時代を思いだし、感無量 ●私、美唄の出身です。聴いた途端、オレの鉄道だと思った。近くの川で魚を獲った頃を思いだした。ありがとう・・・等の感想が寄せられた。
 再生した機材はラジカセ。ジュリー藤尾、坂本九の歌声はラジカセでも十分伝わった。SLが汽笛を鳴らし、蒸気音を発しながら喘ぎあえぎ急坂を登る様も皆さんに伝わったようだ。ねぶた囃子もその賑やかさと活気は伝わったと思うが、大太鼓の皮が波打つ様までは再生できず、伝えることができなかった。
 機会があれば本格的なオーディオ装置で聴かせてあげたい。歌でも、SLや祭りでも、映像で視るより、いい音で聴いていただいた方がイメージが広がり、感動を呼ぶことを体験させてあげたい。行方先生が音質に拘るのもその点だと思う。

 🔵21日、車検。いつもお願しているところから「そろそろタイヤをとりかえないと」といわれたが、タイヤの山をみると、まだ、大丈夫だと思った。今回、業者を変更した。タイヤに対する指摘なし。タイヤ代(6万~9万)が浮いた。

2020年8月14日金曜日

渋谷「明日の神話」「忠犬ハチ公」&金正恩、夢にでる

 

11日、東京にでかけました。40年以上お世話になっている0さんと京王井の頭線渋谷駅の改札でお目にかかることにした。久しぶりの渋谷なので、有名な交差点にも行ってみたいと思った。その前に井の頭線の渋谷駅を確認しておく必要がある。(最近は東京も昔と違って様変わりしており、戸惑うことが多い)目的地につながる通路で、思わぬ作品に出合った。岡本太郎(1911~1996)の大壁画「明日の神話」である。岡本太郎といえば「芸術は爆発だ!」1970年、大阪万博の「太陽の塔」が有名。僥倖である。通路から眼下を見ると、有名な交差点が見える。その手前に人だかりがしているので、良く見ると「忠犬ハ公」の銅像が見える。ハチ公は秋田犬で、毎日、飼い主を渋谷駅まで迎えに来たという。飼い主が死んでから約10年、渋谷駅に迎えにでたというから驚く。海外でも有名で、外人旅行客の記念撮影の聖地になっているという。

思わぬ観光をした後、Oさんと無事合流。昔話を堪能した。Oさん、83才だが、まだ現役である。

ところで、昨日、思わぬ夢を見た。「日本経済新聞を広げると、北朝鮮の将軍様、金正恩氏の講演会の記事が掲載されている。入場料は¥13,000。いいバイトだなと思っていると、自分は帝国ホテルにいた。二階に上がると、全ての部屋が将軍様一行の貸切。場面変わって、講演会が終わってからのパーティ。自分は将軍様随行の美女に囲まれて身動きがとれない。これはワナかもしれない。と焦った・・・」というところで覚めた。

2020年8月2日日曜日

小池百合子さん、それを支えた都庁官僚の手記


「築地と豊洲」という本を読んだ。元東京都中央卸売市場次長・澤章さんが書いた手記である。サブタイトルは”「市場移転問題」という名のブラックボックスを開封する”である。迷走に迷走を重ねた小池都政最大の事件の真相が赤裸々に描かれている。
 
 小池さんと言えば、そのメディア(広報)戦略の巧みさである。
 2017(平成29)年9月25日夕刻、安倍首相が衆議院議員解散の会見を行うという情報が流れる。小池さんの新党立ち上げの準備が整はないうちに解散に打ってでれば選挙戦に有利という戦略だった。この情報を察知した小池さんはその裏をかく。同じ25日、新党(「希望の党」)立ち上げの記者発表をする。しかも直前に「パンダ命名会見」を行ったのである。パンダに引き寄せられたメディアはそのまま「希望の党」立ち上げの会見になだれ込み、テレビ、全国紙、ワイドショーからスポーツ新聞まで、小池マジックにまんまとはまった。しかも、「希望の党」立ち上げから1時間後、小泉純一郎元首相を都庁に迎え二者会談。党の公約として「原発ゼロ」を掲げる。結果、安倍首相の解散声明はかすんでしまう。本書は「この日こそ政治家・小池百合子が束の間の絶頂をおう歌した瞬間だった。」と結んでいる。
 この後の「希望の党」の急降下は驚くべきものだった。
 29日、「希望の党」代表になった小池さんの定例記者会見が行われる。記者から民進党との関係を聞かれて「排除します」と発言したのが急降下の予兆となる。続いて「都知事と国政政党の2足のわらじを履いて大丈夫か」という批判がでる。与党であるはずの公明党からも「都政は踏み台か。都政に専念すべき」と苦言がでる。次に起こったのが「小池知事の出馬はないのか」という国政出馬(待望)論だった。9月、小池さんは「希望の党」代表の座を降りる。結党50日目。線香花火のような退場だった。
 「築地と豊洲」のみならず「希望の党」でも揺れ動いた小池さん・・・。
 
 小池さんは7月の都知事選挙で圧勝した。が、コロナ、オリンピックと難題が続く。揺れ動く小池さんと、それを支える都庁官僚とのドラマはこれからも続く・・・。

2020年7月23日木曜日

ショック!白塗りの男子ゼッケン、祝・老人会


7月もいろいろあった。
ショックだったのはテレビで放送された白塗の男子ゼッケン!
トーク番組に男子陸上の有名選手が出演。番組のサブタイトルに”世界陸上メダリスト”とでている。自分は現役時代、世界陸上の仕事をしていた。勤務していたTDKは世界陸上のゼッケンスポンサーをしていた。当然、当該選手がメダルを獲る瞬間が放送されるだろう、と観ていた。確かに放送された。が、驚いたことにTDKのロゴが入っているゼッケンが白塗りになっている。ゼッケンだけではない、TDKの看板まで白塗りになっている。多分、これは番組スポンサーの指示によるものだろう。
しかし、こんなことをやったら、登場選手や番組にとってもイメージ的にプラスにならないし、スポンサー、局のイメージアップにもならないのではないかと思った。
 例えば、銀座にA飲料メーカーの看板があったとする。B飲料メーカーの提供番組にこの看板が写っていたとする。B社は放送局にA社の看板を白塗りにするよう指示する。
 このことによって、B社の品位が上るだろうか?広告物も時代を反映するものであり、慎重に対応すべきではないか・・・。
4月から地域の老人クラブの役員をやっている。2日、毎年恒例の「七夕祭り」を実施。役員男子部が竿竹を用意、女子部が飾り付けを担当。これに会員が願事を書いた短冊を結んだ。(写真)願い事のほとんどが、コロナの早期終息だった。9日、新旧役員会の昼食会実施。19名が参加。三密を考慮し、食事の形態は弁当(写真)。幹部会では乾杯の音頭にビールを出すかどうかで意見が分れた。
コロナは予測不能。老人会ですら対応に苦慮するのだから行政にしろ、諸団体にしろリーダーは大変である。結果が悪ければリーダーは責任を問われる。
 
                 

2020年7月19日日曜日

僥倖、行方洋一先生との食事会



17日、行方洋一先生との食事会のセッティングをして下さったのは髙山了さん(フジフィルムOB)である。髙山さんは一緒にカセットテープビジネスで汗をかいた仲間である。ケーナ奏者の渡辺大輔さんも同席されるという。
 指定されたコーヒー店「ノーチラスカフェ」は土浦駅から霞ヶ浦沿いに4キロほど南下した125号線沿いにあった。ウッカリすると見落としそうな木造平屋建ての一
軒屋だった。店内に入ると、マスク姿の行方先生が迎えてくださった。マスクをはずされて「行方です」と笑顔。髙山さんと、渡辺さんが現れる間、自己紹介も含めて話が弾んだ。
 行方さんは映画監督の大林宣彦さんのようにヒゲを蓄えておられる。著書を読むと、東芝EMIの社員でありながら、競合他社の仕事をされたり、オーディオ評論家の仕事をされたり・・・「不良社員だった」そうだ。東芝EMIの給料より、バイト代の方が多かったという。そんな経緯から行方先生は近づきがたい、怖い方かと思っていたが、「誠実、謙虚、穏健」暖かい方だった。バイトができたのは先生の実力とお人柄だったのだと合点した。
 12時に始まった4人の話題はオーディオ、音楽から生録音へと展開。終わったのは3時30分だった。SⅬ(蒸気機関車)を知らない世代の渡辺さんも、店内に流れるSⅬのリアルな爆音に魅了された。渡辺さんといえば会話の中に興味のある単語がでてくると、即座にタブレットで検索して対応する。世代の違いを実感した。
 「ノーチラスカフェ」はジャズ好きの山本店長が経営しており、店長手作りのアルテックのスピーカーが鎮座。棚に陳列されたコーヒーカップが美しい(写真)
 行方先生から恐縮にも手作りのピンクフロイドとビートルズのCDをいただく。帰宅して、その音に仰天。家内が留守の時にジックリ聴こう!