2024年7月28日日曜日

TDK本社訪問。昔と今では大違い。

 25日(木)、日本橋にあるTDK本社に行った。
この日の朝7時のNHKニュースを見て驚いた。
私が生まれた秋田が大洪水に見舞われている。なんと、私の実家の近くを流れる石沢川が氾濫。実家のある鮎瀬部落に濁流が押し寄せているという。鮎瀬部落から日本海側にカメラがパーンしたら、TDKのハイテク本荘工場が水に浮かんでいるではないか。(写真)
私に同行したYさんが、「昔は、本荘高校を卒業していれば、名前を書くだけでTDKに入社できたそうですね」。地元の農林高校、それも縁故で入社した私は笑うしかなかった。私が入社した64年前のTDKの売上は30億円、今は2兆円。従業員も3千人が10万人にもなった。
高島屋・銀座アスターで昼食をとりながらの打合せとなった。開口一番「本荘工場の水害は大丈夫ですか」と聞いたところ「お陰様で浸水はしてません」ということで一安心。用件は「カセットテープの広報について」。カセットテープというと82才の小生でも役に立つようだ。光栄なことである。
国際企業になったTDK広報は業務内容が多岐にわたり、多忙を極めていることをヒシヒシと感じた。短時間でいかに現役の方に自分の思いを伝えるか?銀座アスターの料理を味わう余裕はなかったので前菜を写真に収めた。
30年前、私が広報にいた頃の人員は4~5人だったが、今は20数名。しかも英会話ができるのは当たり前。朝、毎、読クラスの大新聞社から移籍された方もいるという。ローマ字でやっと名前が書ける程度の私は通用しない。


2024年7月21日日曜日

職人さんありがとう。蘇ったわが家

6月21日から始まった壁と屋根の塗装工事が15日終了した。
最初の2週間は辛かった。足場が組まれ、雨戸は締められてしまった。朝起きても雨戸を開けることができない。青空が見たかった。外の空気を吸いたかった。それがかなわない。牢獄に入れられるというのは、こういうことかと思った。
しかし、私より辛かったのは職人さんだったと思う。6月下旬は真夏のような日が続いた。極暑の中で、足場を頼りに職人さんは塗装作業を続けた。日によっては朝8時~夜7時まで作業は続いた。日射病で倒れるのではないかと心配だった。
14日、足場が解体され家の全景が現れた。新築のようである。
営業の方に「職人さんには本当に良くやっていただいた」とお礼をした。「彼は中学を卒業すると、塗装職人だった父親の後を継いでやっているんですよ。塗料も目分量ではなく計測してやっています。軒下が腐っていて上手く塗装ができなというので大工も入れました」
職人は日本の宝だと改めて感じた。

7日は、義弟の45日の葬儀があった。5月26日、名古屋から帰ると、家内から「弟が亡くなった」と知らされた。75才だった。家内は5人兄弟。義弟は一番年下だった。義父も義母も「なんだ順番が違うじゃないか」とあの世で驚いているだろう。義弟は茨城県ひたちなか市に居を構えていた。7日は親戚の方々が集まり思い出を語った。義弟は近所の方々、特にご婦人に人気があったという。奥様は元・教師。義弟は誰にでも優しい人だった。



2024年7月14日日曜日

懐かしのカセットテープ博物館/1,500種貯蔵

「懐かしのカセットテープ博物館」というのをご存知だろうか。
これはカセットテープのコレクターである加藤邦裕さんが個人で運営しているネット上の博物館である。入場無料。ネットなので毎日24時間入場できる。
博物館の目的にはこう書いてある。
”展示品をご覧いただいて、とにかく「懐かしい!」と感じていただけばうれしいです。1970年代のカセットを初めてみる方には「新鮮!」と感じるかもしれません。それをきっかけにして、昔に録音したカセットをあらためて聴き直したりして、懐かしい思い出を広げていただければ、さらに嬉しいですね”
展示館はSONY,TDK,日立Maxell,住友スリーエム,日本コロムビア,富士フィルム,BASF等メーカー別になっている。バックヤードの貯蔵庫には1,500種類のカセットテープがあり、(写真・左)見ているだけでも楽しい。この他、エルカセット展示館、8トラック
展示館、カセットデッキ展示館があり、興味が尽きない。
学芸部(加藤館長兼務)にはカセットデッキや測定器が設置されており、展示品の測定なども行っている。(写真・右)
この博物館はカセットテープの情報誌、音楽・オーディオ誌によるカセットテープ特集記事の発信基地にもなっており、「カセットテープ人気」を支えている。


2024年7月10日水曜日

難病ジストニアを克服した、三石未央さんがテレビ出演


 三石朋子さんからメールをいただいた。

”幻冬舎を通じて読売テレビから取材依頼があり、未央が取材を受けました。放送は7月20日(土)日本テレビ(読売テレビ)8時~9時25分、ウェークアップという番組です。この番組の中の「難治性疾患」という15分くらいの特集番組に出演します。番組ディレクターは図書館で「奇跡の一歩」を見つけ、未央の体験記に衝撃を受けたといっておりました”

このメールは私にも衝撃だった。「奇跡の一歩」は私が監修した本である。サブタイトルは”全身ジストニアに翻弄された私の青春””笑顔が未来を切り開く”。序章 臼蓋(きゅうがい)回転骨切り手術、第一部 生い立ち、第2部 全身ジストニア、 第3部 未央の日記 と続く。この闘病日記が痛々しい。

私は街の本屋さんであれば、数十万円でできるが、一流出版社に委託すれば、書店にも並ぶし、アマゾンでも扱ってくれる。といって幻冬舎を進めた。発売直後アマゾンの「書簡・日記部門の売れ筋ランキング」で2位に入ったが、高い買い物をさせたのではないかと、お母さんの朋子さんには申し訳けないという気持ちがあった。テレビ番組出演とのメールをいただいて、やはり、幻冬舎に頼んだのは間違いなかったと胸をなでおろしたのである。

真央さんは、2021年、カリフォルニア州立大学を卒業。医療環境にある子供や家族に、心理社会的支援をする専門職”チャイルド・ライフ・スペシャリスト”としてご活躍のはずである。その晴れやかな顔を見るのが楽しみである。

2024年7月1日月曜日

年間VIP500名、自宅にご招待!盛田家のおもてなし

盛田昭夫塾を運営している天涯文化財団から、昭夫氏の奥様、良子(よしこ)さんが書いた「おもてなしの心とおもてなしをうける心」という本が出版されているということを知った。新入りの盛田昭夫塾生としては読んでみたい。早速「アマゾン」を検索したがヒットしない。ということで天涯文化財団に直接申し込んだ。驚いたことに同財団代表理事の岡田直子さん(昭夫氏のお嬢さん)のお名前で本が届いた。読んでみて驚きました。
盛田家は年400人~500人のVIPをご自宅にご招待していたという。週に2~3回、ご自宅でパーティをやっていたという。それを仕切っていたのが奥様の良子さんだった。仕切るといっても自ら招待状を作り、招待客の料理の好みを調べ、自分で厨房に立ったというから驚く。VIPは元首相、元大使、現大使、大企業の社長、会長、文化人と多彩。ドイツの名バリトン歌手フィッシャー・デスカウやアンディ・ウィリアムス、レナード・バーンスタインを招待した時のエピソードなども語られており、興味深い。
パーティの開催に当たっては料理は勿論だが、席順も大切だという。5月26日、盛田塾を尋ねた時、食卓セットが展示されていたが、この本を読んで、はじめて展示の意図を知ったのだった。
私のような庶民は上流社会の社交界というのを知る機会はないが、この本によって、それを知ることができる。それも、その舞台裏を。
それにしても盛田家の民間外交は凄い。日本にも立派な経営者は数多くいると思うが、盛田家のレベルの方は少ないのではないだろうか。この本は政治家や官僚、企業のトップの方々にも是非読んでいただきたい本である。(写真は本に掲載されている盛田ご夫妻)
●「両親も喜んでいると思います」というもったいない言葉に続いて「この本で伝えたいことは、裕福な家庭だけに通用する話ではなく、誰にでも役に立つ”おもてなしの心”だと思います。というコメントを直子さんからいただきました。