2023年9月24日日曜日

105才で亡くなった母を追い、姉も逝く。

 105才の母が亡くなったのは今年の3月13日だった。その母を追って、9月19日、姉工藤セイ子が旅だった。86才だった。
最後に私に電話があったのは8月26日だった。声に力がなかった。「死にたくないが、苦しくて生きるのが辛い。9月9日、曾孫の結婚式があるので、その時まで生きたい。家族にはアリッタケ(とてつもない)迷惑をかけている」絞り出すように語った。
看病に当たっていた長女の清子さんは医師から「モルヒネを口からではなく、点滴で投与して良いか」と聞かれる。それから2日目、姉は帰らぬ人となった。
母が亡くなった時は、ブログを書いていても、平常でいられたが、こうやって、ブログを打っていると涙がこみ上げる。「さぞ、無念だったろう」。でも、今はあの世で先に逝った父や母、夫と再会し、安らかなのではないだろうか。そうあって欲しいと思う。
私のような次男と違い、農家の後継ぎの苦労は想像を絶する。家を護り、家業を護り、生活していかなくてはならない。姉は19才で工藤家に嫁いだ。頼りにしていた夫に先立たれた後は一人で3人の子供達を一人立ちさせるとともに、工藤家を護ってきた。
20日火葬、21日通夜、22日葬儀が行われた。
工藤家は由利本荘市藤崎の名門である。姉は長年、民生委員を務めたということで、親戚の方々や多くの住民の方々が参列した。長女の清子さん、喪主の隆夫さんを中心に家族一丸となって、火葬、通夜、葬儀を仕切る。その姿を見て、安心するとともに、感動した。姉の死去は残された工藤家の団結を強くしたのではないだろうか。
世の中は核家族化し、結婚、葬式は簡略化される一方である。しかし、農家の旧家に残る昔からの伝統、家と家業を護り、親族、地域住民との絆を大切にする。このあり方はできるだけ長く続いて欲しい。実はそれが少子化問題の解決のヒントである。と、私は思う。


1 件のコメント: