私は昭和43年(1968)磁気テープ事業部に異動になった。最初の上司は富田さんだった。その富田さん、小生より10才年上、90才の大台である。その富田さんからランチのお誘いがあった。富田さんは世田谷にお住まいである。31日昼、常磐線の牛久から小田急線の経堂におうかがいした。代々木上原で小田急線に乗り換えると、ご婦人方の服装もオシャレである。
富田さん、さすがにやや前かがみにはなったが、話ぶりは55年前とかわらず、エネルギッシュだった。ランチは2時間くらいで終わるだろうと思っていたのだが、終わって経堂駅の時計を見たら3時30分だった。富田さんは昭和30年、TDK入社。文科系大卒の第1号だったという。入社すると、フェライトを生産している秋田に実習に行ったという。東京の世田谷で生まれ育った富田さん、秋田の独身寮3畳の生活は身に沁みたのではないだろうか。その後、東京へ戻ると昭和28年生産開始した磁気テープの販売専任者になった。当時はオープンリールテープの時代でアメリカ3M社のスコッチブランドが品質、売上ともダントツ。国産の磁気テープは国策でなんとか息をしていた。赤字だったため、社内では赤字事業部と叩かれた。富田さんは「暗黒時代だった」と回想する。「カセットテープ黄金時代」しか知らない私に当時の苦労を伝えたかったに違いない。
経堂にうかがう前、東京の新国立競技場を見学した。(写真・上)この競技場で2025年、世界陸上・東京大会が開催される。TDKが世界陸上のゼッケンスポンサーになったのは1983年第1回ヘルシンキ大会からである。当時、TDKカセットは世界をほぼ制覇していた。世界陸上のゼッケンスポンサーの発案者は私を磁気テープ事業部に誘ってくれた沖山昭八さんだった。
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