15日、隣町、龍ヶ崎市にあるクラシック音楽グループ「龍ヶ崎ゲバントハウス」は著名な音楽評論家・音楽学者・指揮者である金子建志先生をお迎えして講演会を開いた。
講演テーマは”指揮の見方”~過去の大指揮者の棒はなぜ判り難いのか~
クラシック音楽に興味のない方にはどうでも良いことである。ただ、指揮者による音楽の違いに目覚めると、同じベートーヴェンの「運命」でも、演奏によっては、勇気が湧く場合もあるし悲嘆に打ちのめされることもある。指揮者は音楽に対する自分の思いを身振り手振りで楽員に伝える。その方法は千差万別なのである。
ということで、金子先生の講演のエキスを……。
講演テーマは”指揮の見方”~過去の大指揮者の棒はなぜ判り難いのか~
クラシック音楽に興味のない方にはどうでも良いことである。ただ、指揮者による音楽の違いに目覚めると、同じベートーヴェンの「運命」でも、演奏によっては、勇気が湧く場合もあるし悲嘆に打ちのめされることもある。指揮者は音楽に対する自分の思いを身振り手振りで楽員に伝える。その方法は千差万別なのである。
ということで、金子先生の講演のエキスを……。
カラヤンの指揮は芝居じみているという方もいますが、多様なテクニックを駆使する天才です。必ずしも楽譜通りに指揮しません。これはカラヤンがオペラ指揮者だからです。オペラの場合、歌詞も理解し、歌手の調子も見ながらまとめなければなりません。その場に合わせて柔軟に対応できる即興性が必要です。
楽員は指揮者のどこを見れば良いか。一般論としては「腕」特に「手首がポイント」ですが、ゲオルグ・ショィルテイは「肘」が持論でした。ショルティはフォルテの場合だけではなくピアニッシモの部分でも派手に肘を動かしました。しかし、この指揮は楽員との意気が必ずしも一致しない。映像を観て下さい。「展覧会の絵」プロローグの場面です。管楽器奏者が完全に無視しています。(笑)
バーンスタインを最初に聴いたのはニュヨークフィルとの来日の時(1970)でした。当時の私の先生は柴田南雄さんでした。柴田さんはバーンスタインを評価していなかった。柴田さんから招待券をもらいました。バーンスタインは荒っぽい指揮者だと思っておりました。当時の来日オケは国歌の演奏をしておりました。案の状、アンサンブルは乱れており、ベーム・ウィーンフィルとは大違い。しかし、マーラー(9番)の第一楽章の終わり頃からとんでもない演奏だと感じはじめ、終楽章の静寂で圧倒されました。体が動きすぎると思いますが、音楽と連動して自然に動いてしまうものであり、体全体から音楽がほとばしる。これがバーンスタインだと思います。
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