(小生の母校、秋田県立鷹巣農林高校は2010年、統合により廃校。卒業生の一人として母校を語り継ぐ)
母校、鷹巣農林は明治43年、北秋田郡七日市村に創立された。
明治年間に国有林制度が布かれた時、同村にある秋田杉の美林を村民が一丸となって造林したことを当時の村長長岐貞治氏、代議士畠山雄三兄弟等が古文書を証拠として訴願。同村奥見内沢数百町歩の秋田杉の立木80万石以上が七日市村の所有となる。当時のお金で20万円(現在の価値で2億円)が村に転がり込んだ。
山に木を植えれば財が蓄積されることは誰でも知っている。しかし、生活が苦しくなり人心が軽薄になれば、樹を植えるどころか他人が植えた山でも盗伐する者さえいる。そんな時世の中で七日市村は植林に着目し、郷土百年の大計として旧藩時代から村民一丸となって造林に携わってきた。二百年以上前の昔、山を切り開き、地ごしらえして、杉苗を植え毎年林木を撫育し続けた。みのを着、わらじを履き、シナノキで編んだ前掛けや脛あてをつけ、握り飯と用具を背負って威勢良く谷間を歩いたであろう村人達の労苦が実ったのである。(長木沢や仁鮒等に美林を残した秋田藩の優れた林政が影響していたかもしれない)
金ばかり持っていてもかえって不幸の種を招く結果になるかもしれない。あるいは勤勉の良習を見失なって怠惰になってしまうかもしれない。村に転がりこんだ2億円のお金を将来のために残したい。ここに着眼したのが当時の北秋田郡長前田復二郎氏だった。
当時は日露戦争に辛勝して、日本は世界の強国の一つに数えられるようになったが、名実ともに国力を充実させるためには人材の育成や産業の振興を急務としていた。農林業界の推進に役立つ中堅青年を養成することこそ、先人の意思に従う事であり、国家や郷土に貢献する途である。
前田郡長の意向のもと、明治43年鷹巣農林は郡立として設立された。郡立時代は卒業生を2回出している。第1回は22名、第2回は17名だった。大館、北秋田の旧家や地主等の子弟が多かった。(9月1日予定されていた東京伊勢堂会はコロナ自粛に配慮し、中止となりました。)
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