(小生の母校、秋田県立鷹巣農林高校は2010年、統合により閉校。卒業生の一人として母校を語り継ぐ・・・)
1月、鎌倉在住の見知らぬ女性の方から「寒中見舞い」のハガキをいただいた。「昨年7月、母山谷矩子は他界いたしました」とあった。山谷矩子さんこと、木村矩子さんは、鷹農時代の同期生である。私は林業科、矩子さんは普通科だったが、2人とも文芸部に所属し、卒業後も毎年、年賀状の交換をしていた。
平成22年、古希を記念して作った文集に寄せられた矩子さんの文集をたどる。
「高校を卒業して就職しようと思っても産業のない田舎町のこと、なかなか思うような仕事につくことができなかった。その頃祖父が痴呆になり寝たきりになった。東北の凍てつく寒さの中、布おむつの洗濯、乾燥が思うようにいかず苛立った。母は嫁の義務としてもくもくと介護に当たっていた」「28才の時、縁あって結婚。上京した。夫の稼いでくる給料の半分は家賃に消える。働くことを決意。東京都の採用試験に挑戦。保育士、社会福祉士として働く。その後、家庭復帰支援員、ひとり親就労支援専門員になる。母子家庭の母は、子が施設に入っている間に『女に変身』してしまうことがある。これが虐待に結びついていく・・・」「T市で親子相談員をしていた頃、夫がガンに侵された。夫を介護しながら相談の仕事をする重圧に押しつぶされそうになった。どうにか頑張れたのは、小さい時からの貧乏暮らしで耐えた精神力と多くの方々の協力のお陰である」
介護、福祉に捧げた人生だった。安らかにお眠り下さい。
(写真、鷹農・文芸部。2列目、左から2人目が矩子さん)
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