2019年9月22日日曜日

日本文化&オペラの本質/ドナルド・キーン


今年の4月出版された「ドナルド・キーンのオペラへようこそ」(文藝春秋)に”日本文化とオペラの本質”を指す表現がある。
〇わたしが18歳だった。ニューヨークのタイムズスクエアの本屋でアーサー・ウェイリー訳の『源氏物語』に出会ったのがきっかけで、日本の文学・文化の研究へと導かれたのです。『源氏物語』に描かれた世界は、わたしの住んでいた世界とは全く違っていました。戦争も殺人もなく、登場人物が何のために生きていたかといえば”愛”と”美”を追求するためだったのです。-略ー(手紙は)『源氏物語』では、女性はどのような紙がふさわしいか考えたうえで、
墨の濃淡を選び、さらに書体を決定します。(それに対し)名作オペラ<エフゲーニイ・オネーギン>のタチャーナの場合、用紙等は不明です。ロシア人にとって「わたしはあなたを愛しています」ということが伝われば十分だったのです。
〇<ボリース・ゴドゥーノフ>を言語ロシア語で上演することに大賛成です。ロシア語独特の響きがなければ、きわめて物足りなく感じることでしょう。わたしはこの名作オペラを、英語、仏語、伊語、日本語でも聴いたことがありますが、ロシア語でなければ強い違和感を感じます。例えば皇帝ボリースが登場するとき、民衆が「スラ―ヴァ(栄光)」と歌いますが、日本語訳では「ばんざい」となっていますから音楽と合いません。英語も日本語もオペラにあいません。どういうわけか英語はポピュラー・ソングに日本語は軽い音楽に向いていると思われます。
〇メトロポリタン歌劇場におけるニルソン(ソプラノ歌手)とカラヤンの確執は、ニルソンの勝ちに終わりました。歌手を音楽の一部を受け持つ楽器として扱うカラヤンのやり方が、二ルソンの肌に合わなかったものと察せられます。二ルソンにとって、オーケストラは、人間の声によって歌われることばの伴奏者なのです。オペラの魅力はひとえにその歌声にあるといっても過言ではないでしょう。
*ドナルド・キーン(1922-2019)日本文学研究者、文芸評論家、コロムビア大学名誉教授、同大学に日本文化センター設立、文化勲章受章(2008)。

2019年9月19日木曜日

母校・創立110年/東京伊勢堂会

母校、秋田県立鷹巣農林高校の東京地区同窓会「東京伊勢堂会」が9月1日行われた。場所は東京・ライオン銀座クラシックホールである。(写真・尺八をバックに相撲呼出を披露する石岡会長)
 
今年は母校創立110周年である。鷹農の卒業生は16,000名。東京伊勢堂会の登録会員は千名。秋田からでてきて、首都圏に在住し、母校に愛着を持っている方々である。今回の参加者は52名。最高齢は昭和23年卒業の工藤祐男氏、武田運蔵氏。89才である。地元秋田から同窓会長の石岡保氏も参加された。
 懇親会は12時からはじまり3時間、この短い時間に母校
の歴史や、思い出を語り合うことはムリである。しかし、校旗を眺め、校歌を歌うことで心は一つになり、青春時代が蘇る。会場のクラシックホールに秋田訛りが飛び交い、厳寒の厳しさと、燃える新緑に包まれた母校が浮かびあがった。
 私は今回、鷹農同窓会の今後の発展のために「ホーム頁」の開設を提案した。後輩達はスマホの時代に育っている。「ホーム頁」で母校の歴史や同窓生の動向を伝えるようにしたら、どうか?と思ったしだいである。
 若い人たちは秋田の「金農」は知っていても「鷹農」は知らない!「鷹農」はスキーで全国優勝している。相撲も強い!美人も多いんですよ(写真・中)石岡会長にエールを送る岩崎準志郎・東京伊勢堂会会長(写真・下)

2019年9月17日火曜日

敬老祝賀会/老後は教養(”今”日も”用”事がある)


昨日(16日)は刈谷行政区の敬老祝賀会。
 あいにく朝から大雨。8時~9時まで牛久シャトー・ミュージアムの掃除。終わってから会場(自治会館)にかけつける。入口で「畠山」と名前を書いた傘入れと下足れのビニール袋を渡された。参加者は75才以上の老人、しかも酔いがまわると、下足を捜すのも大変。事務方の用意周到に頭が下がる。
 刈谷行政区は5千名。75才以上は790名。今日の参加者は200名だという。
9時30分から開会。自治会長、市長、県議会議長のお祝いの挨拶が続き、ベテランズ会長の乾杯で祝賀会の幕が開いた。

1昨年、敬老会の案内が来た時は「オレに敬老とは失礼な!」と欠席したが、今年は素直に参加する気持ちになった。牛久市からの案内状に心を動かされた。
 ”敬老の日を迎えられ、心よりお喜び申しあげます。今日の平和で豊かな社会を築きあげてこられた皆様方に改めて感謝を申し上げます。皆様方がいつまでもご壮健で心豊かな人生を過ごされますよう祈念いたします。

ところで、刈谷行政区の場合、3年後75才以上が1,400名と今年と比較して40%になるという、今後は敬老会祝賀会の年齢を80才からにしようという案もでているという。賛成である!
 県議会議長の挨拶から・・・。老後は教育と教養。心は「”今”日も”行く”ところがある」「”今”日も”用”事がある」

2019年9月12日木曜日

ザルツブルグ音楽祭・4K生中継(下)「永遠の祈り」


ザルツブルグ(オーストリア)はモーツアルト(1756-1791)の生地。音楽祭はモーツアルトに因んだもので1920年スタート。今年が100年目に当たる。この記念すべき年、オランダ生まれのベルナルト・ハイティンク(1929生)がウィーン・フィルを指揮した。ハイティンクはオペラ「フィガロの結婚」を指揮して(1991)音楽祭に初登場。今回が1
4回目となる。
 演奏曲目はブルックナー(1824-1896)の交響曲第7番。演奏時間70分の大曲である。ブルックナーは作曲家であるとともにパイプオルガン奏者でもあった。同交響曲からは壮大なオーストリアの大自然とオルガンの響が聴こえる。記念すべきコンサートをTシャツ姿、ワインを飲みながら鑑賞す
る。鎌倉千秋アナウンサー、原沙知絵さん(俳優)、奥田佳道氏(音楽評論家)が現地の模様を伝える。ハイティンク&ウィーンフィルの演奏は壮大で美しく「永遠の祈り」を感じさせた。演奏終了後、沈黙が訪れた。
7月4Kテレビを購入したが、その威力を発揮できるような番組がなく、失望していたがザルツブルグ音楽祭の生中継がその渇きをいやしてくれた。なお、音楽番組の場合、画質が良くとも音が伴っていなと本当の感動を味わうことはできない・・・と、いう事を今回再確認した。4Kテレビには光デジタル音声出力が装備されていると思うので、それを外部オーディオ装置とつないで鑑賞すべきである。

2019年9月7日土曜日

ザルツブルグ音楽祭・4K生中継(上)ハイティンク語る。日本の聴衆は素晴らしい


8月31日(土)NHK・BS4Kでザルツブルグ音楽祭の最終日の公演が生中継された。この日の演奏曲目はブルックナーの交響曲第7番。指揮は引退宣言したハイティンク(90才)。オケはウィーンフィル。以下、当番組で放送されたイティンクのインタヴュー

 先ほどウィーンフィルから名誉団員の称号を贈られました。とても光栄です。これまで100回以上も共演したといわれて驚きました。時の経つのは早いものです。
(ザルツブルグ)音楽祭の思い出は学生のころまでさかのぼります。戦後まもなく聴いた演奏は忘れられません。フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル、ブルックナー第8番でした。演奏会の後、その衝撃に浸りながら1時間以上も歩き回りました。カラヤンの第9にも感動しました。でも私はあの8番で魔法にかかったのです。
 ウィーンフィルは特別です。音色とその方向性がすばらしく大好きなんです。
引退の決心まで)長い道のりでした。まだ決心がつきません。指揮者仲間には年齢を重ねても活動を続けている人もいます。でも私は「彼は良い指揮者だったけれどもう年だね」とは言われたくないのです。最初は勉強のため休暇を取ると発表しました。お別れのパーティは感傷的で私には似合わないと思ったのです。もし曲目と場所が整えば可能性の扉は開けておきたいのです。ロンドンの王立音楽大学から1日だけ講師に招かれました。午前中にハイドンの交響曲第101番、午後はマーラーの1番です。もっと時間があれば良いのですが、今のところはこんな予定です。
初来日の思い出)1962年、私はとても若くオイゲン・ヨッフムが一緒でした。コンセルトヘボウ管弦楽団にとっても初来日で最高の演奏を聴かせたかった。よく覚えているのは街中に喫茶店がたくさんあったことです。おいしいコーヒーだけでなく美しい音楽が流れていて通りに響いていました。それが日本の思い出です。
 日本の聴衆は素晴らしい。他の音楽家も必ずそういいます。「ありがとう心から」これが私からの日本へのメッセージです。

2019年9月4日水曜日

家訓「修身斎家治国平天下」


村長だった祖父は「修身斎家治国平天下」という言葉を良く口にした。三十代以上続く畠山家の「家訓」である。実家(秋田)の大広間・床の間にはこの掛け軸がある。(左は牛久・畠山家所有。真言宗西明寺住職・加藤宥真氏揮毫)
 NHK”街道をゆく”プロジエクト「司馬遼太郎の風景」にこんな下りがある。
『日新館(会津藩)が教える朱子学は、儒(孔子)の教えの中でも、ひときわ身を律することにきびしい学問である。前に、四書五経の一つ「大学」を引いて、●其の国を治めんと欲する者は先ず其の家を斉(とと
の)う。と書いたが、朱子学はさらにそれを発展させ、●修身、斉家、治国、平天下。としている。天下を平(たいら)にして、国を治めるためには、家内をととのえ、その上にまだ、わが身を律して学を修めなければならないという。くりかえすことになるが、儒教とは、精神の高揚をひたすらうたった学問なのである。儒教は、学問、ないしは思想の類(たぐい)であって、政治の理想には寄与しても、生(なま)の政治の舞台では役に立たない。そういう意味において、容保(たかもり)”会津藩主・松平容保(写真)”は精神の潔癖な学者肌の人間だったといっていい』
 この下りを読んで、われわれ三兄弟を連想した。兄は農家の長男であるが、国会議員の弁士を務めるなど弁もたった。周囲からは政治家になるのではといわれたが、農業一筋で人生を終わろうとしている。自分はサラリーマンになったが「頑固で保守的だ」と評された、弟は教育者になった。容貌も含め一途なところは容保に似ている。
 明治維新は革命に近い国家的変革だった。西郷隆盛は徳川慶喜の首をはねるのが目標だったが、慶喜の方が役者が上だった。勝海舟に全権を与え江戸城を開城。その犠牲になったのが会津藩。会津藩は儒学の呪縛に拘束され「最後まで宗家(徳川)に忠義をつくす」。藩士だけでなく、婦女子までが弓・薙(なぎ)刀を持って戦い、武器をもたない女子どもは自害した。 
 乱世の時代の一途さは悲劇を生むこともある。