2019年6月28日金曜日

社友会暑気払いとヴァイオリン

27日、社友会の暑気払いの日である。
生憎の雨、暑気払いもそうだが、小生には28,29大阪で開催される、G20が心配だ。
各国首脳が無事、日本国・大阪に集い、世界の平和と発展につながるミーティングを行って欲しい。最近は各国首脳の言動がわれわれの生活に直結しているので目が離せない。
 さて、社友会だが5時から大手町のサンケイプラザ4F(写真)である。地下鉄直結とあるが、現役時代と比較して大手町には巨大ビルが林立する。そのビル群に直結する通路は迷路のようだった。
77才の老人は右往左往した。
 暑気払いに参加したのは82名。例年だと100名から150名だがら今回は少ない。原因は今まで昼開催だったのを夕方開催に変更したから・・・、と主催者は分析する。ただ、良かったのは社友会有志による「オヤジバンド」(写真。後ろ向きの禿げ頭、小生に似ているが、違いますよ!)
 会場には多くの先輩が参加されていた。秋田の農林高校を
卒業して、東京へでてきた私を引き立てて下さった上司や技術、営業の方々である。ハグはしなかったが握手をして、感謝しながらテーブルをまわった。「先輩、今でも私にカセットの取材があるんです。私は幸せです。ありがとうございます」
 現役の頃、私を引き立てて下さった上司の一人から、ヴァイオリンをいただいた。(写真)不忠にも、いただいて押し入れにしまったまま一度も弾くことはなかった。もう、その先輩はこの世にいない。せめて、このヴァイオリンを愛好家の方に渡したい。暑気払いの前、私は都内の楽器引取店を捜し、引き取っていただいた。

2019年6月21日金曜日

白上冴さんと内田光子さん

 6月15日、関東地方は大雨だった。雨の中、私は数十年ぶりに秋田から上京した友人と「東京湾クルーズ」を楽しんだ。(6月16日、ブログ「雨の東京湾クルーズ」)
 実はこの日、私が所属する「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」で、大切な講演会があった。米国クリーブランド管弦楽団のヴァイオリン奏者である白上冴さんによる『名門楽団員が語る「音楽と指揮者とオーケストラ」』である。
 
白上さんは年1回、稲敷市あずま生涯センターでボランティアのコンサートを開いている。2018年のコンサートを聴いて感激した。(7月9日、ブログ「無垢の名演!白上冴のバッハ無伴奏パルテータ第2番」)ぜひ聞きたかった。
 ありがたいことに、ゲヴァントハウスの講演会は終了後、直ぐに同会のホーム頁にアップされる。講演会は雨にもかかわらず、多勢の方々が参加され大盛況だったとある。
 講演には白上さんが共演した世界的に著名な指揮者、奏者が登場する。
その中で内田光子さんとの共演の模様が印象に残った。
『つい最近、彼女がきて(クリーブランド管弦楽団)、バルトークの3番、難しい曲をやった時に指揮者が早いテンポで進めるためフレンチホルンが遅れるとか指揮者がいっていたのですが、光子さんはその部分はもう少し遅くいきたかった様で、しかしそれを言ってしまうと指揮者の立場もなくなるので「私のテンポが遅いのね」と言い「ここはピアノの音が沢山あって大変なのよ」と言って団員を笑わせ、指揮者にもメンツをたてながらテンポを落とさせていました。彼女の自分を卑下してユーモアで笑いを取って、さりげなく自分の主張を取り入れさせる手腕は素晴らしいと思いました。』
 僭越だが、私は内田光子さんにお目にかかったことがある。1972年頃である。新開発のテープを持参して聴いていただいた。「面白い音ね。跳ねるよう」。このテープは高域寄りでどうかと思ったが、内田さんの感想もとりいれ、高音に特徴があることをセールスポイントにして発売に踏み切った。
(上、白上冴さん”酒井文彦撮影”下、内田光子さん”木之下晃撮影1980)

2019年6月16日日曜日

雨の東京湾クルーズ

56年前、私はTDK秋田工場から東京本社に転勤になった。総武線本八幡駅に近い独身寮に入居した。21才の時である。
 当時、同僚だった仲間と今でも交流が続いている。会の名称「教養クラブ」。主催者は柏倉さん(83才)。一時は6名ほどいたメンバーも常連は柏倉さん、栗林君、小生の3名に減少。昨日、3人による会が開かれた。今回(15日)、
秋田在住の今野君に声をかけたらと幹事の柏倉さんに進言したところ、今野君も参加することになった。(写真、手前より、柏倉、栗林、今野各位)
 生憎の大雨である。集合場所は東京駅南口。約束の時間は13:10であるが、12時30分には全員集合。13:30分発の”はとバス”に乗る。1時間の東京湾クルーズを含んだ「東京百景フォトジェニックTOKYOコース」(写真・下¥3,900)である。二重橋、皇居前等を通って日ノ出桟橋へ。
 
大型客船「シンフォニー」に乗船し、4人で会話を交わしていると、船はすでに桟橋から離れている。船が進む様を「滑るように・・・」というが、まさに音も無く滑るように船は離岸したのである。この様子は小型、中型船では体験できない。
 生憎の雨で東京湾岸の景色はオボロ・・・。(写真・上)その朦を見ながらのビールの味は格別。ソプラノ歌手による小コンサートも行われた。大型客船での船旅をつまみ食いした感じ。
 5時から「がんこ上野本店」で夜の研修宴会。柏倉先輩の独壇場。昔お世話になった同僚、諸先輩の年1度の棚卸大会。今回は特に今野君が参加したお陰で秋田地区の動静に花が咲いた。「こんどは秋田で」と今野君。「へばまた・・・」

2019年6月12日水曜日

ビールを飲みながら痛風を治す

5月31日、痛風になり、その夜、布団の中で七転八倒。6月1日、町医者で薬を処方してもらい、痛みから解放された。
アマゾンで”痛風”を検索したところ、「痛風はビールを飲みながらでも治る!」という本を発見。注文する。この本、痛風の専門医が痛風にかかった体験談。前書きを紹介しよう。

「私も痛風になる前は、患者さんにアルコールは痛風によくないので飲まないほうがいいですよ。特にビールはいけません」といっておりました。ところが私自身の身体を実験材料にした2年間の経験から、今では自信をもって「ビールは痛風にいい点もあるので、お好き
ならやめなくても大丈夫です。ビールを飲みながらでも痛風は治せます」と言っていますし、以前と同じように宴席でビールの痛飲を繰り返しております。

 本によると、痛風の原因は①アルコール②ストレス③肥満の三つが原因なのだという。飲みすぎは良くないが、適度のお酒はストレス解消に効果がある。”ビールは痛風にいい
点もある”というのはストレス解消につながるからだという。
 ではアルコール類の適量はどれくらいかというと、ビールの場合750ミリリットル、お酒はお銚子1本半、ワインはグラス2杯、焼酎、ウィスキーはお湯(水)割、コップ2杯。
 これは私の今までの晩酌の量とほとんど変わりない。
 10日、11日、と連続して東京の飲み会にでかけたが、今まで同様、お酒を楽しみながら友人と語りあった。
 写真は有楽町ソニープラザの熱帯植物(中)と銀座6「GSIX」のテラス(下)

2019年6月7日金曜日

高速道路で日本一長いトンネル(郷里・秋田へ)

6月5日(水)秋田へ。5時10分出発。東北自動車道、福島JCTで、東北中央自動車道に入り、山形県米沢に至る。県境の山岳地帯を抜けるのに60分かかっていたのが、トンネルができた(2018/11)ため、20分で通過。高速道路で日本一長い無料トンネル、(全長8972m)が完成したお陰である。
 
予定より早く昼前に秋田に到着。時間的に余裕ができたので、にかほ市出身の南極探検家、白瀬矗(のぶ)の記念館「白瀬南極探検隊記念館」に寄る。次いで、「TDK歴史みらい館」へ。案内してくれた和田さんとカセットテープの磁性材の話をする。「さすが先輩!」とおダテられる。同館でランチ。800円にしてはセンス抜群。(写真)さすがTDK。穏やかな日本海を眺めながらいただく。
 にかほ市の隣町、由利本荘市にある実家へ寄ってから、約束の4時、母が入居している、特別養護老人ホーム「ふるさと学び舎」へ。弟(小田原)、妹夫婦(笠間)とともに母の居室へ。102才とは思えない元気な母がいた(要介護1)。「まんずまんず、えぐ(良く)きてくれたこと」。母は5月の長期連休中、体調を崩し入院。その後回復したが、体力が弱り、6月1日からこの施設に入居。別れの時、母は車を押して玄関先まで我々を見送ってくれた。
 
6時、近くの保養施設「ぽぽろっこ」で兄弟会。農協幹部である兄の長男(52才)の話が面白かった。年400回飲み会があるという。農家の方々とこれからの農業を語り合う。彼が務める農協の隣にはTDKの新鋭工場が連なる。増設のため、TDKは隣接する田んぼをさらに購入する計画だという。田んぼは農地として売る場合、一反歩30万だが、TDKの買い値はそれよりはるかに高い。
 6日、家内の実家(伊藤家)に寄る。由利本荘市と横手市の境界にある、いわゆる山間僻地である。家内と義父(98才没)義母(92才没)の墓参りをする。その墓碑の立派なのに驚く。(写真)伊藤家の方々は皆さん素朴で静かである。が、その墓碑に伊藤家の強い思いを感じた。義兄の純悦氏は伊藤家の秀才である。京都大学出身。博士号を習得し、米国アリゾナ大学の教授になった。





2019年6月4日火曜日

ついに”痛風”

 
5月31日(金)3週間ぶりだろうか?グランドゴルフに参加。メンバーは60代~80代の老々男女。一組4名~5名。口の悪い陰口に長けたSさんと一緒。「お前久しぶりじゃないか、どっか悪かったのか?」私、頭を指す。「精神病かあ」。隣チームの美形の女性の方を向いて一言、「あのババア、若い時にざんざん男をだましたんだろうな。今は棺桶に足突っ込んで、先は長くないな」。グランドゴルフ、8時からスタート、10時に終了。午後、急に右足が痛くなった。歩くのもやっと、靴下を脱いで足先を見ると赤く腫れている。「痛風に違いない」と直感した。夜フトンの中で七転八倒。そういえば、最近いい気になって遊び歩いた。お酒といえばビールにはまり、飲み続けた。体だって文句の一つもいいたい。 
 6月1日(土)8時~10時まで掃除のバイトが入っている。右足をひきづりながら現場である牛久シャトーに向かう。なんとか頑張って、掃除機を操作。5日は秋田に行く予定があるので、その前には治したい。しかし、今日は土曜日で病院は休み。近所の町医者に行く。受付にいくと、70才過ぎと思われる女性。お医者さんがご主人で、受付の女性は奥さんらしい。「まあ、70才過ぎているんですか?」健康保険証をみて受付嬢。私、禿げ頭を突き出して「喜寿」です。受付嬢の言葉はお世辞(セールストーク)に決まっている。お医者さんは足を見て「ああ、痛風です。薬を出しておきます。ビールはダメですよ!」。毎日、楽しみにしている晩酌のビールはダメといわれ愕然!しかし、あ、あったノンアルコールビールがあるではないか!ありがたい世である。診察の帰り、そのままスーパーに寄り、ノンアルコールビール(写真)を購入。
晩酌、ノンアルコールビールを飲みながら食事。不思議なことに頭がスッキリしている。アルコール抜きも捨てたものではない。食後、処方された薬(写真)を飲むとアラ不思議、足の痛みが取れた。薬の有難みが身に沁みた。
 6月2日(日)12時~池袋で母校、鷹巣農林「東京伊勢堂会」の飲み会。先輩、「ワインどうですか?」と会長がすすめてくれた。ビールは痛風の原因であるプリン体を多く含むがワインはプリン体を減らす効果があるという、さすが会長、物知りである。