2017年1月25日水曜日

稀勢の里優勝で小生も祝福受ける


 21日(土)、大相撲14日目、稀勢の里、まさかの優勝だった。「おめでとう、良かったわね」。関取が牛久出身という事で、秋田の姉(兄)から電話をもらった。パソコンを開くと知人・友人からも何通か祝福のメールが入っていた。
 21日、取り組みが始まるまではまさか稀勢の里が優勝するとは思っていなかった。千秋楽までもつれ、白鵬との優勝決定戦となるかもしれない。勝敗は5分5分、敗れても仕方がない、(いつもの事)諦めようと思っていた。逸ノ城(モンゴル)との一戦、稀勢の里は落ち着いていた。堂々の寄り切り。白鵬は貴ノ岩との初顔合わせ。テレビの字幕に貴ノ岩の出身がモンゴルと出た。私はヒョットしたら貴ノ岩が勝つかもしれないとう予感がした。モンゴル出身の力士は気迫が違う。初顔せとなる大横綱、白鵬も緊張する。果たして予感はピタリ的中。貴ノ岩の気迫の寄りに白鵬はアッサリと土俵を割った。「バンザーイ」私は家内と一緒に歓声を上げた。初優勝だあ・・・!22日(日)の千秋楽、結びの一番、白鵬の寄りは凄まじかった。捨て身で稀勢の里を一気に押し出そうという作戦。土俵際に追い詰められた稀勢の里は弓なりになって堪え、必殺のすくい投げ。白鵬は無残にも土俵に投げ出され、稀勢の里は観たか!というように仁王立ち!(どっちが横綱なの!)21日に続いて、家内とバンザーイ!
 この優勝にはとんでもない、名誉が付いた。なんと横綱昇進が確定したのである。横綱になるには2場所連続優勝が条件(もしくはこれに準ずる成績)と思っていたし、今場所は優勝しても、日馬富士、鶴竜の両横綱が休場ではなあ・・・。また、来場所が大変だと思っていたので、横綱昇進確定の報は本当に嬉しかった。
 稀勢の里の優勝で、わが町、牛久市の知名度も上るだろう。稀勢の里、本当にありがとう。ところで、小生、後援会に入っていたっけ?年会費3千円、払っていたような払っていないような・・・。いつものボケ老人でした。(2/18横綱昇進祝賀会、招待状届く)

2017年1月22日日曜日

日本記録メディア工業会有志OB会

 
 昨年はじめ、工業会(日本記録メディア工業会)でお世話になった日立マクセルの工野さん、富士フィルムの髙山さんにお目にかかった。工野さんは退職後、郷土史の研究、髙山さんは自転車でシルクロード一周と大活躍である。お2人が「工業会のOBの先輩達、どうしてるかな?会いたいね」と呟いた。
じゃあ、一肌脱ぐか!思えば、昨年は日本でカセットテープが発売されて50年である。節目の年でもある。私も74才、幹事役ができるのはこれが最後かもしれない。昨年11月、工業会OB有志の方々、20名に案内を差し上げた。
 そのOB会が20日(金)12時~日本橋「たいめいけん」で開催された。参加者は12名。(富士フィルム4名、日本ビクター、パナソニック、日本コロムビア、各1名、TDK3名、事務局2名)同社のOB会では聞けない話が次から次へと飛びだした。その中でなぜカセットテープが今ブームなのかという事について思いがけない指摘があった。「カセットテープは途中から再生できて便利だ」というのである。なるほど、CDなどのデジタルメディアは曲の途中で止めて、止めた所から再生する事ができない。頭から再生して探さなくてはならない。カラオケの練習などではカセットテープの方が便利かもしれない。
 記録メディアは1960年から2000年はアナログ時代であり、カセットテープ、ビデオテープの黄金期だった。会に参加した12名はこの黄金期にライバルメーカーとして世界市場を舞台に戦った。結果、日本の記録メディアメーカーは世界市場を席捲した。
 ”昨日の敵は、今日は友”というが、われわれは昨日も今日も明日も友である。”戦友”といった方が当たっている。

 翌21日(土)、トランプがアメリカ大統領に就任。困ったもんだ。が、大相撲で地元・牛久市出身の稀勢の里が念願の初優勝!白鵬が貴ノ岩に負けた時は思わず「バンザーイ」と叫んでしまった。

2017年1月13日金曜日

神仏の世界も金次第

<広大な常陸国出雲大社>

 最近は初詣というと笠間市にある常陸国出雲大社にでかける。平成4年、出雲大社(島根県)から分霊して誕生したお社である。
 常陸国出雲大社が鎮座してる笠間市福原は、日が沈み休まる国「日隅宮」と呼ばれる島根県・出雲大社から、大国の主の第2御子神が鎮まる長野県・諏訪大社を通り、日が生まれる国・常陸国へと一直線上にあり、初詣には絶好の地である。

 常陸国出雲大社はお参りする度ごとに発見がある。
今回はお参りの前に桜林館にある「ギャラリー桜林」を見学した。(入場無料)「島剛彫刻展」が開催されていた。このギャラリーの運営責任者である石橋さんが案内して下さった。島剛さんは1963年生まれ、東京藝大卒業。現在同大の教授。彫刻家。第18回、第19回現代美術展等、数多くの美術展で大賞を受賞している。私は彫刻については素人であるが、展示されている作品を見て、不思議な霊感を感じた。
 石橋さんが、ギャラリー運営についてポロリと呟いた。入口に立派なパンフレットがある。「これ、私が作ったんです。寝る時間も削りました」石橋さんはデザイナーでもある。さらにもう一言「まわさなくてはなりませんからね」。つまり、赤字を出さないように努力しているようだ。石橋さんのような経営感覚を持った優秀な人材をギャラリーの運営に当たらせている大社の懐の深さ感じた。

 ホーム頁を見ると、大社のスケールの大きさに驚く。これだけの規模のお社を作るには数十億の投資が必要だったと思う。今お社は「樹木葬」を分譲中である。そのポリシーは「御霊と自然の共生」だという。樹木葬を分譲する以上、常に手入れが必要である。その為には経営の安定が必須条件。経営が安定しないと無縁仏になってしまう。神仏の世界も金次第だ。

ところで私は墓地を地元である牛久大仏に購入した。ただ、葬儀は「自然との共生」を詠う、出雲大社常陸教会にお願いする事にした。大社には清々しさを感じるのである。

2017年1月6日金曜日

ゴルフ、Gゴルフ、掃除スタート


ゴルフ初打ち。霞台カントリー。左より、小生、岡田さん、坂本さん

2017年、年明けから晴天続きである。
昨年末(12月24日)、布団の上でバランスを崩し、背中を強打した。
まだ体は痛いが、1月4日のゴルフ初打ちは肩も回転し、18ホール、無事回ることができた。
スコアはIN57、OUT60でトータル117。参加者12名中、最低のスコアだった。これは体が痛いためではない。現在の実力である。
若い時はドラーバーショットが180ヤードくらい飛んだが、今は130ヤードくらいである。こんな下手なゴルフを他人に語る人はいない。ましてやブログに書くなんて恥知らずだ。

でも、自分はもともと下手だったし、あまり気にしない。仲間に入れて下さる間はプレーを続けようと思う。広大なグリーンの上で思いっきり、ボールを飛ばす、難しいグリーンを読む、ゴルフは全てを忘れて打込める素晴らしいスポーツである。

今日(6日)はG(グランド)ゴルフの初打ちだった。
ゴルフほどの醍醐味はないが、近所のグランドで地元の方達とプレーがきる。プレー代がほとんどかからない。8時スタート、プレー終了11時。半日がアッという間に終わってしまう。

明日は今年2回目になる掃除のバイトである。
掃除の場所は国の重要文化財、「牛久シャトー」の美術館、レストランのトイレ等の掃除である。
掃除も運動になる。電気掃除機、モップによる床掃除。トイレの雑巾掛けなど一生懸命やると汗が出る。なんで掃除などと思うが、それに負けたら、ダメ。明日も頑張るぞ!

2017年1月2日月曜日

家訓「修身斉家治国平天下」

(弟が小田原市の書家に依頼して制作した「家訓」)

年の初めである。
小生、今年、誕生日を迎えると75才となる。
床の間を整理していたら掛け軸がでてきた。
畠山家の家訓が記されている。
「修身斉家治国平天下」(しゅうしんせいかちこくへいてんか)とある。
天下を治めるためには、まず自分の行いを正しくし、次ぎに家庭をととのえ、次ぎに国家を治め、そして天下を平和にすべきである。

畠山又右ェ門30代目、祖父・畠山敬治(秋田県由利郡石澤村々長)が家訓として遺したものだ。
儒教の基本的政治観だという。

正月、息子にこの家訓を伝えた。
残念ながら資産らしきものは何もないが、祖父から預かった「家訓」は伝えたいと思った。

正月は娘が孫3人、息子が孫3人を連れて来宅してくれた。
孫が6人いるということは、国に対しても十分、貢献していると思う。
これからは、彼等、彼女達に頑張ってもらい、平和な天下を作って欲しい。