2014年6月27日金曜日

震災の語り部。「宝来館」女将

(「宝来館」のある根浜海岸”陸中海岸国立公園”。左岬は大槌町)

 21日の兄弟会の翌日、9時前ホテル出発。家内の実家(横手市坂部)により、義父母の墓参り。義兄夫妻に挨拶をした後、11時坂部発。横手・ふるさと村で昼食をとり、一路岩手県釜石市に向かう。(ネットで「宝来館」という旅館を予約済)
 12時40分、横手インターに入る。北上までは秋田自動車道。約30分の道のり。ここからが大変である。東へ東へと一般国道を太平洋岸を目指してひた走る。途中遠野市を通過する。釜石に到着したのは16時近くだった。
 夕食時、隣の席のご夫婦に話かける。「どちらからいらしたんですか?」「東京からです。昨夜の宿の飯に比べるとここは美味しい」。ご主人は元・高校教師。退官され、JRの”大人の休日”を利用して被災地を旅しているという。ご主人の話によると、この「宝来館」というのは、有名な旅館のようだ。旅館のある根浜海岸の建物はほとんど流されたが、四階建ての「宝来館」は二階まで波に洗われたが建物は流されなかった。女将(岩崎昭子さん)は旅館を地域の避難所として開放。一時は120人が避難したという。私はそんな事とは露知らず、予約したのだった。
 翌朝、朝食後、女将の岩崎さんが宿泊者を相手にプロジェクターを使って、被害の状況や、釜石について熱っぽく語った。「早く津波の事は忘れた方が風評被害もなく良いのではないか。という意見もあるが、私は津波をいつまでも忘れない。津波を忘れないで早く復興するやり方があると信ずる。私はその実験台になってもよい」。
 「宝来館」を出発したのは9時、釜石から大船渡、気仙沼まで国道45号線を走る。リアス式海岸である。道路は左右に蛇行し、しかも上下する坂道。宮城県・登米からやっと三陸自動車道に入る。わが家(牛久)に着いたのは19時。10時間600キロの道のりだった。
      
復興工事が続く「宝来館」。二階まで津波が押し寄せた。

2014年6月25日水曜日

畠山家兄弟会→修身斉家治国平天下

(畠山家・兄弟会一同)

21日、昨年に続いて、畠山家の兄弟会を開催した。
開催場所は実家のある秋田県・由利本荘市の「フォレスト鳥海」。
姉(77才)、兄(74才)、自分(72才)、弟(66才)、妹(63才)。5人とも元気である。今年、誕生日がくると97才の母も健在。宴会では得意の大正琴を披露した。

兄弟そろって思い出すのは「修身斉家治国平天下」(しゅうしんさいかじこくへいてんか)という言葉である。これは畠山家の”躾”である。祖父、父から夕食時お経のように訓えられた。
”天下を平安にするためには、まず自分自身が自立し、家庭が平穏でばければならない”という教えである。兄弟5人、この教えを守り、5人は健康であり、その家庭も平穏である。
今回昨年に続いて、兄弟会が開催されたというのは、兄弟の家庭の平穏と仲の良さを実証している。

この教えは家庭だけなく、会社にも国にもあった。しかし、戦後は家庭崩壊がはじまり、会社は個人の成果主義が重視され、国民は愛国心を失った。これからの新しい国づくりの為に「修身斉家治国平天下」を再認識すべきだと思う。

この言葉は儒教の基本的政治感で、孔子が始祖である。まずは本家本元である中国にこの言葉を噛みしめて欲しい。

今回の「兄弟会」で名称を「家族会」に改め、親族に親睦の和を広げてゆくことになった。

2014年6月16日月曜日

東京・銀座はボクの世界遺産

(銀座・有楽町の靴磨き)

6月10日、東京・銀座へ出かけた。
有楽町駅をでて信号を渡り、驚いた。なんと靴磨き屋さんのコーナーがある。
昔、靴磨きというと風呂屋の洗い場にあるような木製の椅子だったが、革張りの堂々とした椅子である。職人さんは鳥打帽子を被ったイケメン。あわてて値段を見たら千円とある。980円の運動靴で茨城から出てきた小生、気が引けた。

それにしても、銀座は昔のお店とか風習がそのまま残っている。
最近は「アークヒルズ」「虎の門ヒルズ」「六本木森タワービル」と高層ビルラッシュだが、銀座は昔の景観を守る為、ビルの高さを56メートルに制限している。そのせいもあって、昔と変わらない。
有楽町の西銀座デパートなど中学の修学旅行(昭和31年)の時のままだし、不二屋のポコちゃん、ペコちゃんもそのまま、もちろんソニービル、和光ビル、銀座・三越もそのまま。音楽ファンとしてお世話になった日本楽器、山野楽器もそのままである。たまには万札を握り締めてネオンを見ながら並木通りを徘徊する。

今日は歌舞伎座のある三原橋の交差点近くにある喫茶店「ジュリエット」で10時30分、野原さんと待ち合わせである。野原さんと初めてお会いしたのは1972年頃だと思う。40年以上におよぶお付き合いである。「オレもう79才だよ」。しかし、青学出身でまだ現役の野原さんは容姿、話題ともダンディな銀座野郎である。

東京・銀座はボクにとっての「世界遺産」「人生遺産」である。
(銀座野郎・野原さん”左”とボク)

2014年6月9日月曜日

安らぎと静謐に満ちた人生

(今朝、掃除のバイトがないのでグランドゴルフに行きました)
 
 林真理子が朝日新聞に「マイストーリー」という連載小説を書いている。
主人公は自費出版専門の出版社の主人公である。
 約10年前、文藝春秋社から自分史「ドリームⅩ」を出版し、現在地元の自分史「いしぶみ」の編集を担当している小生にとっては、他人事とは思えないストーリーである。

 「マイストーリー」の中にこんな文脈があった。
”自分は一生本など書くことはないだろうー略ーだいいちこんな平凡な男の人生を、いったい誰が知りたいというのだろう。そして本を書くことのない人生というのは、なんと安らぎと静謐に満ちていることか”

 「ドリームⅩ」を書いた頃の自分は”幸福だった自分の人生をできるだけ多くの方に伝えたい”という願望があったが、最近は”自分の人生など、他人様が関心があるわけがない。自分の記憶を留める為に書いておこう”と割り切っている。

 朝は6時起床。朝食後、NHKの朝ドラを見る。それからスーパーの掃除のバイトにでかける。(8時~11時)バイトがない時は地元の方々とグランドゴルフに興じる。昼食の後昼寝。午後はパソコンに向かう。(メールをチェックしたり、ブログを書いたり)バッググラウンドミュージックはFMラジオから流れるクラシック音楽。夕食の後は家内と一緒にテレビを見る。

 私の人生も”安らぎと静謐”に満ちている。

2014年6月5日木曜日

「万葉」の心がある限り、日本は永遠である。


今年も半分が終ろうとしている。ホッと一息。本棚にある「万葉集探訪」を取り出してみた。

石(いわ)ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも巻8・1418 志賀皇子)

春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたえ)の 衣乾したり 天の香具山(巻1・28 持統天皇)

躍動する自然、自然の雄大さが眼前に浮かぶ。

「万葉集探訪」は西宮正泰氏が卒寿記念として2011年、文芸社(03-5369-2299)から発刊したものである。西宮氏は〝むすび″にこう書いている。「英国人が教養としてシェークスピアの作品を必読とし、ドイツ人がゲーテのファウストを愛読する如く、日本人はせめてこの世界に誇る民族の古典を必読としたいものである」と。

銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及(し)かめやも(巻5・803 山上憶良)

1,500年経っても日本人の心、自然は不変である。
万葉の心がある限り、日本、日本人は永遠である。