(1972~3年頃、山口県のTDKテープ愛用者取材。左から太田さん、小生、エフエム東京・菊池さん、幅屋さん)
今年は私の大切な方々の訃報が続いた。
7月、中学生の同級生で秋田県由利本荘市議、佐藤竹夫君逝く。
9月、TDKカセット国内シェアNO,1を率いた川上岩男さん逝く。(80歳)
そして、12月25日、私の音楽の師匠である太田昌純さん逝く。(82歳)
同日、奥様からお電話をいただいた。「お知らせしようかどうか迷ったのですが、お友達の畠山さんに参列していただけば主人も喜ぶと思いまして・・・」。奥様、知らせていただいてありがとうございます。
27日、所沢で行なわれた告別式に参列。式場にはヴェルディの「レクィエム」が流れていた。火葬場まで御伴してお見送りした。
太田さんは静岡大学を卒業されて、音楽教師になられた。その傍ら静岡交響楽団でも活躍された。息子さんのお名前は「響」。教師を辞められて上京。広告代理店に勤務。
1971年からはじまった「TDKオリジナルコンサート」のCMの制作を担当された。私は1972年にTDK宣伝担当となり、その時以来、今日まで実に40年のお付き合いである。
今年の10月末、便箋6枚にわたるお手紙をいただいた。末尾にこう書かれていた。「長い病院生活と抗ガン剤ダメージの為、家の近くを2~3分歩くのがやっとの状況です。下らない泣き言を畠山様と思い、つい喋ってしまいました。正直言って、又お会いできる日が来るかどうかもわかりませんん。」
ご家族の話によると、病床で太田さんは、ドイツの作曲家ワーグナーについての執筆にとりかかろうとしていたという。私にはそんな事は一言もいわなかった。完璧なものができるまで他言しないのが太田流だった。それにしても、太田さんのディスマスクは威厳に満ちていた。
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