2010年11月27日土曜日

佐渡裕・バーンスタインを語る

             (11月25日、朝日新聞)
 佐渡裕はあまり好きなタイプの音楽家ではないが(まだ聴いたことはない)、25日放送された番組は面白かった。

 バーンスタインはアメリカ育ちのユダヤ人。ジャズからクラシックまで愛し、指揮だけでなく、作曲までこなすマルチ音楽家である。

 佐渡の話によると、彼が作曲した「ウェスト・サイド・ストーリー」にはクラシック音楽の要素が随所に入っているという。一例としてベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の第2楽章の旋律が巧みに取り入れられている。とピアノを弾きながら解説。また、オペラでは一般的な重唱が取り入れられているとも。そういえば、トニー、マリア等の主役たちが重唱し、ドラマを盛り上げていた。

 カラヤンとバーンスタインの違いについて、カラヤンは自分の腕の中に理想のオーケストラがいるように抱えこんで指揮する。一方、バーンスタインは楽員に「一緒にマーラーをやろぜ!」といった感じで全身で指揮をする。

 バーンスタインの指揮の極意として、拍子をとるとき、水平に振るのではなく、垂直に振る。そこで音楽が抉られ彫りが深くなる。アダージョでは日本の能のようにほとんど静止しているように指揮をする。

 バーンスタインは同じユダヤ人作曲家マーラーの指揮を得意にしていた。マーラーの作曲した交響曲第6番には「悲劇的」という副題がついている。この曲の終楽章にハンマーの音が3回でてくる。1打目は「家庭の崩壊」2打目は「地位の崩壊」3打目は「命の崩壊」だという。マーラーが自分でこの曲を指揮した時、3打目のハンマーを躊躇したという。バーンスタインは3打目も叩かせるのだが、バーンスタインは「命の崩壊」があっていけないと否定の願いを込めて叩いたと思う。と佐渡は語る。

 バーンスタインは1990年来日。既に癌に襲われていた。この時、シューマンの交響曲第2番を指揮するが、この映像は鬼気せまるものがあった。
 成田を発つとき、見送りにきた佐渡裕にバーンスタインは「ビック、グッバイ」といい、佐渡は号泣。それから3ヶ月後、彼は逝く。72歳。

 佐渡裕は今年、日本でバーンスタインの失敗作と言われたオペラ「キャンディート」を上演し、大喝采を浴びる。佐渡はこの光景を恩師バーンスタインに見せたかったと結ぶ。

 私が佐渡をあまり好きではなといったが、それは、佐渡にバーンスタイン仕込みのアメリカ流の言動があるからだと思う。私に限らず、日本のクラシックファンはヨーロッパ流を好む。しかし、佐渡は来年ベルリンフィルを指揮するという。小澤征爾以来の快挙だ。ベルリンフィルはバーンスタインの再来を期待しているのかもしれない。成功を祈る。

2010年11月22日月曜日

躍動!井上道義のショスタコ10番

   (ショスタコーヴィチ第10番を指揮した井上道義)
     (終演は15時30分、イルミネーションが輝いていた)

 昨日(21日)15時~つくばのノバホールで井上道義指揮東京音楽大学シンフォニーオーケストラのコンサートがあった。家内とでかけた。前半は椿姫の抜粋、後半はショスタコーヴィチの交響曲第10番。前半の椿姫はテノールの佐野成宏が風邪で欠演、残念。しかし、後半のショスタコ10番は期待に違わぬ名演。オーケストラも学生オケとは思えぬ快演だった。井上のショスタコは深刻ではなく終始躍動感に満ち溢れていた。若いオーケストラが影響していたのかもしれない。
 開演前、井上がマイクを持って舞台に登場し、「今日は痺れるような演奏をします」と宣言。アンコール曲の選曲と演奏の素晴らしさが相俟って、聴衆は楽しさに痺れた。
 それにしても、座席は空席が目立った。A席2千5百円という超低料金なのに。(小生は千5百円のB席)研究学園都市のホールというわりには寂しい。

 20日は14時~竜ヶ崎市の音楽愛好会「ゲバント・ハウス」のCDコンサートがあった。これは小生のプロデュースによる特別企画「1977年カラヤン来日ベートーヴェン全集CD化の秘密」である。
 講師にキングインターナショナルの大川健さんを迎え、ゲストとしてアルトゥスレーベル斎藤啓介さん、日本コロムビアの岩垂靖樹さんも参加した。3人とも手弁当である。CDコンサートを聴き、改めて77年カラヤン・ベルリンフィルのベートーベンの素晴らしさに圧倒された。大川さんいわく「躍動する重低音」が会場に響いた。最近のベルリンフィルおよびベートーヴェン演奏はこの演奏と比較すると軽量化している。
 終わってから講師陣とゲバント・ハウスメンバー、ファンが焼き鳥屋で懇親会。福島からかけつけたファンはブルックナーを聞きながら農作業をやっているとのこと・・・。クラシックファンはマイノリティ。この時だけは主流派のように盛り上がった。
 
 「つくば市」と「竜ヶ崎市」は牛久市の隣町。つくばがイルミネーション輝く近代都市なのに竜ヶ崎は超レトロ。昭和時代の面影が残っている。今回のコンサートを通じて両都市の違いにも思いを馳せた。

2010年11月14日日曜日

日本コロムビアに行きました。

     (日本コロムビア受付のディスプレイ)
 
先週はいろいろありました。

 ●9日(火)14時、日本コロムビアへ(CDの企画の話がありました)。同社の場所は虎の門・江戸見坂。アメリカ大使館、ホテルオークラが近い。APEC間近とあって至るところ警備員。16時、浅草橋・TDK柳橋倶楽部でパソコンクラブ例会。テーマは年賀状の作成。目的の半分は18時からの飲み会。

 ●11日(木)13時、上野・昔お世話になった広告代理店の方と会う。15時、御茶ノ水でTDK・OBのNさんと会う。終わってからディスク・ユニオンによって中古CD漁る。昔の小澤征爾のCDが7枚組で1,500円。これは安い。18時、東京八重洲口のDEN東京でF君の定年退職祝い。昔、20万~30万くらいの価値かなと思って書いたコピーが200万で売られた。(コピーライターUさんの回顧談)

 ●日本コロムビアから送られてきたDVD、ワーグナー・「ニュルンベルグの指輪」視聴。15時間の大作。大感動。生演奏を含めてこんなに感動したことはない。演出クプファー(ドイツ人)


2010年11月9日火曜日

「桜田門外の変」。昔も今も同じ


 8日、家内と久しぶりに映画を観に行った。

茨城県が企画から携わったという「桜田門外の変」、同じ茨城県人として観たいと思っていた。

 期待以上の映画だった。

 なぜ、水戸浪士が井伊大老を討とうと思ったのか、その時代背景が分かりやすく描かれる。また、井伊大老を討った後の浪士達の悲惨な最期、幕府にも、水戸藩にも罪人として厳しく追求される彼等。井伊大老を討ったために浪士だけではなく、彼等の支援者までもが悲惨な最後を遂げる。

 主役の水戸浪士、関鉄之助を演じる大沢たかおの正義感に溢れた凛とした生き方が素晴らしい。徳川斉昭を演じる北大路欣也、井伊大老を演じる伊武雅刀も貫禄十分。

 この物語の背景には米国をはじめ、ヨーロッパ諸国から開国を迫られる、日本の姿があることもよくわかった。

 幕末と同じように、 今の日本の政治は揺れている、尖閣列島、TPP等々。

 ”温故知新”いずれにしろ、わが国はグローバルな視点での国のグランドデザインを描かなくてはいけない。幕末と違うのは今の日本には武力で対抗するという考えはない。では、どうするのか・・・。

2010年11月6日土曜日

「園遊会」帰り、千鳥足で10キロ


 昨日(5日)ブログを書いている時、時計を見たら4時30分。この日、つくば在住の旧友である佐藤さんと5時に会う約束をしていたので、あわててブログを「・・・続」にして牛久駅前の居酒屋へ向かった。

 居酒屋のメニューを見て思いだした。

 3日、岩崎宅でご馳走になった時、モツ煮込みの前に手作りのイカの塩辛がでてきたのだった。これがまた旨かった。さすが岩崎の奥様。長年、酒豪であるご主人の為に料理を作り続けた成果なのだと納得した。

 何時に岩崎宅を退去したか定かではないが、(いずれにしろ8時間くらいは飲み続けだったと思う)お土産の「山崎」をバックに入れ、手には”だまこ”を持っていた。岩崎さんに駅前のカラオケ店に案内していただいた。誰がなにを歌ったか、誰が支払ったか(私でないことは確か)定かでない。

 八潮駅でつくばエクプレス下り方面に乗る。「おおたかのもり」で下車する。ここから徒歩10分のところにあるマンションに娘家族が住んでいる。3人の孫がいる。珍しい秋田の”だまこ”を食べてもらいたいと思った。玄関先で”だまこ”を娘に渡す。彼女の元気な顔をみて安心した。

 さて、どうやって帰ろうか?国道16号線を5~6キロ行けば常磐線の柏駅である。16号線を歩きながらタクシーを拾をうと思った。しかし、タクシーは通らない。えい、歩いてしまえ。ということで、柏駅まで歩く。柏駅へ着いた時は12時近く。なんとか下りの最終電車に間に会った。

 ところが、気がついたら、牛久駅の次の駅(ひたちのうしく)だった。深夜である。タクシーはない。えい、歩いてしまえ。ということで牛久まで千鳥足で歩く。ご帰還は午前2時。

 おおたかのもり→柏駅、ひたちのうしく駅→うしく駅、酩酊の後、10キロくらい歩いてしまった。
 無事帰還したが、年を考えないとと反省・・・。

 それにしても岩崎さんお世話になりました。本橋さん、斉藤さん、またお会いしましょう。

2010年11月5日金曜日

文化の日、高校「園遊会」

    (小生・前列左、岩崎さん・前列右、斉藤さん・後列左、本橋さん・後列右)
 3日、文化の日、首都圏在住の高校同窓会「東京伊勢堂会」の幹事長・岩崎さん(昭和41年卒業)が「園遊会&だまこ会」と称して、ご自宅でプライベートの飲み会を開催。これに招待された。恐らく、昭和35、36年卒業同窓生の古希記念文集「飛翔70年」発刊の慰労の意味もあったのだと思う。

 八潮のご自宅にお邪魔して嬉しかったのは案内された客室に仏壇と神棚がある。秋田の田舎の家には必ず仏壇と神棚がある。秋田に帰ったようである。さすが、同窓会の幹事長、同窓会旗も張られている。

 集まったメンバーは副幹事長の本橋さん(昭和43年卒業)、幹事の斉藤さん(昭和44年卒業)、昭和35年卒業の小生の4人。

 12時宴会開催。でてきた料理が旨い。お酒に会う。特にモツの煮込みは絶品。量も山盛り。奥様に「食べきれませんよ」といったら「ゆっくりやってください」とのこと。ビールに続いてでてきた、能代の銘酒「喜一郎の酒」がまた旨い。先輩、先輩と持ち上げられながら、盃が重なる。この盃のなんと大きいこと。ところで肝心の”だまこ”がなかなかでてこない。つまり、昼から飲みはじめて、”だまこ”は夕食時にでてくるようだ。この”だまこ”幹事長自ら新米を潰し、お孫さんが丸めたのもだという。

 実は肝心の”だまこ”がでてきたころにはスッカリ酩酊状態。

 たぶん、8時頃”だまこ”をお土産いただき、高級ウィスキー「山崎」をカバンに入れて幹事長のご自宅を後にした。・・・続く。

 

 

2010年11月2日火曜日

東京の別荘地、千葉・稲毛で遊ぶ

       (27階にあるSさん宅から見た夜景)
     (神谷伝兵衛の別荘。ワイン工場は牛久にある)


          (千葉市・花の美術館)

 東京近郊の別荘地というと、鎌倉、大洗などが有名だが、千葉県の稲毛もその一つ。

稲毛はメッセで有名な幕張の一つ千葉市より。東京湾に面した小高い砂防林の中に著名人の邸宅があった。今では海が埋め立てられ、別荘地から海を眺望するのは困難である。
この稲毛でOB会の一つである「菜の花会」が開催された。

この会、稲毛在住のSさん、飯田橋在住のFさん、我孫子在住のSさん、牛久在住の小生の4人の会である。今回は稲毛在住のSさんが幹事。
 11:30稲毛駅集合。12:00千葉市・花の美術館、14:20神谷伝兵衛別荘、14:50愛心覚羅薄傑邸、15:40千葉市科学館・プラネタリウム、17:00親睦会
 どこも地元の人でないと分からない隠れた名所。素晴らしかった。

最後の親睦会はなんと、稲毛駅前にあるタワーマンション27階のSさんのご自宅だった。
奥様の手料理でスッカリご機嫌になり、帰りは牛久駅を乗り越し、ご帰宅は24時。

 それでも翌日は6時30分に起床。8時からのスーパーの掃除に向かった。