手紙は古希記念文集の礼状である。
「嬉しいことがだんだん少なくなっている折」とある。
これは古希近くなった男女共通の心境だろう。
そこに届いた、記念集。そこに自分の原稿も掲載されている。
「ダイヤモンドのように輝いてみえた」という。
そして「私の宝物」として大事にします。とある。
おそらく、彼女はこれから幾度も文集をみて、勇気をもらうはずである。
ところで、文集の中で彼女の作文は最も感動を呼んだのではないかと思う。
在学中、彼女に「お父さんはどんな仕事をしているの?」と尋ねたことがある。彼女は答えに窮していた。その訳が今回の彼女の作文をみてはじめてわかった。
「運動会など、砂ぼこりが舞い上がる所で、イチゴやバナナの形をしたアメ売り。トーフ製造と配達。アイスキャンデーの仕入れと販売。中華そば店。ブタや鶏の飼育など、ありとあらゆる仕事をやり生きるのに精一杯の毎日でした。」
お父さんは復員兵で、職を求めて秋田にきたのだが、土地もなく満足な職にもつけなかった。
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