2010年5月26日水曜日

記憶は一代、記録は末代

                (末代物の鈴木さんの自分史)
 同じ町内に住む鈴木さんの自分史は本当に面白い。昭和5年、新潟の農家に生まれた鈴木さんの記録は昭和17年、秋田生まれの小生にとって「そうだったのか!」の連続である。

 農家の次男でありながら家の手伝いを全くしなかった私は鈴木さんの記録をみて、兄や父母達の苦労を偲ぶのである。

 以下は鈴木さんが昭和20~30年代にやっていた仕事の記録である。

●1月~2月 屋根からの雪降ろしと道付け、藁仕事(俵編み、草履、藁靴等)、かんじきづくり、橇による堆肥運搬、薪割り、温床づくり、苗の販売、田打ち(馬耕)、畦切り・畦とり・塗り、代かき(牛馬の鼻とり)

●5月~6月 畑の種まき、夏野菜の植付け、田植え

●7月~8月 田の草とり、病虫害防除、畑の除草、畑作物の土寄せ、畦草刈、草刈と堆肥づくり、夏野菜の管理と収穫、水見(田んぼの水管理)、秋野菜の種まき

●9月~10月~11月 稲架け、稲刈り、脱穀、乾燥、籾摺り、俵つくり、供出、秋野菜の収穫と出荷

●11月~12月 薪切り、堆肥の切り返し、雪(冬)囲い

 鈴木さんのお宅は終戦直後、お母さんが亡くなられ、体の弱いお父さんとお兄さん、鈴木さん、弟さんの男所帯だったという。従って、鈴木さんは農業の他に食事の準備から洗濯、さらには別居していたお婆さんの看病までされたというから恐れいる。

 鈴木さんは厳しい家業の中、昭和23年から4年間、請われて冬期間、分教場で中学の講師をされる。「中学を出ていない私が、どうして中学を教えられるのか」と断ったが断りきれなかったと述懐されている。鈴木さんは小学校卒業後、15歳で満鉄に入社し、満州に渡ったのである。

 鈴木さんの少年・青年期の自分史は橋田寿賀子と山崎豊子のドラマを見ているよう。愛国心に燃えた一途な少年の回顧録は感動を呼ぶ。戦時中のでき事だけに目を覆いたくなるような凄絶な場面もある。

 「記憶は一代、記録は末代」という言葉があるが、この自分史は末代物である。

 

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