2010年5月29日土曜日

記録的な最小パット数


 昨日(28日)は絶好のゴルフ日和だった。気温は22度、曇り、無風である。

 メンバーコースの霞台カントリークラブ。筑波コースでプレイした。

最近はドラバーショットはまずまずなのだが、スコアが良くない。除夜の鐘(108)、百獣の王(110)というスコアがいいところである。石川遼君は58という驚異的なスコアでまわり、ギネスに登録されたが、その倍近く叩いていることになる。

 前半の9ホールを53でまわる。まずまずのスコアである。絶不調だったアイアンショットの勘がもどってきた気がした。

 後半の9ホールで久々に50を切って、48。

 パットが絶好調。なんと、9ホールのうち6ホールが1パット。パットのトータルが13パット。これは私としては記録的である。ミドルショットがことごとく、グリーン手前のラフで止まり、そこからのアプローチショットがピンそば30センチから1メートルで止まった。最終ホールでは6メートルの長いパットが入った。

 ここ数年100をきることが難しかったが、この調子だと、今年は100を切れそうである。

2010年5月27日木曜日

社友会(OB会)総会

           (総会が行われた八重洲富士屋ホテル)
 社友会(会社OB会)の総会が25日、東京駅北口の八重洲富士屋ホテルで開催された。

社友会といえば旅行、新年会には参加したことがあるが総会に参加するのははじめてである。

なぜ、総会に参加したかといえば単純なことである。

 旅行も新年会も200名以上が参加し、人数が多すぎて、誰がどこにいるのか探すのが大変。総会は100名くらいなので、懐かしい先輩、同僚と話ができるのではないかと予想した。

 予想はピタリと当たり、参加者は105名。総会終了後の懇親会で意義のある交歓会ができた。

 小生がオーディオ・音楽が好きだということを知っている先輩・同僚が集まってきた。

 「アンプ真空管に変えました」「スゥイングジャーナル誌が休刊になるって本当ですか」「大学時代の連中とギターのコンサートをやりましたよ」「声楽の先生についてベルカント唱法の勉強中。70の手習いですよ」

 OB会の会話というと、経営陣の悪口になるケースが多く、これだと後味が悪い。趣味の話は一番無難である。

 総会は12時開催。冒頭、米寿1名、喜寿29名の方が紹介された。また、20名の方が亡くなられており黙祷を捧げた。総会は一時間足らずで終了。その後懇親会が開かれた。

 社友会は旅行、新年会の他、パソコンやゴルフ、マージャン等の同好会もある。小生はパソコンとゴルフクラブに加入しているが、パソコンではスペシャリストの方達に随分と教えてもらった。

sya

2010年5月26日水曜日

記憶は一代、記録は末代

                (末代物の鈴木さんの自分史)
 同じ町内に住む鈴木さんの自分史は本当に面白い。昭和5年、新潟の農家に生まれた鈴木さんの記録は昭和17年、秋田生まれの小生にとって「そうだったのか!」の連続である。

 農家の次男でありながら家の手伝いを全くしなかった私は鈴木さんの記録をみて、兄や父母達の苦労を偲ぶのである。

 以下は鈴木さんが昭和20~30年代にやっていた仕事の記録である。

●1月~2月 屋根からの雪降ろしと道付け、藁仕事(俵編み、草履、藁靴等)、かんじきづくり、橇による堆肥運搬、薪割り、温床づくり、苗の販売、田打ち(馬耕)、畦切り・畦とり・塗り、代かき(牛馬の鼻とり)

●5月~6月 畑の種まき、夏野菜の植付け、田植え

●7月~8月 田の草とり、病虫害防除、畑の除草、畑作物の土寄せ、畦草刈、草刈と堆肥づくり、夏野菜の管理と収穫、水見(田んぼの水管理)、秋野菜の種まき

●9月~10月~11月 稲架け、稲刈り、脱穀、乾燥、籾摺り、俵つくり、供出、秋野菜の収穫と出荷

●11月~12月 薪切り、堆肥の切り返し、雪(冬)囲い

 鈴木さんのお宅は終戦直後、お母さんが亡くなられ、体の弱いお父さんとお兄さん、鈴木さん、弟さんの男所帯だったという。従って、鈴木さんは農業の他に食事の準備から洗濯、さらには別居していたお婆さんの看病までされたというから恐れいる。

 鈴木さんは厳しい家業の中、昭和23年から4年間、請われて冬期間、分教場で中学の講師をされる。「中学を出ていない私が、どうして中学を教えられるのか」と断ったが断りきれなかったと述懐されている。鈴木さんは小学校卒業後、15歳で満鉄に入社し、満州に渡ったのである。

 鈴木さんの少年・青年期の自分史は橋田寿賀子と山崎豊子のドラマを見ているよう。愛国心に燃えた一途な少年の回顧録は感動を呼ぶ。戦時中のでき事だけに目を覆いたくなるような凄絶な場面もある。

 「記憶は一代、記録は末代」という言葉があるが、この自分史は末代物である。

 

2010年5月21日金曜日

プロ顔負けの貴重な昭和史

    (豪華ケースに入った、鈴木さんの自分史3部作)
 私が住んでいる刈谷地区は1,500世帯、5、000名が住んでいるが、この地区に「いしぶみの会」という同人誌がある。こんな狭い地域で同人誌のクラブがあるというのは驚きである。

 この会を主宰されている鈴木敏正さんから、自分史をお借りした。

 まだ読みだしたばかりだが、最近の若い作家が書く芥川賞、直木賞より遥かに読み応えがある。

 鈴木さんは昭和5年生まれ。幼少時代からのでき事が丹念に描かれている。

 貴重な「昭和史」である。

 私が生まれた昭和17年ころをめくると、鈴木さんはこんな事を書かれている。

 「学校の授業も、体育は軍事教練や武道となり、音楽や図工の時間は殆ど出征軍人の家庭へ勤労奉仕と称して農作業の手伝いに振り返られたものであった。嬉かった事は工作にグライダーの模型や、模型飛行機と称してゴムでプロペラを回すものが教材で扱われるようになり、少年航空兵に憧れていた私は誰よりも熱心に作った。私の作ったグライダーは全校の大会で、先生の作った模範機を尻目に一番長い距離を悠々と飛んだものである。図画など授業としてはほとんどなかったが、戦死されたご家庭から借りた<靖国の絵巻>に載っている南画伯や樺島画伯の海空戦の絵を手本に、夜遅くまで胸躍らせながら描きまくった・・・」


2010年5月19日水曜日

神崎一雄先生の世界


 昨年のオーディオ業界の忘年会でオーディオ評論家の神埼一雄先生にお目にかかった。

先生はオーディオ評論だけではなく、「レコード芸術」誌でCDの録音評も担当されている。また、ご自身でCDの録音もやられている。

 私がお世話になっている牛久市の隣町、龍ヶ崎市の音楽同好会「ゲヴァント・ハウス」で神崎先生に講演をしていただいたら地元のオーディオ・音楽ファンが喜ぶだろうな、と思った。しかし、この同好会、同好の仲間がボランティアで開いている会であり、先生をお招きする予算がない。

 ダメもとで先生に手弁当での出演をお願いしてみた。

 先生は快く承諾して下さった。

会の代表の井原さんが、広報資料を地元マスコミに配布して下さった。

早速、朝日新聞の「茨城マリオン」に掲載された。

 6月5日、神崎先生と地元オーディオ・音楽ファンの出会いが楽しみである。

2010年5月16日日曜日

熟年英語塾、第2回飲み会

          (牛久自然観察の森)
 日立製作所OBの松本さんが講師を勤める「牛久市・熟年英語講座」、この講座に参加した6名で2月に飲み会を行ったが、おおいに盛り上がり、5月12日、第2回の飲み会が第1回と同じ駅前の「庄や」で開催された。

 第2回ともなると、それぞれの身の上も明らかになってくる。

 前回の飲み会で、中田さんが徳島県生まれで海上保安庁のOBということは確認できたし、柴崎さんが土浦一高のご卒業というところまではおうかがいした。今回の飲み会で、中井さんが青森県のご出身でK島建設のOBだということがわかった。そしてメンバーの中で最も英語が流暢な富岡さんは水戸のご出身で航空会社OBとのこと。

 期せずして、日本の高度経済成長を支えてきた諸分野のOBが集ったのである。


 現役のころ、人間を磨くためには「異業種の方々と交流せよ」といわれたもの。私もそれなりに人脈は広い方だが、牛久という狭い地域で、これだけ、多彩な方々と飲み友達になれるとは思っていなかった。

 このメンバーの素晴らしいところは、上下関係がなく、お互いを信頼し、互いに学ぼうという姿勢があること。そして、なによりも歩いて会場にいける気楽さが良い。

 

2010年5月9日日曜日

母の日


 今日は「母の日」、娘、息子とも花を贈ってきた。

 玄関が花の香りで一杯である。

 家内も幸せである。

 子供に恵まれ、その子供達が一人立ちして、プレゼントをしてくれる。

 半分は父親である私も子育てには貢献したと思うけど、やはり母親は格別であるし、それで良い。

 母親はやはり家族の中心である。

 男親の場合、常に家族と社会の中間ぐらいのスタンスである。

 カッコウよくいえば、家族の一員であるとともに、家族から距離を置いて家族を見守る。

 だから、義理に「父の日」などなくとも良い。

 「母の日」に子供からプレゼントされて喜ぶ家内の顔を見ているだけで自分も幸せである。


 ところで、家内の両親はすでにこの世にいない。私の父も亡くなった。

 残っているのは私の母親だけである。

 その母親になにを贈ったのか、家内に聞いたら寝巻きを贈ったとのこと。

 その母親は今年誕生日がくると93歳になる。

 

2010年5月5日水曜日

5歳の孫と、意思が通じた・・・。

          (啄木鳥がつついた穴だらけの木と5歳の孫)
 昨日(4日)、5歳の孫と牛久・自然観察の森にでかけた。

今までは、彼を車に乗せてでかけようとすると、5分も経たないうちに「家へ帰ろう」といっていた。

親と離れて、祖父と2人連れというのは不安だったのだろう。

 しかし、今回は違った。

 「”おたまじゃくし”を見に行こう」と誘ったので共通の目的があった。

 家から20分、観察の森に着いた。

 「虫をつかまえたいな」「顕微鏡みたいな」「鳥が見たいな」・・・。全てが彼の興味の対象だった。

 彼のお陰で自然の森には、子供にも大人にも興味を持たせるいろんな仕掛けがあることがわかった。

 ”子供に教えられる”と良くいうが、そのことを実感した。

 帰り際「コツコツ」という音が森の中にこだました。啄木鳥が木をつついているのである。

 啄木鳥を発見することはできなかったが、啄木鳥がつついて、穴だらけになった木を見つけることができた。

 彼と私は森の中で2時間近く遊んだ。

 帰りの車に向かうとき、「面白かったよ」と彼がいった。

 孫というより、一人の人間として(男として)彼と意思が通じたような気がした。

2010年5月3日月曜日

民宿状態の5月連休

        (2日、娘家族と牛久市・観察の森にでかける)
 今年の5月連休は晴天に恵まれている。

連休は正月であれ、夏休みであれ、老人夫婦にとっては多忙である。

 1日、娘が3人の孫を連れて来宅。今日、彼女達は帰るが入れ替わりに息子夫婦が2人の孫を連れて来宅する。臨時の民宿状態が続く。

 小生は毎朝風呂の掃除をする程度だが、家内は食事をつくらなければなずパニック状態である。

とはいえ、連休は孫達が来宅しないと寂しい。


 ところで、昨日はニューヨーク在住のSさんから電話があった。なんと57分の長電話だった。彼は政治ジャーナリストなので、政界の話が中心。

 電話が終わってリビングに下りると家内が「遼君が凄い。呼ぼうとしたんだけど、お父さん電話中だったし・・・」。6打差だったら優勝はないだろうと、ゴルフのテレビ観戦より、Sさんとの電話に時間を割いていたのだ。

 それにしても12アンダーとは凄い記録だ。

 もう、ひとつ、連休の話題は上海での中国万博。やはり中国のパワーは凄い。

 といっている間も藍ちゃんの米国ツアー3連勝、キムジョンイルの中国訪問?、明日は鳩山総理の沖縄訪問と国内外の動向から目が離せない。