2025年7月20日日曜日

山陰の旅(3/3)国宝・出雲大社御本殿

12日、松江から出雲大社に向かう。出雲大社は日本人であれば、伊勢神宮と並んで一度は参拝したいところである。と、秋田の農家で生まれた昭和世代の私は考える。それだけではない。義弟が笠間市にある常陸国出雲大社の宮司を務めているので、是非、本家である島根の出雲大社を参拝したかった。
出雲大社に到着。まず、天に聳える日章旗に感激。ここは日本だぞ!である。次いで神楽殿の大注連縄。一行はこの注連縄を見て歓声を上げたが、私は常陸国で同じ注連縄を見ている。「よくぞ同じ巨大な注連縄を作ったなあ!」と義弟の偉業に思いを馳せる。これぞ、本家・出雲大社と感じたのは端垣の中に聳える御本殿の威容である。(写真)この御本殿、延享元年(1744)に創建されたものだという。281年前である。その後、60年を目途に大改修が行われ、その威容を保っている。国宝である。画家岡本太郎はこの御本殿をこう称している。「この野蛮な凄み、迫力、おそらく日本建築美の最高表現であろう」。
出雲大社は結びの神である。恋愛や結婚の祈願をする人が後をたたないという。辰巳太一氏はこう付け加える。「私は出雲大社のご神徳は、結びよりむしろ、出会いと和合にあると思っている。和のパワーを活かせば仕事運や出世運に結びつく」それを証明するように島根県は若槻禮次郎、竹下登という総理大臣を輩出している。
私も今回の旅で稲城市出身の町田さん(写真・右)にお目にかかりお世話になった。こんな楽しそうな自分を見たのははじめてである。(出雲大社に参拝して感じたことがある。出雲大社は参拝客に由縁とかご神徳についてもっと語るべきである。そうしないと、若い人には古いだけの化石にしか映らない・・・)


2025年7月18日金曜日

山陰の旅(2/3)足立全康が命をかけた美術館

11日、江戸・明治の建造物が立ち並ぶ街並み「倉吉白壁土蔵群」を観た後、島根県の県庁所在地がある松江へ。グループより離れて、松江城の入り口にある蕎麦屋で昼食。その後、天守閣に登る。午後、松江から安来へ。20キロほど田んぼ道を走って足立美術館に到着。美術館の外観はなんの変哲もないのだが、会館に入った途端「ワア」という歓声が上がる。眼前に見事な日本庭園が広がる。アメリカの専門誌による日本庭園ランキングで22年間連続第一位にランキングされた庭園である。
この庭園を創ったのは安来市出身の実業家、足立全康(ぜんこう)氏(1899~1999)*写真。実家は農家。尋常小学校卒業後、炭を大八車に乗せ商売をはじめる。第2次大戦後、不動産事業で財を築く。1947年(昭和22)名古屋で開催された横山大観展で感銘を受け、それが美術品収集への情熱に広がる。「庭園もまた一幅の絵画である」の見解のもとに1970年(昭和45)、71才の時、財団法人足立美術館(5万坪)を設立。「故郷へ恩返しをしたい」「未来を担う若い人たちに生きた絵を、素晴らしい庭をプレゼントしたい」という思いだった。しかし、開館から10年余りは入館者は伸び悩み、閑散とした館内を一人歩く足立全康の姿があったという。
足立美術館は足立全康が命をかけたロマンの結晶である。それを味わい尽くすには一度の旅ではムリである。それは壮大で果てしない。

2025年7月14日月曜日

山陰の旅(1/3)鳥取砂丘「馬の背」登頂

10日、クラブツーリズム主催「出雲大社・足立美術館・鳥取砂丘 はじめての山陰旅 3日間」初日である。5時起床。朝食(前夜家内が作ってくれたお握りを頬ばる)。5時30分出発。牛久駅まで歩く。早朝とはいえ猛暑の中、カバンを持っての歩きはシンドイ。東京駅で昼食の弁当、ビールを購入して集合場所へ。今回の参加者は44名。ほとんとが夫婦連れ。新幹線「のぞみ」で岡山へ。
岡山から日本海岸にある鳥取を目指す。約3時間の行程である。県境は山々が連なり、山あいに集落が点在する。彼らの生活の糧に思いを馳せる。
鳥取砂丘は山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されている。南北2,4キロ、東西16キロという広さ。1955年(昭和30)国の天然記念物に、2007年には日本の地質百選に選定された。
ガイドさんから「砂丘は真夏は40度から50度になります」と聞いていたので、警戒していたが、バスを降りると海風が吹いていて、暑くはない。
砂丘入口の丘を登ると、眼下に広大な砂丘が広がる、砂丘はすり鉢状になっており、手前でゆるやかに下っているが、その前方は小高い丘になっている。丘は「馬の背」と呼ばれている。「馬の背」の陰に日本海が広がっているのである。大自然が創り出した広大な光景に圧倒された。(写真・上)
砂漠は風によって作られた風紋(ふうもん)によってさざ波のような模様がついていて美しい。私は風紋を踏みながらすり鉢を下り、すり鉢の底から「馬の背」を目指す。高低差は40メートル。砂に足を取られながら、なんとか馬の背に辿り着く。頂上は風が強く帽子が吹き飛ばされそうだ。(写真・下)83才になって「馬の背」を征服できたという充実感に浸る。
鳥取砂丘には58年前、25才の時、弟と一緒に訪れているが、その時よりも強い印象を受けた。年を重ねたことによって自然に対しての畏敬の念が深まったのであろう。





2025年7月3日木曜日

素敵な場所(図書館)、素敵な味(日本酒)

図書館は私にとって安・近・短。閲覧は無料だし、近くにあるし、閲覧時間は自由。ホッと時間ができた時でかける。私がでかける図書館といえば、牛久、龍ヶ崎、つくば、土浦の4ヵ所。この中でなんといっても素敵なのは土浦図書館アルカス(写真)。
土浦は牛久から15キロ。アルカスは土浦駅直結である。なにしろサロンといった雰囲気なのである。閲覧室の椅子のデザインもバラエティーに富んでおり、しかもゆったりスペース。隣の人を気にせず、読書を楽しむことができる。喫茶コーナーもあり、コーヒーをいただきながら読書ができる。アルカスには図書館で昼寝をするような輩はいない。キチンとしている。閲覧で人気のあるものといえば、新聞では日本経済新聞、週刊誌では週刊文春。これはアルカスに限らず、どこの図書館も共通している。

「父の日」に息子から秋田の地酒を3本いただいたが、この中で「純米大吟醸・鳥海山」は美味しかった。こんな旨い酒は飲んだことがない。ネットで調べると、この酒、数々の賞を受賞しているのである。「フェミナリース世界ワインコンクール2025金賞」「ワイングラスおいしい日本酒アワード2025金賞」「TOKYO酒チャレンジ2025プラチナ賞」。鳥海山は、私の生まれ故郷、由利本荘市の隣町、矢島町の天寿酒造が作っている。「杜氏と蔵人がその米との対話と伝統の技とで醸し上げた一品。華やかな香りと、優しい口当たりの純米大吟醸」とある。この味を殺さず、引き立てるツマミといえば新鮮な刺身だろうか。

2025年6月24日火曜日

沖澤のどかに感動!クラシック音楽は”生きる源泉”

 
私の地元、刈谷シニアクラブは茨城県から表彰されるほど活発な活動をしている。その理由の一つが月1~2回開催される音楽・芸能イベントである。
しかし、クラシック音楽が趣味の小生にとっては、地元の方々の音楽・芸能イベントは楽しめない。カラオケのように自分が参加する場合はうまい下手は関係なく楽しめるが、受け身で鑑賞する場合はどうしてもそのレベルが気になってしまう。その時間があればプロのクラシック音楽のCDを聴いていた方がマシである。
クラシック音楽の醍醐味は演奏会場に行ってナマのコンサートを聴くことである。
15日(日)川崎市のコンサートホールにでかけた。
現在、世界が注目している指揮者、沖澤のどか指揮(写真・左上)・東京都交響楽団のコンサートがあった。沖澤さんは2023年から京都市交響楽団の常任指揮者を務めている。「京都から日本へ、世界へ」が同響のテーマである。同響は東京公演も行っているがチケットはすぐ売り切れてしまう。今回は都響のコンサートということでたまたまチケットが残っていた。私が理事をつとめている龍ヶ崎ゲヴァントハウスの会員4名、神奈川にいる弟も一緒だった。
後半に演奏されたのはストラヴィンスキーの「春の祭典」。音楽評論家の東条碩夫氏はこう評
した。「沖澤と都響の機能的な腕の冴とが遺憾なく発揮された豪演。この超大編成の作品をオーケストラともども、かくも緻密に統率制御していた沖澤の力量は、やはり並みのものではない」終演後、オーケストラが去っても聴衆の拍手は鳴りやまず、沖澤はステージに登場した。(写真・下右)
83才になると、ボケも進み、目力、耳力も減退する。
でも、まだ沖澤の音楽に感動することができた。クラシック音楽は私の生きる源泉である。

2025年6月19日木曜日

葉梨衆議院議員、令和の米騒動についてコメント

 
10日(火)、佐藤則男さんにお目にかかる。(49年前、米国出張でお世話になる)コロムビア大学卒業。2015年、講談社から「なぜヒラリークリントンを大統領にしないのか」を出版。お元気な間に混乱が続く米国にメスを入れた本を出版して欲しい。奥様は国連勤務。共著であれば興味深いものになると思う。
13日(金)刈谷シニアクラブのバス研修旅行で東京へ。国会で葉梨衆議院議員にお目にかかった。(写真・右)現在「農林水産委員会筆頭理事」の任にあり多忙とのこと。令和の米騒動について、こうコメントした。「5キロ4千円~
5千円ではまりにも高すぎる。小泉大臣が備蓄米を随意契約して、小売店に早く届ける手法をとっている。緊急措置として評価している。銘柄米を5キロ、3千円台でソフトランディングさせたいと考えている。その方針のもとに小泉大臣にはJA、卸業者と調整して欲しいと要請している」
JAのトップは「今の4千円から5千円の価格は高くない」とコメントし、非常識だと感じていたので、葉梨議員のコメントにホッとした。
国会の後、迎賓館を見学した。(写真・左)その豪華さには驚いたが、外国の要人には日本国民の庶民の生活も見て欲しい。
14日(土)15日の「父の日」を前に娘と息子からプレゼントが届いた。娘からは素敵なシャツ。息子からは秋田の地酒セット。(写真・右下)これからも元気で頑張らなければと思った。


2025年6月12日木曜日

東工大(TDK)対 大阪大(ソニー)

6月5日、発売になった「ステレオ時代」neo9号に「日本生まれのコバルト磁性体、ハイポジション新時代」という特集企画が掲載された。カセットテープは1966年、日本で発売された。この頃、音を記録するための磁性体はガンマ酸化鉄だった。しかし、この磁性体ではいくら改良してもFM放送の高域周波数帯域をカバーすることができなかった。これを克服したのが、アメリカのデュポン社が開発した二酸化クロム磁性材を使用したクロムテープだった。しかし、クロムテープを生産するためには数億円の特許料をデュポン社に払わなくてはならない。しかもク
ロムテープには中低域の出力が足りないという欠点があった。つまりハイ上がりの音だった。日本のメーカーはクロムに対抗するために、クロム磁性材を使用しない新しい磁性材を開発する。これがガンマ酸化鉄で不足していた高域をカバーしたコバルト磁性体だった。1975年TDK、1976年マクセル、1978年ソニーが相次いでコバルト系、ハイポジションテープを発売する。「ステレオ時代」ではTDKとソニーでコバルト系の磁性
体を開発した技術者にインタビューしている。TDKの技術者は梅木信治さん。(写真・右)東工大出身。大学時代から磁性体薄膜をメッキする方法を研究していた。この手法を応用してコバルトを磁性膜に被着させた。ソニーの技術者は北川正隆さん。(写真・左)大阪大学物理学修士課程卒。ソニーに入社し、テープを製造している仙台工場への配属を命じられた時は「騙されたな」と思ったそうだ。
塩化コバルトの投入方法を工夫して商品化にこぎ着けた。
畠山はクロムという黒船の到来に対して国産化で対抗しようと決断したTDKの経営判断の背景とマーケティング戦略について語っている。