2024年12月21日土曜日

美音の陰に壮絶な企業ドラマ/伊藤瞭介・元サンスイ社長

14日のブログで「ステレオ時代」neo7号の話をしたが、この号のメイン記事は「あの頃のサンスイは今でも私たちを魅了する」(特別インタビュー)”山水電気元社長・伊藤瞭介氏”である。
伊藤氏は1938年東京生まれ。成城大学経済学部卒。1961年山水電気入社とある。山水といえば私のような昭和世代にはオーディオの名門として憧れのメーカーである。山水はパイオニア、トリオと並んでオーディオのご三家と呼ばれた。
伊藤氏が山水に入社したのは大学時代、山水のトランスの音に感銘を受けたからだという。営業部門から商品開発部門に異動。この時、米国出張。スピーカーの名器JBLと出会う。伊藤氏はJBLのサウンドを一言でいうとセクシーな音だという。伊藤氏はJBLと総代理店契約を結ぶ。1973年JBLのユニットを使用したスピーカーを発売し、これがロングセラーになる。売上も年間500臆を越した。
伊藤氏はサクセスストーリーの一方、「あまり思い出したくない話だが」と前置きして、労組問題を語る。「サンスイの労組対立は1973年頃がピークだった。会社に国労(国鉄労働組合)が入ってきた。工場に赤旗が立ち、それがサンスイの体力を奪っていく。事業部長なのに自分の仕事はほとんど労組対策だった」「私が社長の時、負債の返済に窮しサンスイを外資に売った。企業の伝統文化や理念の継承は困難だった。めちゃくちゃになった」
伊藤氏は1990年山水退任後、1997年、風力発電メーカーを設立。世界最軽量の汎用小型風力発電システムを開発し、経済産業大臣賞を受賞した。

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