2024年11月13日水曜日

渡部さんの”プロジェクトⅩ”「大気汚染と排ガス処理技術」


地元の飲み仲間、渡部輝雄さんから本をいただいた。
「大気汚染と排ガス処理技術」という技術専門書である。
渡部さんは1941年生まれというから今年83才。
一杯飲むと、「オレは会津若松の秀才だった」と自負していたが、本当だったということが分かる。
1965年3月、中央大学理工学部工業化学科卒業。学士論文の指導は東畑平一郎教授とある。
1986年3月、住友重機械工業(株)化工機事業部入社。集塵装置の設計を担当。
1978年6月~乾式脱硫脱硝装置の設計および活性炭の開発担当
1998年10月、日本吸着学会より技術賞受賞「活性炭を循環使用し排ガスからダイオキシンを除去する技術」。2001年6月、住友重機械(株)退社。
「大気汚染と排ガス処理技術」は次の3章からなる。
第一章 神武景気(1954~1957)、岩戸景気(1958~1961)/大気環境と集塵技術
第二章 いざなぎ景気(1965~1970)/大気環境と脱硫・脱硝
第三章 ダイオキシン類対策特別措置法(1992)/大気環境と炭素利用技術
渡部さんは日本の高度経済成長に伴う大気汚染と格闘してきた、この本は渡部さんの「プロジェクトⅩ」である。
渡部さんは必ずしも体調万全とはいえない状況の中で、この本を上梓した。その会津魂に敬意を表したい。わが町牛久にもクリーンセンターがある。そのお陰で、わが町の環境が守られている。その陰には渡部さん技術力が生きているのである。
渡部さん、出版を祝して一杯やりましょう。
 

2024年11月8日金曜日

38年ぶり、世界最高峰ウィーンフィルを聴く


 昨日は特別な日だった。
世界最高峰のオーケストラ、ウィーンフィルを聴いた。
午後4時、自宅出発。会場であるミューザ川崎シンフォニーホールに向かう。
ウィーンフィルを聴くのは何年ぶりだろう。日記を見ると、37年ぶりということになる。
若い頃は良くコンサートに行った。子供達にもコンサートを味わって欲しいと連れて行った。秋田の兄貴もクラシック好きだったので、お付き合いで聴きに行った。
しかし、コンサートの値段も高くなった。1987年頃にはウィーンフィルの来日公演のチケットが1万9千円と、2万円近くなった。意欲がなくなった。
今回のウィーンフィルのチケットはS席45,000、私が買うことができたB席は35,000。そのうち耳も聴こえなくなるに違いない。冥土の土産のつもりで買った。買えて良かった。その後、プレミアムが付いて、8万円になったプログラムもでた。
会場に着くと、「完売御礼」のポスターが貼られていた。川崎市市制100周年記念事業&ミューザ川崎シンフォニーホール開館20周年記念公演とある。
座席は4階の天井桟敷。3万5千円でこの席か。オーケストラが豆粒のよう、勿論、指揮者の表情は分からない。
でも、ウィーンフィルのまろやかな音は天井桟敷にも届いた。素晴らしい経験だった。驚いたのはなんと、アンコールにウィンナワルツを2曲も演奏してくれた。会場は沸きにわいた。毎年、ウィーンからテレビ中継されるウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」そのワルツが、日本でナマで聴けるなんて思わなかった。バンザーイ!と叫びたくなった。こと年まで生きていて良かった。また明日からがんばろう。ネルソン指揮のウィーンフィルに乾杯!

2024年11月1日金曜日

水素車 トヨタMIRAI で帰宅

昨夜(10月31日)は、ハイソサェティの集いだった。
都内の会場に集まったメンバーは20名。小生を除いて、一流企業の幹部OBの集いだった。
彼らの話を聞いていると、「ドジャース・大谷の試合を見にロスまで行きましたよ」「ヨットが趣味なんですが、陸地が見えなくなると不安ですね」「明石家さんまの番組にでたんですが、さんまさんに先生と呼ばれて、照れましたね」・・・メンバーの中に年収が1億を超える方が3名いた。
小生はこの会の幹事の依頼で「カセットテープを初めて発売したメーカーはどこか?50年ぶりに分かった真実」いうテーマで15分ほど話をさせていただいた。幸い皆さん関心を示して下さりホッとした。
帰り、大企業の外部取締役役員だというA氏が、帰宅の方向が同じなので、私の車に乗りなさい。と誘って下さった。玄関口に止まっていた車は、トヨタのMIRAIではないか。日本で、数えるくらいしか走っていないCO₂排出量ゼロという水素車である。
A氏は車中でいろいろ話をされた。「やはり中国が心配です。中国との取引が多いので習近平体制がどうなるかですね」「生成AIがこれからの日本経済にどういう影響を与えるかですね」「グローバル指向の中で、経営のやり方が、ゼネラル化、画一化していく傾向がある。私は日本ならではの経営のやり方があると思うんですがね」「政治家のものの見方は短期的でいかん」A氏は私と同じ82才。現役経営者として押し寄せる課題に立ち向かうA氏の気迫に圧倒された。
「畠山さん、牛久まで乗って行って下さい」お言葉に甘えて、MIRAIでわが家に向かう。
下車する時、運転手さんが後部座席を開けて下さった。それは建売のわが家と不釣り合いなマナーだった。(乗車したMIRAIの車体は黒だった)