家内の本棚をみたら、ベストセラーの「続 窓ぎわのトットちゃん」がある。
優しい文章で読みやすい。
しかし、その内容はドラマチックである。
トットちゃんこと、黒柳徹子は1933年生まれ90才。東京・乃木坂生まれのお嬢様である。
父はバイオリニストで新交響楽団(現・NHK交響楽団)のコンサートマスター、父の演奏する「第9」でコーラスを歌っていたのが母だった。
絵に描いたようなトットちゃんの生活環境は戦争で一変する。父は招集され、一家は青森の八戸に疎開する。疎開列車は寿司詰め状態。トイレも人で溢れており、トットちゃんは列車の窓を開けてオシッコをした。疎開先で母は一家を養うため、食堂を開いたり、行商もやった。
学校を卒業してNHKの劇団に入る。ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」の成功で、仕事が増え、昭和33年の紅白歌合戦で司会を務める。この時25才。同番組最年少の司会者だった。以降、目が回る忙しさで、ベットに入るのは3時間あればいい方だった。
極度の疲労に襲われたが、休むわけにいかない。病院の先生に「死ぬまで病気にならない方法」を尋ねる。先生は「自分の好きな仕事だけやって生きていくことです」と答えた。(当時はまだストレスという言葉がなかった)
トットちゃんは「男はつらいよ」の渥美 清から「なんだ、このアマ」「ああ、ヤダヤダ。この手の女は本当にいやだねえ」と言われた。しかし、いつの間にか「お嬢さん」「お兄さん」と呼び合う仲になった。
「徹子の部屋」は今年で48年目を迎えた。淡谷のり子さんが慰問の航空基地の話をした。ブルースを歌っている途中、一人の若者が席を立ち、敬礼をして(戦地へ)出て行った。涙がでて歌えなくなったという。
読後、感じたのは戦争の悲惨さだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿